「ちっこくちこくーう!」
「え」
教室を出たところで、胸許に衝撃を感じた。
「うっきゃー?」
「……大丈夫か?」
突進してきた勢いのまま、スコールに真っ正面からぶつかって盛大に転がった少女の下着が、まくれたミニスカートの端から覗いている。気まずくなって、普段なら掛けないような言葉を発してしまったが、その女生徒はスコールの知らない顔だった。むこうもこちらのことを知らないのだろう、何の疑問も抱かずにスコールの言葉を受け取ったようだった。
「大丈夫だよ、ごめんねえ。急いでたから」
スコールの差し出した手に掴まりながら、よいっしょ、となかなかにオバサン臭い掛け声と共に少女が立ち上がる。隣で驚いた表情のキスティスがスコールを見詰めたまま固まっていたが、敢えて黙殺した。
「あ、ねぇねぇ。もしかしてここのクラスの人? もしかしてホームルーム終わっちゃった?」
頷いたスコールに、少女は大袈裟なリアクションで頭を抱え、「がーん、しょっくぅ」などと嘆いている。擬音を発声する人間は初めて見た。「がーん」を擬音と言って良いのかどうかもスコールには判じかねたが、思わずまじまじと見てしまう。細身で小柄な身体、大きく外に跳ねた髪型。
概念は知っていても、ホームルームという言葉はバラム・ガーデンにはない。制服も真新しいし、ひょっとしてこの時期には多い転校生なのだろうか、とスコールが首を傾げていたら、隣で復活したらしいキスティスが応じていた。
「あなた、見ない顔だけど、この授業の生徒だったの?」
「うん、そう。さっき転校してきたばっかなのー。うー、だってここって前に居たガーデンより広いんだもーん」
要するに迷ったのだろう、呆れてキスティスと顔を見合わせた。今のクラスに転校してきたということはやはり、他校からSeeDになるため実地試験を受けに来た生徒だろうが、とても実力者には見えない迂闊さだ。
「このクラスに転入する、SeeD候補生ね?」
「う? そうだけど……」
「よろしく。あなたの入るSeeD候補生クラス担任の、キスティス・トゥリープです」
うぇ? と妙な声を発して少女は一瞬固まった。固まったのちにすぐ溶けて、敬礼を取ったのはさすがかもしれない。
「宜しくお願いします、このたびSeeD実地試験受験のためにバラム・ガーデンに転入しました、セルフィ・ティルミットです。遅れて申し訳ありませんでした」
「ティルミットさんね、ええ、話は聞いています」
そのままキスティスは、そのセルフィという少女に、先程のSeeD試験の話を始めてしまった。キスティスが課題のサポートに就くと決まった以上、スコールがここで一人で動いても仕方がない。諦めて二人の会話が終わるのを待った。碌々話も聞かずにそっぽを向いていたのが悪かったのか。
「ということでスコール、軽くで良いからこの子を案内してあげてちょうだいね」
「……は?」
「よっろしくねえ! えっとー、スコール?」
「は?」
「じゃ、正門で待ってるわね。ごゆっくりどうぞ」
「な」
「じゃ、とっとと行っちゃおー!」
セルフィに腕を取られた、と思ったら引き摺られて、キスティスが遠ざかってゆく。細い腕に見合わずなかなかの腕力で、さすがSeeD候補生と感心をしたが、当然そんな場合ではない。叫んだ。
「ちょっと待て!」
「はい」
引っ張っていたセルフィがやにわに止まったため、スコールは慣性の法則に従って転びそうになってしまった。ぱっと手を離される。たたらを踏む。この女、わかっててやってるんじゃなかろうか、と一瞬握ったこぶしが震えた。
「何だって?」
「あんない」
「何の?」
「ばらむがーでん」
「俺が?」
「きすてぃすせんせーがすこーるにたのむって」
絶対にさっきのでキスティスにからかわれてる。
と思っても後悔は先に立たないからこそ後悔なのである。ぱんつの代償は学園案内らしかった。
