「はい、お疲れ様。これで単位はクリアね」
ガーデンに戻って、キスティスが満足げに言った。
この時点でスコールに取り忘れた単位はない。SeeD実地試験に参加が可能になったということだ。
「あとは制服に着替えて、朝に言ったとおり十六時に一階ロビーに集合よ」
「了解」
「それじゃ、あとでね」
校舎に戻ってゆくキスティスの背中を眺めてから、スコールはその場で、入手したばかりのイフリートをジャンクションしてみた。
と、一瞬シヴァが不快な波を発したのが感じられた。持てるチカラの性質同様、恐らく相性が悪いのだろう。同時召喚は避けたほうが良さそうだと判断する。
この「ガーディアン・フォースの様子が把握できる」という能力はSeeDにとって重要で、こればかりは訓練よりも才能に因るところが大きいらしい。平たく言えば、この能力が皆無だった場合、ガーディアン・フォースが扱えず、それだけで即SeeDとしては失格である。この適性検査で選外通告を受けた者は、SeeD試験の受験資格さえないのだった。
己の努力とは無関係のところで欄外を宣告される先輩達を、幼い頃からずっと見てきた。帰る場所のないスコールはそれを見て、ああはなりたくないと戦々恐々としていた。SeeDになれないということは、どこへも帰着できないということと同義だと考えていた。
要するに恐怖心だ。強迫観念に近い。
SeeDになれなかったとしたら自分は何になるのだろうか。寒気を感じて、思考を止めた。既に正午は過ぎている。昼食でも採って夕方の試験に備えようと、足を学生食堂に向けた。
バラム・ガーデンの学食は、成長期の子供達に合わせて結構な量を提供していたが、味の点でも生徒から不満が出ることのないレベルを保っていた。
その中でも特に人気なのがパンである。余所と何が違うのか、ずっとガーデンで育ってきたスコールにはいまいち理解できないところではあったのだが、大きくなってから入寮した、或いは通いの生徒達の間では、いつもパンを巡って争奪戦が起こっている。基本的にパンは朝食としてしか入荷されないため、特に通いの生徒の間では伝説となっているらしい。
スコールなどは早起きして訓練に出ることも多いのでパンを口にする機会も結構あったが、滅多に食べる機会のない生徒に語らせると、
「そりゃおまえ、恵まれた奴は恵まれてることがわからないってやつだよ。あのパンときたら! 焼きたての馥郁たる香りがバラムの街にまで流れる始末で、俺達は毎日涙を飲んでるんだぞ?! あの香ばしい香り! 俺達に腹を空かせろと言っているのか、開いてもないガーデンのゲート前で並んでろと言うのか、ああもうでもそこまでする価値はあるよ! 天然のイーストが醸し出す複雑で重厚な味わい! 忍耐強く捏ねられて大量に均等に空気を孕んだことで生まれる肌理の細かさ! チョコボの卵とメズマライズのバターがたっぷりと入った、でもしつこすぎない濃厚な旨味! いやいやいやいやこれはブリオッシュの話だ、これがフォカッチャになると、まず天然の粗塩のミネラルが――」
……と延々と続く。理解不能だ。
そんなわけで、学食のパン売り場は時間にはいつも長蛇の列ができているが、スコールが足を伸ばした今日の昼は、既にして一人の生徒も並んではいなかった。とっくの昔に売り切れたのだろう。
代わりと言っては何だが、飲み物の自動販売機に並ぶ三人と鉢合わせてしまった。サイファーと、取り巻きの風神、雷神である。信じられないことに、この三人が年長クラスの風紀委員であった。どちらが風紀を乱しているかわかったものではない、という噂はスコールの耳にまで届いているが、別の意味でやはり問題児のスコールとしては押し黙るばかりだ。
「お、スコールじゃないかよう」
雷神がスコールを目に留めて手を挙げる。サイファーもスコールに対して遠慮無いが、雷神は別の意味で遠慮がない。
「あのよ、雷神が水奢ってくれるらしいもんよ。おまえもどう――だっだっだっ!」
風神のローキックを思い切り食らって、雷神は悶えた。
「痛いもんよ風神!」
「怒」
スコールは額を抑えて天を仰ぐ。
『わかれよ雷神、風神が俺に奢るはずないもんよ……』
うっかり言葉遣いまで移ってしまって台無しだ。サイファーのことがなくともこいつらには近付かないほうが無難だ、と通り過ぎてカウンタに並ぼうとしたとき、突進してきた何かに追い越された。
「おっばさん! まだパンある?!」
顔見知りのSeeD候補生だった。逆立った金髪と顔のタトゥーが目立ち荒っぽい印象を与えるが、肩で息をしながら必死でカウンタに縋っている様は、童顔も相俟ってとてもスコールと同い年には見えない。
「あんたねぇ、来るの遅いよ! もう売り切れちゃってるよ」
「だああ、やっぱり! ちくしょー、またやっちまったぜ!」
そういえば前のミーティングでは見当たらなかった。要するに寝坊したのだろう、彼はいつもこのような様子だ。パンを買い逃すはずである。
「出遅れは致命傷だな、こりゃ……。おばさん、また来るよー……」
肩を落として威勢なく立ち去った彼を、その場に居た皆が暫し呆然と眺めていたが、やがてサイファーが呟いた。
「ゼルの奴、速度オーバだな……」
恐らく彼が食堂にダッシュで入ってきたときのことを言っているのだろう。
「よし、校則違反の現行犯で逮捕しにいくぞ!」
「御意」
「了解だもんよ!」
と現行犯を追っていった風紀委員の面々は、だがしかしゼルよりも余程スピードを出して走っていったのだった。
『……付き合ってられないな』
溜息を吐き、ざわめく生徒達の間を抜けてカウンタへと向かった。ランチを受け取って食堂の奥へと進む。
