要するに子供の喧嘩だったのだ。
サイファーとの訓練なんていつもそんなものに過ぎなくて、或いは非常に好意的に言えば子供のじゃれ合いに過ぎなくて、だからスコールはサイファーの攻撃にいつだって緊張をなど抱いたことはなかったのだ。
それがまずかった。サイファーが魔法を撒き餌とした攻撃を持っていることは知識としては知ってはいたが、彼がスコール相手にそれを使ったのは初めてだったので、まぁつまりは油断していたのだ。
額に走る熱。切られたのだ、とわかった次の瞬間には闘志が掻き立てられていた。地面を物ともせず、ガンブレードを振り上げる。サイファーの額を切った、そんな感覚も馴染みのもので、いつもどおりの日常だった。
意識があったのはそこまで。
「大丈夫……だね?」
目が覚めて真っ先に目に入ったのは、眩しいばかりの白衣のしろだった。
「……はい」
「あんまり無茶するんじゃないよ。ん、目付きもしっかりしてきたね」
保健室にお世話になるのも普段と変わらず、保険医のカドワキ先生とはもはや馴染みであった。サイファーはいない。大方自分を運んできてそのまま消えたのだろうとおもう。
「訓練のときは少し手加減したら? そのうちとんでもないことになるよ?」
「……サイファーに言ってください」
「あの子はねぇ……何を言っても無駄ってやつだね」
そのとおりだ。内心頷く。そして多分自分も同じだ。
「相手しなけりゃいいんじゃないの?」
「逃げるわけにはいかないから」
「格好つけたいお年頃なんだねぇ」
若干ムッとして眉をひそめれば、老練な先生には笑われるばかりだ。
「まぁ程々にしておきなさいよ。さて……と、キスティスに連絡するからちょっと待ってなさい」
そうしてカドワキが担当教官に連絡を取るのもいつものことだ。彼女達の電話をドアのむこうに聞きながら、スコールは首を傾げた。
いつもどおり。
ほんの少し違ったことと言えば、今日がスコールにとって初めてのSeeD実地試験になったということ、そして、
「スコール……また会えたね」
謎の女子に出逢ったことくらいだった。
パーティションの向こう、硝子越しにボブカットの少女が微笑んでいる。どこか懐かしいが、自分は何処かでこの女子に会っただろうか? 否、会ったのだろう、「また会えた」と彼女は言っているのだから。あんたは、とくちびるが動きかけたとき、保健室の自動ドアが開く軽い音を聞いた。指導教官が到着したのだろう。
気を取られた一瞬に、その女子は消えていた。スコールが溜息を吐くと同時に、聞き慣れたキスティスの声が響く。
「もう! 絶対あなたかサイファーだと思ったわ」
先生と呼ぶには些か抵抗のある若い指導教官は、一昔前までは歳上の下級生だった。スコールより大分後に入学してきた彼女は、一足飛びに単位を重ねてゆき、スコールやサイファーを追い越してSeeDになり、すぐに教員免許を取得した。成程優秀だ。優秀で、そしてやりにくい。
「具合は大丈夫ね?」
「……ああ」
「なら、行きましょ。実地試験、今日に決まったんだから」
SeeDの実地試験は日程が決まっているわけではない。必要単位を取得し、筆記試験をクリアした者が、春期に不定期に行われる実地試験に参加するのである。実地試験とは平たく言えばSeeDに対する戦場への要請なので、運の悪い年だと――言い換えれば平和な年だと、試験の機会そのものが殆どない。去年のように全く試験が行えなかった年もあった。数をこなせば良いというものでもないだろうが、経験はいずれ重要である。十七歳のスコールには、そんな理由で今回が初めての実地試験だった。
しかし、今日に決まったとなれば一つ問題がある。今朝サイファーに邪魔された単位だ。あれを取らないと実地試験を受けることができなくなってしまう。
これから試験が始まるまでに挽回しなくては、と考えていたら眉間に皺が寄っていたのだろう、隣を歩いていたキスティスが怪訝に顔を覗き込んできた。
「ねぇスコール、何か悩んでることはないの?」
「……別に」
「別に?」
スコールの声に重ねるように言って、彼女は朗らかに笑った。
「何がそんなにおかしい?」
声に若干拗ねるような響きが含まれてしまったかもしれない、キスティスはなおも笑うと、
「ちがう、違う。嬉しいの。生徒を少しだけ理解できた、だから嬉しいってだけ」
「……俺はそんなに単純じゃない」
「じゃあ話しなさいよ、あなたのこと。もっと聞かせてちょうだい」
「先生にはか――」
「関係ないだろ!」
またも声を揃えたキスティスに憮然として背を向けると、後ろには笑い声がついてくる。スコールは溜息を吐いて歩を進めた。どうせ教室までは一緒だ。