「……。……了解……」
適当に済ませて切り上げよう、と渋い表情を逸らして溜息を吐くと、セルフィの身体が動いて、逸らした顔の正面に来た。眸を覗き込まれる。じっと何かを窺うように見詰められて、スコールは狼狽した。
「何……」
「厭なら、良いよ?」
「は?」
「あたし一人で回ってくるから」
「え?」
「じゃね、ありがとー」
「ちょ」
スコールが引き留める前に駈け去ったセルフィは、曲がり角で一度振り向いて手を振り、「試験頑張ってねー!」と笑顔で叫んだかと思うと、すぐに壁の向こうに消えた。その場に取り残されたスコールはしばし呆然と佇んだが、やがて諦めたように肩を落としたのだった。
SeeD制度はバラム・ガーデンにしか存在しない。他校でも筆記試験までは受験可能だが、他校生徒がSeeDになろうと思ったら、バラム・ガーデンに転校して実地試験に合格しなければならないし、合格後もバラム・ガーデンに所属していないとSeeDとしては認められない。
他校では元々ガーディアン・フォースを扱ってはいないので、他校からの転校生はSeeD候補生レベルとはいえガーディアン・フォースを扱った経験がなく、バラム・ガーデンの候補生に比べて極端に不利になる。そのため余程のことがないと合格は難しいと聞いている。
あの少女もそのような不安を抱えて転校してきただろうに、恵まれた自分のほうが余裕をなくしているかのように案内程度を渋り、あまつさえ激励されるとは何事か。
己の未熟さを恥じた、そんな反省は今日二度目になる。
「あら、早かったじゃない」
正門でスコールを待っていたと思しきキスティスが、含みのある微笑を向けてくる。何を誤解したのか知らないが、恐らくキスティスの態度もセルフィの態度も、自分の言動がもたらした結果なのだろう。まだ痛みの残る皺の寄った眉間を手で隠し、現状を甘受した。
「お陰様で」
「さ、なら行きましょうか。炎の洞窟の場所は大丈夫ね?」
質問というよりは確認を滲ませたキスティスの問いに頷き、外へと向かう。ガーデンを出て左、地理的に言えば東の方向に位置する洞窟が、今回の課題の目標地点であった。
炎の洞窟と言っても、溶岩が流れ出していたり、木々が燃えさかっていたりするわけではない。ただその場所には昔からガーディアン・フォース「炎の魔人」ことイフリートが鎮座しており、そのせいで洞窟内の温度は高騰し、光は赫く充満していた。
つまりガーディアン・フォースの存在を抜かせば、そう深度もない洞窟で迷うこともあり得ず、出没するモンスターも弱い炎系統のものが多いため、バラム・ガーデンの生徒にとっては、氷系魔法の格好の練習場となっていた。要するにここはバラムの外部訓練場のようなものだ。生徒達はSeeD候補生となるとき、ここで必ず先輩SeeDにガーディアン・フォース、この場合はイフリートを見せられる。いずれおまえたちがSeeDとなる暁にはこのイフリートを従えるのだ、と明確な目的を与えられて。
そのときが来ている。ロウレベルガーディアン・フォースとはいえ、今迄に契約した二柱よりは攻撃力に優れた存在だ。気を引き締めたところに、キスティスが補足をしてくる。
「私がサポートするのはバトルだけよ。今後の行動はあなたがリードすること」
教師の力を借りてSeeDになっても意味はない。元より彼女のサポートは当てにはしていなかったし、実際サポートとは言っても生徒が戦闘不能に陥った際の救出くらいだろうと踏んでいたので、驚愕も落胆もなかった。
「了解」
「何の畏れもないって感じね。やっぱりあなたとサイファーは別格」
「別格?」
「本当に強いってことよ」
正直、自分達を軽く追い抜かしていったキスティスが言っても厭味にしかならないのではないか、と思わないでもなかった。第一、その強いはずのサイファーは、彼女の下で一体何度SeeD実地試験に落第しているというのだ?
