SeeD試験合格者には個室が与えられる。クラスでのSeeD就任挨拶ののち、スコール達四人には私物をまとめて個室に移るよう指示が出た。元々寮住まいの生徒達にとって私物はそう多いものではないが、それでも引っ越しが完了する頃には、外はすっかり暗くなっていた。
それぞれの新しい個室には真新しいSeeDの制服が最初から掛けてあり、合格発表前から教師陣が用意をしていたのだろうことが知れる。糊の良く利いた、まだ硬いその制服に身を通し、スコールは引っ越しを手伝ってくれたサイファーのことを考える。
SeeD認定式後、勝手に定めた教室の定位置でふんぞり返っていたサイファーは、まだ懲罰房に入っていたわけではなかったらしい。クラスの違うニーダを除くスコール達三人が教室に入ってきたとき、真っ先に拍手を寄越したのがサイファーだった。そして引っ越しの手伝い。およそサイファーらしくない行動に見えた。
(受からないんじゃなくてもしかしたら、受かってSeeDになりたくないだけなのかもしれない)
服装違反、命令違反。ここまではいつもどおり。持ち場放棄? わからない、サイファーと一緒に試験を受けるのは初めてだ。班員を置いて勝手に帰る? これは多分いつもどおりじゃない。拍手は? 奴は毎回SeeD試験合格者にしていたか? そもそも毎回ちゃんと教室に居たか? 自分は?
……憶い出せない。
(あんた……それ着けて、何処もおかしくなってないか? 体調やら記憶やら)
他ガーデンや軍資関係者の間で、バラム・ガーデン及びSeeDに対する批判の一環として、まことしやかに囁かれてる噂がある。ガーディアン・フォースが使用者の記憶を喰うという。
頭を振った。いずれ噂が本当だとしても、もはや己では忘れたことすら感知できないほどに忘れていることだろう。考えても詮無いことだ。
私服をハンガに吊るし、SeeD就任パーティの開かれるダンスフロアへと向かった。
SeeD服やソワレを纏った男女が溢れているパーティ会場。スコールはこのような騒がしい場所が苦手だった。人の目に付かぬよう壁の花をしていると、ゼルとセルフィの姿を見付けて、迂闊にもホッとしてしまう。ホッとしてしまったことを隠すため、殊更無表情を装った。
「よっ。お互い引っ越しお疲れさん。ってもオレはまだ終わってないんだ、これが」
片手にチキンをしっかりと握ってハーブの匂いを漂わせながら、大口を開けて笑うゼルはSeeDになっても相変わらずのようだ。
「わー大変。手伝いに行ってあげよっか」
セルフィと言えば、これまた片手に持った皿の上には料理が山盛りだ。軽く眉間を押さえて、スコールも通りかかったホールスタッフから、炭酸飲料のグラスを受け取った。
「おっ。良いのか?」
「あたし、転校したときの荷物解かないまま引っ越しだもん。楽ラク。結局相部屋の子と会えなかったー!」
「そ、それは……。ま、手伝ってくれるなら嬉しいけどよ」
「代わりに学園祭実行委員に……!」
「あ、やっぱオレ一人でやるから。じゃっ」
「ぶーっ」
この場でまだ勧誘するのか。一人で逃げたゼルを恨めしげに見送って、スコールは攻撃に備えた。
「ねぇねぇ、スコールも学園実行委員会にー」
「……」
「時々手伝ってくれるだけでオーケーだから。ね?」
胡散臭げに半眼でセルフィを見遣る。
「本当に手伝いだけで――」
「済む済む! むしろ手伝い以外の仕事を取られたくない感じ?」
わざわざなりたがるくらいだ、恐らく嘘は言っていないのだろう。諸手を挙げて降参した。
「……了解。暇なときだけで良いなら」
「わ、マジマジ? ありがとー!」
ぴょんこぴょんこと飛び跳ねてセルフィは感謝の意を表した。つもり、らしい。女子の感情表現はスコールにはよくわからない。
グラスを飲み干してセルフィの視線の高さまで持ち上げた。
「代わりに片付けておいてくれ」
「お安いごよーです!」
スコールの手からグラスを取ってセルフィが駆けてゆく。皿に盛った食べ物が零れても知らないぞ、と溜息を吐いて天を見上げた。
ホールの天井は全面ガラス張り。都会とは言えないバラムの片隅では、室内の明かりとガラス越しにでも星空がよく見え、月を背景にして流れる彗星が見て取れるほどだ。
流れ星に合わせてスコールも視線を落とす。と、ふとフロアに立っていた一人と目が合った。今度こそ知らない相手、のはずだが、彼女は目が合うと人懐こく笑って見せ、人差し指を天に向けた。果してどういう意味だろうか。
