入り江に架けられた石造りのアーチ橋を渡ると、すぐに風景は山道登り口へと突入する。目に痛いほどだった夕暮れの赤い日差しが遮られると、急に夜が迫ってきた気がした。
山道は石畳とタイルの階段で構成されており、人工的な香りが強い。赤みを帯びた石のタイルは両端がそのまま草むらの緑に浸食されている。
「おいサイファー! ストップ、ストップって! 人!」
「あん?」
勢いよく走り抜けようとしたサイファーを、必死のゼルの声が制止する。道路脇の草に埋もれるようにして、見覚えのあるオリーブ色の軍服を着込んだ男が座り込んでいた。ドール兵だ。スコールと目が合う。
大した怪我はしていないようだったが、近寄って回復魔法を掛けると、頭を下げられた。
「ありがとう。おまえさんたち、ガーデン生か?」
山間部に配置されたドール軍にも、SeeDの出動は知らされているらしい。ならば話は早かった。
「ああ。SeeD候補生だ。何があった?」
下心があって助けたわけではないが、状況が聞き出せるのならばそれに超したことはない。
「いや、こっちも何が何だか……どうやらガルバディア軍の本当の目的は市街地じゃなくて、この上の電波塔らしくて、奴等がもう入り込んでる」
「? 電波塔にはドールの人は立て籠もってないのか?」
「いや、無人だ」
電波塔にドールの重要人物が居るなどという理由ではなかったらしい。スコールが首を傾げると、慌ててドール兵は言葉を足した。
「いやだってな、あそこはもう俺が子供の頃には閉鎖されててなぁ、人を置く価値も」
「電波障害」
「そうそう、それ。ガルバディアも一体、今更電波塔に何の用だろうなぁ……」
電波障害。十七年前、突如として起こったそれの原因は未だに不明だが、そのために現在まで電波無線が使用不可となっていることだけは事実である。それまではアナログにしろデジタルにしろ地上波による文化も発達していたのだが、唐突に始まった輻輳にも似たノイズのために停波を余儀なくされ、世界は急遽有線ネットワーク通信を整備せざるを得なくなった。
要するに、電波塔の施設自体が機能していたとしても、電波そのものが使用不可能である。まさに「何の用」でそんな場所を目標としたのか、今迄の材料ではこれ以上の推測は不可能のようだ。
しかしスコール達にとっての当面の問題は、ガルバディア軍が既に目的のものを手に入れてしまったのだとしたら、その存在をSeeDに知らせるという選択肢がなくなってしまったということだった。つまりサイファーの判断に従ったことで、ガーデンの指令に背くことになる可能性が高くなったということだ。
「おい、もう良いだろ。行くぞ」
「自軍まで辿り着けるか?」
サイファーが焦れて急かしてきたので、会話を切り上げることにしてスコールは、そのドール兵の様子を窺う。身体は支障ないだろう。
「俺は大丈夫だが、あんたたち行くなら気を付けろ。電波塔はそもそもモンスターの巣窟なんだ」
「そりゃめんど――」
「お楽しみが増えたな」
ゼルの言葉を遮ってサイファーが楽しそうにわらう。気圧されてかドール兵は若干引いたようで、スコールは溜息を吐いた。引きたいのはこっちだ。無論サイファーに対してである。
「さあ、行くぞ!」
駆けだしたサイファーを一旦無視してスコールは件のドール兵に敬礼した。SeeD式の敬礼だったが、ドール兵にも伝わったようだ、ドール軍の敬礼を以て返された。ゼルが慌てて倣う。
しかし、すぐにでもサイファーを追おうという予定は、上から落ちてきた声によって崩された。
「みぃーつけた! ……たったったっ、っきゃー!」
「っはいぃい?」
迫ってくる悲鳴と、悲鳴の落下地点と推測されるドール兵、両方の叫び声に挟まれてスコールは耳を押さえたくなったが、取り敢えずそんな暢気な状況ではないだろう。耳に持ってゆく代わりに額に手を翳して詠唱した。
「レビテト」
浮遊の魔法の発動に、上の崖から落ちてきた身体が緩慢に停止する。黄色いリボンの制服を着込んだ見覚えのあるかお。落下に伴ってちらちらと視界を掠めた見覚えのある――
