牙を剥くアキラ 第五局

Novel

「アキラ君!」

「奥の空いてるところ、借りるね」

 進藤ヒカルを追って飛び出していったアキラが、彼を連れて碁会所に戻ってきた時分はちょうど雨脚の強い頃で、こども二人は濡れ鼠も良いところであったが、アキラはと言えば凛と眸を煌めかせ、王の風格で以て毅然とそれを感じさせなかった。

 思えばアキラは常に厳然と、また端然とした体で、晴美は彼が声を荒げるところさえ見たことがなかった。

 ほんの子供の頃から、女の子のように愛らしい顔で彼はいつも穏やかに厳かに、踏み込みが許されないかのように笑んでおり、それは幸せだから自然と湧き出る微笑というより、そうすべきであると彼が知っているからそう在るのだと、付き合ってゆくうちにわかった。

 塔矢行洋の家庭に在るということは、そういうことなのだ、と晴美が悟ったのは、アキラの母親、つまり行洋の妻に逢ったときである。彼女はアキラによく似たかんばせをけぶるように花やがせ、彼と同じ柔和な微笑みで行洋の後ろに控えていた。

 とりわけ引き立てるつもりでそう居るのではないのかもしれないが、塔矢行洋という圧倒的な存在感の前に、彼等は行洋の従属物である自分を受け入れているのだ、と晴美は思った。彼等はまず自分自身である以前に、他人から行洋の妻、行洋の息子と、見られるのだろうことは想像に難くない。そしてその期待を裏切ることは、塔矢行洋というブランドのイメージを汚すことに繋がるのだと、気付かない愚かしさがあったのならば、まだこの花達は笑っていなかったかもしれないのに、と晴美は眉を下げる。

 少なくとも明子夫人のほうはかなり恣意的に行っているのだということが、所謂同じ見られる立場の女の勘なるところの代物で知れたが、アキラはどうであろうと考えると、晴美は胸が痛む。聡い子供だ、既にして人生の中で大事にすべきものを決めており、それ以外のことに割く時間を表に出さず厭う。詰まるところ、内面何を思おうとも表面上微笑んで受け流すことは彼にとってどうでも良い事柄に属する行為であり、だからこそ良い子の息子であることを自分にも他人にも許容している。演技ではない、完璧なまでの礼節と温雅と節制と正義は、周囲に求められるのが初めであったやもしれないが、もはや彼自身の裡に内面化されており、完全にアキラは塔矢行洋の周囲にできあがる社会に調和していたと言って良い。彼は礼節の人だった。温雅な人だった、節制の人だった、正義の人だった。もはや誰に求められずとも、アキラ自身が己に対しそれを望み、そしてそうで在ったのだ。

 それは或いは強烈な個性であると言えなくもなかったが、そしてその人生をアキラ自身が選んできたのだと言って差し支えなかったが、明子とアキラが違う点は、彼女が外の世界からその世界に飛び込んだということであり、彼は生まれ落ちた世界がそうであったということである。アキラにとって塔矢行洋は倫理であり宗教であり道徳であり哲学であり法律であり、つまり侵さざる聖なる天蓋であり、その完璧に近い自明を疑うことの難しさは簡単に知れる。そもそも彼は、そこに論を俟たぬ自明が存在するのだということすら自覚してはおらぬだろう。彼は父親を愛していた。無意識化に潜む暗黙の了解を疑うためには、比較するための外の世界、即ち父親以上に彼に影響を与え得る相手が必要なのである。

 言うなれば、鏡。己の姿を映し出し、しかもそれに違和感を抱かせ自らの姿に疑問を抱かせる、巧妙な鏡が必要なのである。明子にとっては或いは行洋自身が鏡であったのかもしれないが、アキラには鏡がない。そもそも鏡のない世界に生まれ落ち、鏡のないことを意識さえしておらぬ。

