ショートショート/ツッコミ・3 お題制限系

021:はさみ

 生まれてこの方、ここまで緊張したことはない、とヒカルは震える指先に苦笑を浮かべる余裕すらなく、それを握り締めててのひらに汗を掻いている。

 今、手にしているこれにほんのちょっとでも力を篭めたら、ヒカルは相手の生命線を絶つことになるのだ。黒く美しいその生命の根源を――。

 ぱさり。指が震えて、ヒカルの手に握られたハサミはアキラの髪の毛を何本か、落とした。

永夏:秀英と似たような頭じゃないか。貸せ、俺がやってやる。

022:MD

「願いましてはぁ、一万五百七円也、二百三十八円也、……」

「百万飛んで百六十三円!」

「趙石正解」

「……また負けた」

 楊海がMDプレイヤを取り返せる日は遠い。

「くそぅ、算盤なんかできなくたってsaiは絶対作ってやるー!」

「うん、そっちは諦めないでね」

 インターネット伝説の棋士にあやかって名付けられた、空間認知解析システムアーキテクチャsaiができる日は近い……かもしれない。

倉田:素朴な疑問。なんで算盤勝負なんだ。

023:パステルエナメル

 美術の授業で、誰でも良い人物を描けと言われ、ヒカルは良いのかなと思いつつ、ずっと自分のそばに居た幽霊を描き始めた。

 肌を描き、白い衣にガッシュを置いてゆく時点でヒカルは堪らなくなり、象牙色にも似たその肌の色で衣を塗りつぶしていった。

 そうして現れ出た佐為の裸体に、もしかして自分は彼の暖かな肉体とやらにふれることを望んでいたのだろうか、とぼんやりヒカルは思い、また白色で塗りつぶした。

あかり:体型の出ない装束ってヒカルにとっては不憫だね。

024:ガムテープ

 茶色いテープでしっかと留められた段ボール箱が幾つも部屋に鎮座している。

 これを片付けなければならないのかと思うと頭が痛くなるが、さりとて新天地、秘密の基地、名称は何でも良いが、兎にも角にもここは和谷が手に入れた最初の城、新大陸。開拓するのは和谷でしかなく、面倒臭さも陶酔に変わろうものだ。

 片付けたら皆を呼んで検討会でも開こう、などと思ってしまった自分に苦笑する。何処に行こうとも結局、宝物など見付かるものではなく、既に和谷が手中にしているものなのだ。

 大きさはないながらもかなりの重量を持つひとつの段ボール。真っ先にそのガムテープを引き剥がした。

伊角:和谷、それを変な持ち上げようとして腰を痛めたんだったよな。

025:のどあめ

 ふと目に付いた薬局、店頭に山積みされたさくら色ののどあめを、どういう心境か桜野は衝動買いしてしまった。飴は太るし食べないことにしてたんだけどなぁ、と、それでも購入したからには湧き出る貧乏性から口に入れると、そのほんのりとしたさくらんぼの香りにほっとした。

 ああ、自分は疲れていたのか。ようやっとそのことに思い至る。咽喉もずっと痛かったのだ、風邪を引きかけていると今ならばわかる。

 ここのところテレビ出演で喋り通しだったのだ、咽喉もそりゃ痛めよう。削られる勉強の時間、精神の余裕。自分の外見がそこまで悪くはないことを桜野は知っている、だからこそ求められる棋士としての力以外に対する期待が、桜野には鬱陶しくて堪らなかった。

 否、美しく生んでくれた親には感謝している。そのおかげで碁が不調なときでも食っていけるのだ、何を不平を洩らす権利があろう。自分の整った顔を見るのも、化粧をすることもお洒落をすることも、桜野は大好きだった。

 でもそれでも、と誰も見ていないところで俯く。それでも、棋士に必要なものはそんなものではない。

 見る間に頭角を現してきた、塔矢名人の一人息子の整いすぎるほど整った貌を、それでいて全く装飾に頓着しない態度を、憶い出して心が疼いた。あの子供は恐らく自分の容姿など気にしたことがないだろう、気にする必要もなかったのだろう、外見を飾る必要性など欠片も感じたことはないのだろう。

 彼にとって最も大事なものを、彼は持っていた。その前にはどんな美醜も霞んでしまい、最初こそ取り沙汰されていた美貌の噂もすぐに消え果てた。

 彼の力は脅威だった。それはちからだった。プロとして在る以上、彼の外見なぞに構ってはいられなかった。

 要するに、彼はそういう存在なのだ。そして自分はそうではない、とただそれだけの事実を桜野は認めかねている。認めてしまって、親父共の茶番劇に本気で喜ぶようになってしまったら、きっと棋士として何か大切なものをなくしてしまう。桜野はそう思う。

 大丈夫、お世辞に笑うたびに咽喉の痛みがきっとそれを憶い出させてくれる。そう呟いて、のどあめの袋を投げ捨てた。

和谷:食べ物は大事にしなきゃ!

026:The World

「あかりー、占ってあげる!」

 突如クラスメイトに呼びかけられ、何事かと人の集まっている席を見遣れば、タロットカードが並べられている。

「一枚引いて!」

 つい目の前に出されてしまったカードの束を、思わず言われたとおりにしてしまう。反射に近かった。

「あ。世界だね」

 黒と白の蛇が絡み合った図柄だった。世界蛇の意匠だろうか。ぼんやりとそんなことを考えていると、どうやら解析が始められてしまうらしい。

「い、いいよ、そんなのしなくて」

「どうして?」

「だって」

 占いで予想できるような世界なんてほしくないから。

 その言葉が音になったかどうかはわからない。

越智:占いだなんてそんな非科学的なものに頼る人間の心理はわからないね。

027:電光掲示板

和谷:……「物書きさんに100のお題」?