と、そのとき声が掛かった。女のこえだ。
「あれー? スコール?」
スコールに声を掛ける人間は少ない。それが女子となると尚更である。
要するに、慣れていなかったのだ。全くそのつもりはなかったのだが、何故か押し切られて一緒に昼食を取ることになってしまった。
セルフィである。課題前の一幕を、スコールが気にしていたのも原因だったかもしれない。
「でねえ、学園祭実行委員になれたんだ! マイバンド組むのが夢なんだけど、メンバ四人……は、多いかなぁ」
「…………」
「一応昔からSeeD目指してたから、楽器は一通りできるんだけどねー、あ、勿論こっちの人達も演奏技術習得の授業、あったよね?」
「……ああ」
「良かったー、でもスコールは楽器似合うタイプじゃなさそうだねぇ、ボーカル? でも人前で歌うの苦手っぽい?」
「悪かっ」
「だったらあたしと一緒に裏方やろうよ、学祭実行委員! 元の実行委員は皆、あっちこっち戦地に行っちゃったんだって……やっぱりバラム・ガーデンは違うね」
妙にしんみりとした口調になったセルフィを見遣って、スコールは吐息した。昔はバラム・ガーデンでも学園祭は派手に行われていたようだが、今では毎年おざなりに行われるばかり。セルフィが果して何処からの転校生だったのかは先程も聞きはしなかったが、スコールにはおおよそ見当が付いた。
「トラビアは生徒が駆り出されることがないからな」
「うん、まー対外的には平和な国だからねー。でもモンスター退治は凄いよー? 例の月の涙のクレーター、未だに機械まともに動かないし……って、あれぇ? ……あたし、トラビアから来たって言ったっけ?」
口調に似合わず、なかなか洞察力に優れているようだ。初対面のときに探られたのも、恐らくそれなのだろう。
「SeeDになるために転校してくる奴は、大抵トラビアからだからな」
「ふぅん、ガルバディアはやっぱしそのまんま軍に就職が多いのかー」
食後のデザートと称して、特大ティラミスパフェをトレイに乗せていたセルフィは、既にそれの攻略に取り掛かっていた。見ているだけで胸焼けを起こしそうだ。
実際はそのお祭り騒ぎ好きの性格から判断したのだとは懸命にも口を噤んで、スコールは口許を押さえた。甘ったるい匂いが胃まで入ってきそうだ。恐らくガルバディアの生徒でも、自分と同じような反応をするだろう。実際に訪れたことはないが、校風というものは確かにあるのだろう、転校してくる生徒達にはそれぞれ特色があった。
「でもねえ。いずれ軍隊に入るとしても、ガーディアン・フォースは扱ってみたいよねぇ」
スコールは首を傾げた。SeeDになりたい理由としては、彼女の理由は少し珍しいのではないか?
そういえば、と思い直す。自分達バラム・ガーデンの生徒達は、炎の洞窟でのイフリート取得がSeeD実地試験を受けるための必須科目だが、他校生の場合にそれはあり得ない。筆記試験だけで受験可能となるのだろうか。
「今迄ガーディアン・フォースは使ったことがないんだろ? SeeD試験にもガーディアン・フォースなしで臨むのか?」
気になって尋ねてみたが、口の周りを生クリームだらけにしたセルフィから返ってきた答えは、実に妙なものだった。
「う? ガーディアン・フォースなら、さっきもらったよ?」
「……は?」
「えっとねー、ケツァルクワトルだったかな? ケツァクァトル? と、シヴァとイフリートのみっつー」
「……もらった?」
「ドローしなさいって言われたの、先生に。それで実地試験に臨みなさい、って」
『……どういうことだ?』
修行を積んでも扱えない者が多く、そもそもガーディアン・フォースを扱う機会のなかったずぶの素人が扱えるなどと、聞いたこともない。
他国、特にガルバディアでは、ガーディアン・フォース使用に多大な反発があるという。それを使われることのみならず、自分達が使用することに対しても異様な拒否を示し、バラム・ガーデンのSeeD体制を批判していた。批判の多くは因果関係の証明もされていない意識障害に関することであったが、多くが生徒の身体など気遣わない覆面教師達のこと、他校の生徒で人体実験を行っているということなど、よもやないとは信じたいが。
「あんた……それ着けて、何処もおかしくなってないか?」
「おかしく? って?」
「体調やら記憶やらだ」
と、大口を開けてパフェと格闘している人間に言うのも妙な気はしたが。
アイスクリームを掬う手を止めて、初対面のときのように、セルフィはスコールの眸を覗き込んだ。しばらく何事かを考えていたようだったが、やがてスプーンを動かす手を再開して、若干俯いたまま口を開いた。
「それ、例のガーディアン・フォース批判のやつだよね」
「……ああ」
パフェグラスの中で、柄の長い銀のスプーンがくるくると回っていて、それはセルフィの逡巡を表しているかのようだった。しばし沈黙が続くと、やがて意を決したように顔を上げる。
「こっちでは、SeeD候補生になるときに、ガーディアン・フォースの適性検査、やるでしょ? それで駄目だった人でも、一応候補生にはなって訓練を積むでしょ? 勿論訓練の結果、なお扱えなかったらSeeDにはなれないみたいだけど」
「? そうだが……」
「あたしたちのところでは、筆記試験と一緒に適性検査があるの。バラムから先生達が来てね。そんでね、多分。多分だよ? ……あたしの勝手な推測だけど」
声を落として呟くように彼女は言った。
「多分、筆記の内容じゃなくて、適性検査のほうで合格と不合格、決めてると思う」