 だが確実に、アキラが鏡となり得るところのものを欲しているのだろうことは、晴美と芦原の間で共通の認識であった。アキラが何故未だプロとなっていないのか、だがそれでもプロになるしかないと思われるのか、それらの問いは同じ処に行き着く。

 彼はプロになってもつまらないままであろう。彼は飽いていた、何にと明確に答えの出せぬところで、彼は常につまらないと感じていた。彼の膿みの正体は、彼自身にはわからずとも、彼の友人と言いたくなる立場の、晴美や芦原には何となく理解できたのである。

 彼に彼の中の塔矢行洋という世界を壊してほしいと望むのは、こちらの傲慢かもしれないとは思う。彼は既に人生に於て碁の中に幸福を見付けている、なのにそれ以上を望んでほしいと思うのは、彼自身が何やらぼんやりと欲しているところのもの、訳もわからず暴れ出したがっているもうひとつの彼の自我、そんなものを、友人として何とはなしに感じ取るからである。

 アキラにとって、塔矢行洋は完璧なる世界であった、そこで彼は完全に満たされ満足していた、なればこその不満。父親というものが、息子にとって必ずしも乗り越えなければならないものということはあるまいが、そこに寸分違わず当て嵌まってしまうことは、たとえその枠が果てしもなく広かったとしても、彼の中にあるもっともっと大きいかもしれない可能性を、押し込めてしまうことにはならないだろうか。

 元々の枠が狭ければ、通常こんなことは考えずとも済む。子供が暴れて手足を伸ばせば、それだけで弱々しい形骸は壊れる。

 枠の立派すぎた代償は、この如才無さすぎる美しき孤高であった。

 先日訪れた、こども名人戦で優勝したという子供。恐らくアキラの同年代としてはトップの部類に入ろうが、まるで相手にならなかった。子供では、アキラに揺さ振りを掛けることができない。そしてそれはまた、大人でも無理である。

 アキラを動かすことのできる唯一の手段は碁であり、また、子供であるアキラを打ち負かして当然の強い大人では、彼の無意識の自明を打ち破ることはできない。アキラにとって当り前の世界である、塔矢行洋という世界の証でもあるアキラの碁を、その強さを、否定できるほどの何かは、アキラにその世界だけで本当に良いのかと問いかけアキラを解き放つ相手は、アキラと同程度以上に打つことのできる、且つアキラと全く別の生き方をしてきた、それでいてアキラ以上の経験を経てはおらぬ人間でなければならなかった。

 端的に言えば、努力なしにアキラに打ち勝てる、天に才を与えられし子供。

 真っ直ぐ真っ直ぐ、父親の背中を見詰め真っ直ぐに苦しみも厭わず歩みを止めなかったアキラの生き様以外に、碁打ちとしての彼にも辿ってくる道もあったのではないかと、アキラに対し見せつけることのできる人間。

 居たら奇跡だ、と晴美は思う。アキラは頂点に立つことが約束された人間であり、その努力も惜しまず、また実力も伴っていた。父親への敬愛を土台に、精進はアキラの最たる願いでもあり、十年間の努力の結晶が、たとえ努力あったとしても他の子供の追随を不可能としている。

 せめて彼の友人で居たいと望む。自分や芦原ではアキラを突き崩すことができないと知ればこそ、それでも自分達に向ける笑顔は心からのものであると信じる。そうでなければ、なにひとつ欠けたるところのない彼の孤独を誰が知るというのだろう。彼は全く可哀相などという存在ではなかった、憐れまれるべき存在などではなかった、なればこそ。相談など受けることもないだろう、弱った際に頼りにされることもないだろう、それでも。