知らず首を傾げると、何故か彼女は近付いてくる。もしかして、また自分の知らない知り合いだろうか、と身構えた。それでなくとも、興味のない人物の顔を憶えるのが苦手な自信はある。クリーム色のワンピースに黒髪の女子。胸元には指輪を通した銀の細い鎖が揺れている。せめてSeeDかそうでないかの判別のためにSeeD服着用は義務付けてくれ、とスコールは内心ごちた。
スコールの眼前まで近付いた彼女は、俯いてしまったスコールの顔を覗き込むようにして膝を曲げると、人懐こく微笑んだ。
「君が一番格好良いね」
……どう解釈して良い言葉だろう。スコールが固まっていると、手を差し出して明るくダンスを申し込んでくる。
「ね。踊ってくれない?」
フロア中央にはワルツに乗ってダンスに興じる男女が溢れかえっている。別段おかしな申し込みではない。ない、が。
「もしかして、好きな子としか踊らないってやつ?」
別に好きな相手とでも踊りたくない。スコールが黙り込んでいると、
「ふーん……」
何事かを思い付いたように、手をポンと叩き合わせた。
「わたしのことが、好きになぁる、好きになーる」
枝の先に止まったトンボを捕らえるときのように、立てた人差し指をくるくるとスコールの眼前で回し、彼女はわらった。つかまっちゃいけない。
『いつか捨てられる』
反射的におもう。朧気な記憶はいつもスコールを波立たせた。
「駄目?」
「……踊れないんだ」
そう嘘を吐くのが精一杯だった。
「だいじょうぶ大丈夫。知り合いを探してるの」
人捜しだったら尚更、ダンスなんかしてちゃマズいんじゃないのか。と思わないでもなかったが、当然スコールは口には出せなかったし、何より何か言う前に既に腕は取られていた。
フロア中央に引き摺られてゆく、その途中、壁際でシュウと一緒に居たのだろうキスティスと一瞬目が合った。
「一人じゃダンスの輪に入れないからね。中央からなら見渡せるでしょ」
右手を取られて腰に回させられる。左手は組ませられた。彼女の左手がスコールの肩に掛かる。あれよあれよという間に、これではダンスの体勢だ。果して彼女はワルツに合わせてステップを踏み始めた。成程、踊り慣れているらしいが、未だ混乱から抜け出していないスコールは、踊れないという言葉そのままに、彼女に引き摺られてたたらを踏んだ。
そうか、踊れない演技はこうすれば良いのか。いっそ今の状態を考えたくないスコールは何処か冷静に余所事を学習する。学習のしすぎで、あまりにも下手くそに彼女にぶつかってしまった。
もう、とでも言いたげに眉をひそめた女を見て昔を憶い出す。
(スコール君)
あれは、何処の誰だった?
(好き、付き合って)
顔も憶い出せない。
(一緒に居てよ)
(どうして何も言わないの?)
(何で何もしてくれないの)
(私のことなんかどうでもいいんでしょう!)
(ねぇ、何を考えてるの……)
(いいえ。失望したのよ)
『だから厭なんだ、こういうのは!』
黙って離れようとしたスコールを、だが彼女は腕を掴んで引き留める。
「ごめん、待って待って。も一回、やろ?」
なんで。さっさと失望でも何でもして離れてくれ、と半ば自棄だった。引き摺られる。音を無視する。ぶつかる。
「おい気を付けろ」
ぶつかったSeeDに叱られた。当然だと思いながらも、子供のように困り果てた貌でスコールは視線を落としかけ、視線が合った。
先程、流れ星に沿って視線を落としたときのように、スコールと視線を合わせて、彼女は微笑んでいる。叱られた駄目な子供を見捨てもせずに、大丈夫とでも言うかのように、
『おねえちゃんみたいに』
捨てられたくない。反射のように身体は動いていた。
『ちゃんとできれば認めてもらえる』
誰に、と考える間もなく下半身は正確にステップを踏み、上半身はおんなの身体をホールドする。彼女は多少驚いた貌をしたが、やはり踊り慣れている、遅れることもなくスコールのダンスに付いてきた。
――ねぇ、あなたはそこで相変わらずの笑顔。
聞き慣れたメロディのアレンジ曲。
――傷付いたりしないかのような。落ち込んだりしないかのような。
そんな笑顔で。
――Darling, so share with me... Your love if you have enough
だが上がった花火に目を取られた一瞬、彼女はスコールから視線を外し、何かを見付けたようだった。ああ探し人が居たのだったか、と憶い出したときには謝られていた。
「ごめん、見付かった。付き合ってくれて有難う」
手を合わせ、謝罪のポーズを見せて彼女は、スコールの脇を軽やかに抜けて駈けてゆく。捨てられた子供のように情無い貌でそれを見送ったが、視線の先に目指す誰かは見えず、いずれ彼女も視線から消えていった。
擦り抜けてゆく。いつものこと。