頭を振って考えることをやめた。いずれ評価はキスティスだけが下すものでもない。
「行くぞ」
群がるモンスターを掃討しながらしばらく草原を進むと、じきに炎の洞窟は見えてくる。小高い丘を削り取った岩壁の腹に、子供が砂山に穴を開けたような無造作な体で、昏い入り口が広がっていた。あの奥には灼熱の炎が待ち受けている。
その入り口にはガーデンの教師が二人詰めており、生徒が無断で侵入しないように見張っている。肩越しに一瞬キスティスを振り返ると、スコールは彼等の前に出て名乗りを上げた。
「学籍番号四一二六九、スコール・レオンハート。課題のロウレベルガーディアン・フォース取得に参りました」
「私がサポートします。教員ナンバ十四、キスティス・トゥリープです」
「宜しい。自分の能力を超えた無茶もせず、同時に怠けもせず、行きなさい」
「はい」
ここに出現するモンスターの大半は、スコールにとっては無茶をする必要性も全くない程度のものだ。教師達の間を進み、程無くモンスターは襲ってきたが、全く危なげなく敵を薙ぎ払ってゆくスコールに、キスティスはただ後方で見学しているだけだった。
鍾乳洞に溜まった地下水が、赫い光を吸収して溶岩のように光っている。沸騰しているのだから実際結構な温度なのだろうが、こうして剣を振るっていても、焼け付くような暑さにSeeD候補生達が倒れることはない。ジャンクションした氷のガーディアン・フォースのためだった。
「凄いわね。ちょっと期待してたのに」
期待? キスティスの言葉にスコールが首を傾げると、
「私とここに来ると、いつもの実力を出せない生徒が多いのよ。私の魅力ってやつかしら。あなたがあたふたするところ、ちょっと見たかったのに」
などと宣うてくれた。全くふざけた教師だ。どうせ冗談だろうが、冗談だからこそ質が悪い。冗談にしたくない生徒も、中には大勢居ただろうに。
「冗談よ! リラックスしてもらおうと思ったの」
朴念仁で人付き合いの悪いスコールでさえ、トゥリープファンクラブの存在は知っている。彼等に同情するほどでもないが、自重すべきはキスティスのほうだろうと思う程度には、スコールも生徒側なのだった。
「さあ、ここからが本番よ。心の準備、オーケイ?」
最深部に差し掛かったとき、そう問われた。心の準備など疾うにできている。SeeDはスコールにとって夢でも憧れでもなく、生きるためのただ一つの手段かもしれない可能性だった。
「じゃ、行くわよ」
温泉の噴き出す最深部、そこがここ一帯で一番の魔法学的力場だ。既に契約済みであるキスティスが、イフリートを召喚する。
SeeDのサポートが必須という意味は、無論生徒の無事を守るためでもあるが、同時にイフリートを確実にこの場で実体化させる必要があるためだった。イフリートが常にこの場にも在ることは確かなのだが、メディア界に固着させるためには、既に契約した者の召喚が必要なのである。ここでスコールがイフリートを服従させれば、スコールにも召喚の許可が与えられるというわけだ。
種類が違うというわけでは決してないのだが、ガーディアン・フォースには二つの取得方法がある。一つは、既にそのガーディアン・フォースを配下に置いた人物ないしモンスターを倒して、ガーディアン・フォースに力を認めさせて自身にドローすること。そしてもう一つは、実体化したガーディアン・フォースを直接倒して、彼等に力を認めさせることである。いずれのケースにしても、以後、ガーディアン・フォースはその相手に召喚の許可を与える。
今回の場合、キスティスを倒すという選択肢は存在しない。となれば当然、ガーディアン・フォースが本来のチカラを以て当たれる場所で、即ち今回の場合は炎の洞窟の最深部で、実体化したイフリートを倒す必要があるのである。
キスティスの召喚に従って姿を現しつつあるイフリートと対峙しながら考える。力押しで戦うことは充分に可能だろうが、
『この課題の模範解答としては、やっぱりあれなんだろうな……』
イフリートが完全に姿を現し、辺りがより一層の熱に包まれる。水面がコロナのように弧を描き、氷のガーディアン・フォースと氷系魔法をジャンクションしている身であっても、大層な温度を感じた。
「我の力を求めるか人間……。ならば力を見せてみろ!」
炎に包まれたガーディアン・フォースは、如何にもそれらしく炎を放ってくる。火の玉をガンブレードで叩き落としながらスコールは、こちらも召喚を始めた。
「出でよシヴァ!」
イフリートと同じくロウレベルガーディアン・フォースであるシヴァは、氷を司っている。氷には炎を、炎には氷を。初期の初期で習う、魔法要素の対立構造である。
氷を纏って顕現した彼女は、狼狽えるイフリートに向かってダイアモンドダストを放った。
「うぬ、シヴァを従えているとは、こしゃくな人間め」
高次元的存在とはいっても、ロウレベルではガーディアン・フォースもこの世の生物に近く、愛嬌もあった。この世の理の中で活きている。そのような相手なのだという実感は、スコールの肩から力を抜かせた。
ガンブレードを握り直し、イフリートに斬りかかる。炎に紛れて鋭い爪が襲ってくるが、幸いにもと言うべきか、今朝方サイファーにそれをやられたばかりだ。慣れはあり、油断はない。かいくぐって懐に潜り込み、刃を返したかと思うとグリップに手根部を押し当て、イフリートの胸に体重を掛けてガンブレードを突き刺した。
その攻撃にイフリートは低く一声啼くと、グズグズとくずおれていった。焔色のエネルギーが身体から洩れ出している。これで終わりだ。
消えゆく仮の姿のむこうに、スコールは真のこえを聞いた。
「よかろう、人間よ。我の力を貸してやろう」