 それは晴美の決意であった。アキラと共に在るための、決意であった。

 彼の世界が壊れる瞬間を望みながらも、壊れることなくこのまま碁界をたったひとりで背負うようになるのだろう子供のそばにずっと居られることを望む。

 どちらにしろ望もうと望むまいとそうなるのだろうという予測は、だがひょっとしたらもはや壊れているのではないかと今、思った。否、予感はあった。

 この、金色の子供がアキラの前に現れた瞬間から。

 その子供は今、アキラの後ろに渋々といった体でついてきていた。こちらはまさに濡れ鼠といった体で、見るからに情無い面持ちも隠さずに、憮然とアキラの背中を見詰めている。

 進藤ヒカルという、アキラを破った奇妙な子供が、もしかしたら今、日本棋院に行っているかもしれないことを告げたのは晴美であったが、よもやアキラが本当に彼と出逢い、しかも掴まえてくるとは、まるで予想もしていなかったと言って良い。

 ヒカルのほうはヒカルのほうで、晴美が囲碁大会のチラシを見せたときには全く興味もない様子であったし、仮に囲碁大会に来ていたとして、会える可能性は万に一つと思われた。アキラのほうとしても、そもそもからしてヒカルを追ってアキラが碁会所を飛び出していったこと、そのものが驚くべき事柄である上、アキラがそこから、相手が厭そうな様子をしているにも関わらず引っ張ってくるなどということは、彼の性格から考えたら、青天の霹靂に等しい。

 ヒカルとの対局ののち、アキラは毎日のようにその一局を険しい貌で並べていたので、仕事の合間に覗くだけの晴美まで、その棋譜は頭に入っている。確かに玄妙であった。アキラが恋うる気持ちもわかる内容の碁であったが、それにしてもアキラの表情は今、あまりに取り繕うことを忘れた体である。

 打っている最中以外に、彼が、恐らくこれがアキラの本性なのであろうという表情を見せることは、皆無と言って良い。神様の気紛れのようなヒカルとの相対ののち、確かにアキラには余裕がなくなっていたが、今のような峻烈な厳しさは、怒りの如き険しい表情は、ここに来るまでに何事かあったのだろうと、晴美に察せさせるに充分であった。

 ただそんな、たかが何事か、でアキラを怒らせることができるということが、そもそも想像の埒外である。誰が彼に何をしたら、彼の逆鱗に触れることができるのか、晴美には想像も付かず、それが故に事の大きさを予感させ、ふたりの薄い背中を固唾を呑んで見送った。

「どうぞ座って」

 ずらりと並んだ観客の壁に邪魔をされ、恐らく席に着いたのだろうふたりの姿は、もはや晴美の居る場所、受付からは見えなかったが、声だけは聞こえてきた。アキラ自身も戸惑いを感じているかのようなかたいこえ、奇妙な説明。進藤ヒカルは、やはりニギりもコミも知らぬ初心者であるようだった。

 そう、あの一局が初心者の偶然ではないのだとしたら、それこそ晴美は神なる存在を信じても良いとさえ思えるほどである。それはアキラとて同様であろう、あの子供がアキラと同程度に努力してきたとは、アキラ自身が晴美よりも信じられぬはずである。

 そのような初心者に、あの塔矢アキラが、何に心動かされ、何を拘ってここまで連れてきたというのか。寧ろだからこそ確認せずにはいられなかったのであろうか、神などおらぬことを、或いは奇跡の奔流を。その時点でもはや世界は疑われている。

「じゃ……お願いします」

「え? あ……お、お願いします」

 彼が弱かろうと、或いは逆に強かろうと、もはやアキラが傷付くのは目に見えていた。強きを求めても得られぬほどにアキラは強く、万が一奇跡が起きたとしたら、それはアキラの人生の全否定である。

 晴美はその崩壊を望んでいたはずである。にもかかわらず、それは決して起こり得ないことなのだと、そこで思考停止していた己に気付き、実際に起りつつある今、恐怖している自分に愕然とした。そして唐突に、自分がアキラに対し抱いた哀切の正体に思い至る。

 何かに期待することも許されぬ孤高。それが塔矢アキラの正体だった。

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