『……白』
「た、助かった……」
あわやセルフィに潰されかけた、先程まで怪我人だったドール兵が、身体を引き摺るようにして歩道へと避難する。見届けてから魔法を解除すると、ふよふよと漂っていたその物体もとい人間は重力を取り戻した。
「っと……ごめんなさい、大丈夫でした? スコールもー、有難う」
スコールの後ろに隠れたドール兵は、地面に降りたったセルフィの笑顔に恐る恐る頷くと、スコールを見上げる。ゼルにも見詰められている。説明を求められていることがわかっても、何をどう答えて良いのか、スコールにもわからない。
「仲間か?」
「ダチか?」
二人の微妙な問いに、だが詰まったスコールの代わりに答えたのはセルフィだった。
「あたしー、伝令です。A班のセルフィ。君達、B班だよね?」
この問いには問題なく答えられたので、ただスコールは頷いた。
「班長はサイファーだよね。キミ?」
ゼルを指してそう宣うてくれたので、指されたゼルはうろたえて必死に首を振り、
「違う違う! サイファーは校則違反の白いコートの奴。先行っちまった」
と、先程セルフィが落ちてきた二人の上方を指差した。山を登っている、と言いたいのだろう。
セルフィはわざとらしく肩を落とした。
「えー、何それ。伝令って辛いなぁ、じゃーね!」
言うや否や、駆けだした彼女の声がエコーしてゆく。「はんちょー待てぇー」という間延びした音がドップラー効果でどんどん低くなってゆく。否、間延びした口調はいつもどおりだったかもしれない。
「……えーっと、伝令内容聞いてないんだから、当然オレ達も」
「追いかけなきゃいけないんだろうな……」
恐らく撤退命令だろうと予想されるものを、どうして追いかけて敵陣に乗り込まなくてはならないのか。この様子では、先にこの山に乗り込んでいたSeeD達も疾うに撤退しているのだろう。擦れ違わなかったということは、別のルートが存在しているということだ。そして当然、こちらのルートを選んだガルバディア軍は、それを承知で増援を出したということだ。
結果、ガーデンが放り出したあと、そんなものを追ったことになる間抜けなB班という評価になる。
『最低だ……』
SeeD候補生の前途は暗い。
しかし幸いにもセルフィとサイファーは程なく見付かった。スコール達の足が速かったわけではない、二人が立ち止まってお見合いをしていたからだ。
「……?」
片手をセルフィに掴まれた状態で、恐らくは呼び止められた姿勢なのだろう、不自然に振り向いたままサイファーは固まっている。セルフィも、そんな状態にした割には口を開いてはいない。瞬間を切り取ったような不自然な体勢の二人の間には不自然な沈黙が流れていた。
「なんだ何だ、アイツらも知り合いか?」
そういえばセルフィはあのとき食堂に居たのだった。確かにスコール同様サイファーとも顔見知りになっていたとしてもおかしくはなかったが、しかし彼女は先程、サイファー・アルマシーという名と彼の顔を結びつけることすらできていなかったではないか。少なくともその程度の顔見知りでしかないはずだ。
「おい、サイファー! と、えっと伝令の……」
「セルフィ・ティルミット」
名を発したのはサイファーだった。苦い顔をしてセルフィを殆ど睨むように見詰めている。
「……サイファー?」
スコールが訝しんで呼び掛けたとき、吹き上がってきた谷風が声を拾ってきた。ガルバディア軍のようだ。
四人は素早く身を隠す。既に電波塔の付近まで登ってきていたらしい、声の主は電波塔外装部で何やら確認作業をしている兵達だった。
「発電装置稼働確認!」
「ブースタ異常なし!」
塔上部に向かって大声で叫んでいる。上官が居るのだろう。周辺にはドール兵もSeeDも見当たりはしなかった。
「何やってるんだ、アイツら」
サイファーが呟く。
「ケーブル断線箇所確認、交換作業入ります!」