ただでさえ周囲の目を惹く美人教師が、笑いながら、しかも問題児として有名なスコールの後ろをついて歩くとなったら、只事ではなく衆目を集めた。勘弁してくれ。俯き加減に早足になったスコールを前にして、だがキスティスは楽しそうだ。思えば彼女はSeeDになる前から、無口無愛想無表情の三無で通っていた自分に遠慮なく声を掛けてくる一人だった。何故だろう。
何かが感覚の端に引っ掛かる。先程の女子と同じだ。だが形になる前に、耳に入ってきた女生徒の言葉で霧散した。
「そういえば、昔の魔女と騎士の映画。リバイバルしてるでしょ? 私、あれちゃんと見たことないんだー」
「ああ、あれね」
「あっ、見たい見たいー」
『魔女と騎士』。サイファーの好きだった映画だ、そう、確か先週に何十度目かの鑑賞に行ったと言っていた。如何に魔女の騎士が格好良いか、如何に騎士は魔女を守るべきなのか、如何に魔女は弱く哀しい存在なのか、スコールはいつも蘊蓄を聞かされていた。
『……いつも?』
いつもとは「いつだ」? わだかまる違和感を、疲れのせいだと断じてスコールは歩を進めた。後ろにまだ残るあえかな笑みの気配が、どうにもスコールを落ち着かなくさせたが、恐らくどの違和感もその程度のことなのだと切り捨てながら。
世界には三つの「ガーデン」と呼ばれる施設が存在している。世界初の国境を越えた学校、と言えば聞こえは良いが、中身は兵士育成学校である。しかしモンスターが跋扈する世の中、一般市民にも戦闘技術は否が応でも必要であり、学業と共に戦略、戦術を学べる場として、子供も、そして親も、ガーデンの開設に諸手を挙げたのだ。
それが十二年前。シド・クレイマーはまず国柄的にも気候的にも温暖なバラムに居を構え、ガーデンを設立した。学業を修めさせ、戦闘技術を叩き込み、本人が望めば軍隊への就職も斡旋する。ありそうでなかったビジネスであったことに加え、ガルバディアの他国侵攻が激しかった時期で、軍備の充実していないバラムにとって、傭兵は願ってもない存在だったのである。
真っ先に建てられたガーデンはバラム・ガーデンと名付けられ、続いてトラビア、ガルバディア両校が開設された。それぞれ学園長を別に置き、シドは第一校たるバラム・ガーデンの学園長に収まっている。生徒とも気さくに交流を図る、なかなかに生徒受けの良い好人物ではあるが、腹の底は狸だろうというのが、長年シドを見てきたスコールの素直な感想だ。
スコールはここ、バラム・ガーデンの第一期生であった。尤も入学した年齢が物心ついて間もない頃だったため、歳上の上級生も多い。特にバラムとトラビアのガーデンは孤児院のような一面をも備えており、年端もいかぬ戦災孤児を積極的に引き取って寮に入れていた。当時魔女戦争が勃発していたという時節柄、スコールから少し上の年代にはそのような子供が多かった。多分に洩れずスコールにも両親は居らず、恐らく何処かで路頭に迷っていたところをガーデンに拾われたのだろうと推測している。幸いにも傭兵としての戦闘能力には秀でていたため、この調子でいけばSeeDになって、柄でもないがガーデンに恩返しもできそうだ。
バラム・ガーデンにはもう一つ特色があった。SeeD制度である。生徒の中でもとりわけ能力の高い者に、筆記、実地の試験を設け、合格した者に与えられる称号が「SeeD」であり、生え抜きの精鋭とされた。
それだけならば、他国の軍人とそうは変わらない。SeeDの最たる特徴は、ガーディアン・フォースの使用にある。
ガーディアン・フォース。強い力場に発生する擬似生命体、或いは自律エネルギー体であり、つい二十数年前に、エスタの科学者が発見し、運用を実用化した。そのガーディアン・フォースと疑似魔法を組み合わせることにより、ヒトが魔女にも匹敵するほどのチカラを手に入れることができることは世間では有名な話だ。しかし疑似魔法でさえ使用者は限定され、訓練が必要な上、更にガーディアン・フォースまで使用するとなると、並の兵士では到底扱えないのだった。
言うなればSeeDとは、幼い頃からガーディアン・フォースを扱うために訓練された精鋭、とも言える。戦災孤児を集めていた背景には、このあたりもあるのかもしれない。また、因果関係の証明も成されてはいないが、ガーディアン・フォースのジャンクションにより記憶障害に陥るという、まことしやかな噂も流れている。どちらの面から見ても、身寄りのない子供はまさに実験体として使い勝手が良かったことだろう。そうしてSeeD制度はビジネスとして成功した。