028:菜の花

 中学生の頃、東京に引越してきて初めて彼女は、雛祭りというものを知った。たま子の生まれた地域は、絢爛豪華な雛人形を飾り立てたりすることはない。男女一対の木と紙でできたお粗末なヒトガタを、川に流して罪を祓う、穢れ払いの祭礼だった。

 自分の罪を被って流れゆく人形。子供心に恐ろしく思ったものだ、あれは自分の半身が殺されてゆくのだ、と。

 昔に言うところの厄災とは違うものだとわかりながらも、たま子はヒトに罪を捨ててほしくないとおもう。積み重なってゆく罪を見詰めてこそ、その先に誇れる自分を見付けてほしいと、教師として切におもう。それを罪として捨て去ろうとするのは所詮は遠い他人であり、寧ろその罪を被る近しい人こそ、罪をも含めて許容してくれるものだ。

 先日、たま子の教え子がひとり、学校の部を去っていった。部活というよりは同好会に近い囲碁部だったが、そんな何の環境もないような場所でも、見付けることのできる子は見付けてしまうのだ。その子供はプロになるのだと、そう言ってたま子の瞳を真っ直ぐに見詰めた。

 彼に誘われて囲碁部に入った子も多い。浴びせられる戸惑いと非難と、それでも自分の意思を曲げるのことのできなかった罪深い子供は、周囲の皆に許されていた。プロになって頑張るのだと、皆に信じられていた。それだけの力を、皆に見せ付けたのだという。

 その子供は、雛など流しはしなかったのだ。自分の罪を丸ごと受け入れて、その上で許してくれと言う傲慢。それを言うことにより負うだろう疵も痛みも抱え込んで、やりたいことをやらなければならないこととすることは、毎年ひいなを神棚に飾るようなものだ。見るたびに思い出すそれは、美しくも綺麗でもないだろうが、それを生き様と言わずして何と言おう。

 世の中のすべてを捨てて世の中のすべてを手に入れそうな気配をもたげさせて、生きることの責任を負うことを、子供達に知ってもらいたいものだと、それはたま子の願いだ。

 ふと、件の進藤ヒカルの声が聞こえたような気がして、見遣った窓の外には、きいろい菜の花が風に揺らいでいた。

三谷:……フン。勝手にしやがれ。

029:デルタ

 おんなの身体はまるいものだとヒカルは思い込んでいたが、初めて抱いた少女の身体は痩せていて、何処も彼処もとんがっていた。いたい。尖った骨が当たって、ヒカルは冷めた頭でそうおもう。

 その尖りきった角で構成された身体、中心にある正三角形に自らの身体を割り入れて、ああ痛いとヒカルはおもう。

 癒されることのないまるくまろい想い出。それに押しつぶされて、尖った三角は痛々しい生の声を発した。

冴木:……進藤は、丸でも三角でもなく、四角じゃないと駄目な気がするんだけどな、何となく。

030:通勤電車

 思えば通勤電車というものに縁がなかった。学校は当然のように徒歩で行ける公立、棋士になってからはラッシュ時にぶつかったこともなく、一般的な社会人からは程遠いのだなぁと妙に感心してヒカルは己が身を振り返る。

 周りには人、ひと、ヒト。もはや相手を生きている人間とも認識できないほどに溢れかえる、人という物体。厭な仕事にぶつかったなぁと内心ぼやく。仕事内容自体はともかく、この満員電車はとてもではないが戴けない、とひとつちいさく溜息を吐いたヒカルの視界の端をかすめた、確かなヒト。

 大人になりきらぬほそい腕で老婆を負ぶっていた。階段の上で彼女を降ろすと、今度は迷子か泣いている子供を見付け、何やらしゃがみ込んで宥めている。低い位置に来た姿で視界に留められずに流れゆく人々になかば蹴られつつも子供を庇っている。

 何をやっているのだろうあのイキモノは。それがヒカルの正直な感想だった。普段あれだけ棋士仲間をヒトとも思わぬかのような態度で記憶の端にも留めないくせに、普通の人間ならば無視するようなこんな場面でヒトを人と認識する。

 今の彼には闘志がない。普段、それはヒカルの知る普段として、碁盤の前で相手を捻じ伏せようとするあの光り輝くような好戦的な覇気は、今の彼には欠片も見受けられはしない。つまりはそういうことなのだ、とヒカルは認識する。優しくしてもまるで困らない見知らぬ相手には、最初ヒカルに出逢ったときそうだったように、彼は優しいお人好しで在れるのだ。

 なんて虚ろな慈しみ! ヒカルは鼻で笑う。暖かな気持ちをもらった小六の最初の出来事さえ忘れた振りをして、そうしてその空虚に時に助けられていることさえ忘れて、それでもヒカルは碁盤の前の宿敵を誰より肯定しようとする。

 オマエこれから仕事だろ、何やってんだよ。そう頭を小突きに突き出した腕で、知らず囲った裡の世界ではまいごのこどもが二人、戸惑ったようにヒカルを見上げてきて、何やってんだよ、ともっと惑いを含んだ声色でこどもは泣いた。

アキラ:進藤……迷子になったのか?

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