「どう見ても修理だな……」
「使えもしないのに?」
本当に「何の用」であんなところを直そうとしているのか、ガルバディアのお偉いさんの考えることはわからない。わからないことを、
「ま、俺達には関係ねえか」
と、いとも容易く切って捨てたサイファーは、乗り出した身でそのまま勢いよく崖を飛び降りた。焦ったのは残された三人のほうだ。
「ええーっ? はんちょー、待てーッ!」
「ちょっ……まったこンのパタンかよ!」
当然の如くセルフィも飛び出したので、もう散々だ。てんやわんやだ。大ダメージだ。崖下のガルバディア兵達もサイファーにダメージを与えられているようではあるが、要は主にスコールとゼルの精神に大ダメージだ、ということである。
今日は何の厄日なんだ、と占いなど欠片も信じていないスコールが天を仰いだ。罰も祈りも実に軽い。こどもの軽さだ。
「……スコールぅ……」
「……ゆっくり歩いていっても罪じゃないよな?」
だからこのくらいの青臭さは許してもらおう。
スコールとゼルが優雅に到着したとき、電波塔に潜入していたガルバディア兵は、サイファーとセルフィによって粗方片付けられていた。スコール達を目に留めて、セルフィが手の代わりに巨大なヌンチャクを振り回す。これまたゼルが犠牲になりそうな獲物だ。
「遅かったねー。びょーんって飛び降りればすぐなのにぃ」
「そいつらはチキンだからな、高いところが怖いんだと」
「なっるほどー」
「成程じゃねえ!」
サイファーの言葉にセルフィが頷き、ゼルのダメージは蓄積されてゆく。全く相手にしていられない。突っ込んだら負けだ。
「金髪の鶏冠だもんね、ゼルはひよこだねー。じゃあスコールは大サービスで黒豚ヤロウ?」
「なんでポーク」
思わず突っ込む。負けてしまった。しかもサービス。
嬉しくない。がっくりと肩を落とした。
「とっとと行くぞ」
最後のガルバディア兵からガンブレードを引き抜くと、血を払いながらサイファーは、電波塔内部に足を踏み入れようとした。赤茶けた鉄製の扉は既に開いており、中からは埃と錆の据えた匂いが漂ってきている。ここが長年使われていなかったのは確かだろう。
「ちょおーっと、待ったー! B班班長! サイファー・アルマシー!」
「あん?」
敷居を跨ごうとしていたサイファーは、しかしセルフィに呼び止められて足を止め、眉間に皺を寄せて振り向いた。やっと機会を得たセルフィは、握り拳を突き出すようにして
「伝令です!」
と叫び、サイファーをまっすぐ見詰めて宣言した。
「SeeD及びSeeD候補生はヒトキューマルマルに撤収! ルブタン・ビーチに集合せよ! とのことですっ」
「撤収?」
内容は大凡スコールの推測どおりだったが、サイファーは訝しむように問う。
「まだ敵は居るんだが?」
「あたしはただの伝令だから、そーんなこと言われたって」
「ドールとガーデンの間で交渉が決裂したんだろう」
紛議に発展しそうだったサイファーとセルフィの言い争いに割って入ると、スコールは海岸を眼下見た。
「撤退は最重要命令だ。俺は船に乗り遅れたくない。限界だサイファー、戻ろう」
「何時集合だって?」
だがサイファーの身体は、言いながらも電波塔に向いており、既に敷居を乗り越えて影に浸っている。左腕は曲げられて、どうやら腕時計を確認しているようだ。
「だからぁ! SeeD及びSeeD候補生はヒトキューマルマルに海岸集合!」
「一時間ほどあるな」
は? と固まった三人を尻目に、サイファーは尚も奥の暗闇へと進む。
「行くぞ」
電波塔上層階に移動するためのリフトだろう機器に身体を預けて、ようやっとサイファーはこちらを向いた。無論撤退のためではない、スコール達に「来い」と言っているのである。
「てったい……」
「するぜ。後でな」
「しけん……」
「……スコール」
呆然と呟くゼルとセルフィを無視してスコールに向き直ると、サイファーは実に無邪気にわらった。
「おまえ、本物の戦場は初めてだろ。怖いか?」