スコールはそのSeeDの、一歩手前の候補生であった。SeeD候補生になって初めて実際にガーディアン・フォースの着脱が認められる。SeeD及びSeeD候補生のガーディアン・フォースは、教室に設置された端末から取り出せる。ホストコンピュータで一元管理されているのだ。
元々実体がなく、概念とエネルギーの存在である彼等は、イデア界に逃がすことも容易かったのである。彼等が実体を得るための媒介としてのメディアポイントが召喚者である、という言い方もある。召喚者に喚び出されるまでのガーディアン・フォースは、常にあらゆる場所に存在していると言って良い。ガーディアン・フォースの種類はそう多くはないが、SeeDの数はそれなりに居る、理由がこれである。上位のガーディアン・フォースになればなるほど実体化は少なく、実在をイデア界に残したままの召喚となる。
「おはよう、皆」
中央校舎の教室の一つに到着し、キスティスは教壇に、スコールは自分の席に着いた。通路を隔てた隣の机には、件のサイファーが座っている。席に着くと、ちらりと視線を寄越されたが、保健室に運んでもらった礼を言う間もなく視線を逸らされた。どちらにしても礼など言い合う仲でもなかったが、礼を言わせる間柄でもないということだ。
この部屋は一時限目に当たる今の時間、SeeD候補生の講座になっている。年齢的に、サイファーがSeeD候補生レベルに上がったのはスコールより大分前、確か三年程昔の話だったが、彼はいつも実地で再試験を繰り返している。その理由が今回は拝めそうだと思ったが、いずれスコールの予想を超えるものではあるまい。彼の戦闘能力には問題のないことを、スコールは身に染みて理解している。
挨拶に続いてキスティスは簡潔に予定を述べた。
「まず、今日の予定からね。昨日から噂になってるみたいだけど、SeeD選考の実地試験が夕方からスタートします」
噂になっていたのか。教室の皆が取り立てて騒ぎもしないところを見ると、本当に生徒達の間では公然の噂になっていたのだろう。およそ交友関係というもののないスコールには、保健室でのキスティスの言葉が最初だった。
「試験に参加しない人、先週の筆記試験で失敗しちゃった人は、ここで自習。試験に参加する人は夕方まで自由時間。いつもの訓練以上に念入りに準備しておくこと。十六時、ホールに集合、そのときに各班のメンバを発表します。オーケイ?」
生徒達が頷く。いつも以上に準備を入念に、という言葉の意味はつまり、ガーディアン・フォースの装備が必須だということだ。スコールは話を聞きながら端末を操作し、登録されたガーディアン・フォースにアクセスした。ケツァクウァトルとシヴァ。その二柱が、「41269 Squall Leonhart」のアカウントでアクセスを許可されたガーディアン・フォースの名前だ。スコールはそれが、古のカミの名であることを知っていた。
「それからサイファー!」
突如隣の席の男が呼ばれた。
「練習のときは相手に怪我をさせないように」
今朝方の話だ。
「以後、気を付けなさい」
キスティスの言葉に机を叩くことで返事をしたサイファーは、スコールを一瞬睨んだ。大方「おまえが弱いのがいけないんだ」といったところだろう。全く以てそのとおりだ、怪我をさせたサイファーよりも、怪我をさせられたスコールのほうが、このような話が持ち上がれば恥である。全く同じに眉間に疵を負ったサイファーが目の前に居るのに、スコールにはお咎めがない。
もっと強くならなくては。ちいさく俯いた。
「それじゃ、試験参加者はあとで会いましょう。それからスコール!」
キスティスの声に顔を上げる。
「話があるから、ここに来てちょうだい。じゃ、この時間はここまで」
SeeD試験の説明だけで終わった授業であったが、候補生達にはもはや慣れた時間である。自習を始める者、教室を出てゆく者。退出の波に逆らわず、スコールは前方の教壇に向かった。
「何ですか」
「あなた、まだ炎の洞窟に行ってないわね。あの課題をクリアしないと、今日のSeeD試験には参加できないわよ」
まさに今朝、出掛けようとしていたところをサイファーに捕まったのだ、とは先程の話の流れでは言い出しにくい。
「ん? 何か正当な理由があるの?」
説明も面倒臭くなって放棄した。
「別に」
「それじゃ、これから一緒に行くわよ。ガーディアン・フォースの準備は大丈夫?」
「はい」
炎の洞窟の課題には、いずれSeeD資格を持つ者のサポートが条件である。学園に頼めば自動的に園選のSeeDが割り当てられるが、キスティス先生が同行してくれるというのならばそれで問題はないだろう。彼女は教師の中でも有数の、SeeD資格を持つ教師だった。