神の一手になぞ何の興味も示さなかった子供は、だが否応無しに碁を打たざるを得ない状態になっていた。
所謂霊障。碁など興味の持てないヒカルには打つ気などない、と知ったときの佐為の感情は凄まじく、甚だしく猛り、台風に荒れる竹の如く撓り、反動はヒカルに返った。
身を焦がすかのような激情というものを、弱冠十二にして知ることとなった少年は、授業も受けられぬほどの嘔吐感にそれを還元することになった。
「何をしたテメーッ!」
(な、何もしてません何もっ……。碁を打てないという私の哀しみが、あなたの意識を包んだだけです)
それでいちいち吐かされていたのでは堪らないとばかりにおざなりに打つことを受諾したヒカルに、だがそれでも佐為は嬉しそうである。打てればそれがすべてであった。そしてヒカルはと言えば、佐為に打たせて祖父から小遣いをせしめようという魂胆であり、似たり寄ったりなのはむべなるかな。
だがそれ以上に、ヒカルが自分の感情というものに怯えているらしいことに、佐為は気付き、その湿気じみた怯えを、膨らむ袖で払うことになった。こどもは知らない。こどもはひとつの望みが叶わなくとも、すぐ他の対象に興味を移す。興味の拡散、欲望の希薄、多岐に渡る欲求、そしてその多様なる興味の収束と終着点を知らぬ、そんな特徴を持つ生き物が子供である、と佐為は認識していた。
たかが碁が打てないだけでそこまで悲嘆にくれるという、その事実そのものに、ヒカルはどうやら怯えている。彼の見据える先は一点ではなく、四方八方、首を回して世界を見ている。未だ彼の四方には無限の世界が広がっており、本人もそれを望んでいる。
だからヒカルには佐為が理解できぬ。
碁に興味がないという理由からではない。対象が碁ではなく、たとえヒカルにとっても興味を惹かれるものだったとて、ヒカルは佐為の渇望に怯えたであろう。それのみに従事し、己が才をすべてそれに注ぎ込み、無限の世界を否定して、ひとつごとに奉仕できぬことを嘆く。
一途さにおびえるこども。彼はそんな真摯な愁嘆など見たくはないのだ。そんなものが存在することすら認めたくはないのだ。だからこそいっそ対局を佐為に許さねばならぬこどもの矛盾に、それでも佐為は感謝し、彼のちいさな震えに気付かぬ振りをし、そして無言で罪悪感を重ねた。
謝ったとしても、消すことなど決してできぬ餓えを身の裡に飼っていることを、この幽霊は承知している。もはやヒカルに対する言い訳など、しても自己満足にすらならなかった。
ただ対局を喜ぶ振りで、ヒカルの後ろを歩く。ひくい背。ほそい身体。見下ろして歩くこの頭が、いつしか見上げるようになったとしても、佐為は抑え付けるが如きにヒカルの欲望を喰い続けるしかない。
喰い続け、奪い続け、ひょっとしたら虎次郎を殺したのも自分ではないかと佐為は思っている。心労で弱ったところに病が襲いかかったのではないと誰に言えよう。殺したのかもしれぬ。そうは思う、だがそこまでである。そこまでしか佐為は考えないようにしている。
それでも佐為は打ち続けなければならない。虎次郎を、ヒカルを、殺し続けねばならぬ身なればこそ、尚のこと。
碁を嗜むというヒカルの祖父は、子供の興味の希薄さをよく理解した上で、それでも孫と盤を囲めるかもしれない期待に目を輝かせていた。よく似ているかもしれぬ、と口角を上げる。
「身体はもう良いのか? ワシゃ吃驚したぞ、いきなりあかりちゃんが飛び込んできて、ヒカルが倒れた大変だって言うもんだから、そりゃもう……」
「見ろよホラ! もう元気、元気!」
「今日は何の用だ? ばあさんは今、買い物でおらんが」
「ふっふっふ、実はね、じーちゃん。オレ、碁憶えたんだ。じーちゃんに勝ったら千円くれる?」
「碁? おおっ、おまえ憶えたのか?」
憶えてなどおらぬ。だがそれでもヒカルは打てるし、佐為も打てる。
打てるのだ。たとえヒカルの肉体を介してであっても。
涙が零れた、そのとき。
ふと、ヒカルが顔を上げた。
佐為の涙に、上を向いた。
こどもが己に向けたひどく優しい眸の色に、初めて。佐為は初めてたじろいだと言って良い。
それは許容であった。ただ受容であった。
ゆらぐでもなく、悼むでもなく、こどもの眸はひたひたと寛容を湛え、恐らく彼のほうとしても初めて、正面から佐為を見たのではなかろうか。微笑みとさえ見える、そのひとみ。
このこどもが。たかが佐為の泣き言に怯えたこのこどもが。
ひどく狼狽し、信じられぬ思いで見詰めたこどもの視線のむこうで、ヒカルの祖父が放った第一手に、だが意識を持っていかれて佐為の、一瞬感じた恐怖にも近いヒカルに対する驚愕は霧散した。
(……第一手が星ですか)
『星?』
(盤面を見てください、九つの黒い点があるでしょう)
『九つの黒い点?』
(それが星です。第一手が星など、秀策の時代には考えられない)
この百四十年に色々と研究されてきたのであろう。ヒカルのほうはその事実に動じていたが、佐為はといえば驚喜に笑みを隠せない。
碁盤とは陰陽五行を映した世界の縮尺図である。世界の理を映し出すための、元は占者が用いた神器であったとも言われる。碁を打つとは即ち、白の陽、黒の陰を道ある陰陽の交差点に置いてゆくことで、世界を見る行為である。
神をも畏れぬ行為と言わば言え。或いは神の声を聞き正道を全うする者。それを千年の長きに渡り続けてきた、つまりはそれが佐為である。
その佐為が、一瞬とは言えただの子供に恐怖した。
ただのこども。果して。
のちにヒカルは言うこととなる。
――碁盤には九つの星があるだろ? ここ、宇宙なんだ。オレは神様になるんだよ。この碁盤の上で。