完全版・第二巻

act11. ひび割れた友情!!

「あーあ、ヘイヘイ」

 何が好きかって(特に初期の)冨樫さんの描く女の子が好きだ。何で好きかって女の子に夢を見ているように見えるからだ。何でそれが良いかって、わたしも女の子に夢を見たいからだ。

 自分と争っているはずの友人にプレッシャを与えまいと何一つ言わない気丈。重圧に耐えかねて手を出した過ちをすべて相手に話そうとする信頼。

 少女漫画では、恋人のために命は賭けても、友達のために命を賭けるという、少年漫画では当り前、王道とさえ言える場面があまり出てはこない。女同士はすぐに仲良くなれるのが男の人には不思議らしいが、多分にそれは表面上のものであることが多いということだ。表ではべたべたと仲良くふれあって、裏では笑いながら相手の陰口を叩ける、おんなのこはそういう生き物であることが多い。不特定多数に命を賭けるには多分に女は現実的に過ぎ、弱さは卑屈となり身体に染み込んでいる。その形態はセクシャリティの学習の結果であろうし、それを責める権利はわたしにはないけれど、逆にそのジェンダーを知らぬ気に描かれる女の子に憧れる権利はわたしが、わたしも有していると思うのだ。

 女にはひび割れるべき友情がそもそも存在しない、とまでは言い過ぎかもしれないけれど、初めからひび割れようもないほど何もくっついていないことの多い表面上のそれを、知る女の子には多分このような物語は描けまい。こんなタイトルは付けられまい。

 悪口を、陰口を、言わない人なんて蓋し女だって男だって居ないけれど、えりちゃんのお手洗いでのあの態度を見ていると、そういう人間が居るのだと思いたい、そういう人間で在りたいと思う。思わせることのできる力が、冨樫さんの描く女の子にはあって、好きだ。

act12. 魔の手!!

「私はどうなってもいいから」

 「あのふたりはどっちも被害者なんだよ」か。でも被害妄想を振るい落とせないのは本人の責任だ。被害者になれない弱さを持つ主人公を描いていながらも、被害者になれる強さを、まるで本人に責がないように描いてしまうひとは、幽助に憧れながらも、きっと自分の瑕が癒えていなかったのだろう。

 ずっと被害者としての意識を持ち続けていられるそれは強さだ。そんなものに耐えられるならば、そのひとは強い。耐えられないから、ひとは強くなるしかなく、瑕を笑顔に変えるしかなく、それは弱さの裏返しだ。勝美の場合は積み重なった重さに耐えられなくなったというより、被害者面している暇があったら、やらなければならないことができたということだろう。為すべきことがあるひとは弱くなれる。傷付いていた弱い自分を許さざるを得なくなるとも言うかもしれない。許せなくともそんな可哀相な自分になど構っている暇はなくなるのだ。

 そんな暇なく、一所懸命に、必死に、相手のことを考えた勝美とえりを、とても格好良いと思ったし、可愛いと思った。けれど。

 選んだ道が、一緒に推薦を断って、一緒に学校に行くことかぁ……。これはこのふたりに限らず、中盤までの幽白、というか幽助だろうか、にも言えることなのだが、多分に「みんな一緒」という思想に囚われていて、見ていて苦しい。人と争わないで叱られないのは、寧ろ褒められるのは、学生のうちだけだ。みんな仲良く一緒にステップアップ、などと少なくとも資本主義の社会では決して許されないことだが、多分に幽助……もっと言ってしまえば冨樫さんが、かな、他人に同列に見られることすら少なかった(と感じられていた)が故に、他人を後ろに置いてゆくことを心苦く感じるのだろうとは思う。自分よりも能力的に劣るひとを、自分がひとに捨てられたくないと強く思うが故に、切り捨てることができない、自分だけ前にゆくことができない。

 「しがみついてでも守る」というのは、とても美しい言葉ではあるけれど、とても淋しく、そして無理なのだと、気付いて羽ばたいてしまった子供をも、確かに淋しくは感じるのだけれども。彼等が他人に捨てられたくない自分を切り捨てることができたのかもしれない魔界編は、この話のあとに読むととても救いにも見えるのは確かである。

act13. 恋人の条件!!

「はなして!!」

 単純に絵柄の好みから言ったらさやかちゃんのほうが螢子ちゃんより美人だと思いますが(オイ)。

 「だーめ、宿題は自分でやりんせ」ってのが螢子ちゃんらしくて好きだなぁ。成績優秀、スポーツ万能、人望も厚い、か。

 どれかひとつ程度なら良かったものを、可哀相に、ヒトの中に彼女の才覚についてゆける者はあまり居ないのだ、それは幽助の強さと同様に、孤独の源泉だ。どれほど早くの自我の確立を、彼女は余儀なくさせられて、あのラストシーンに繋がったのだろう。偏差値なんて75を超した時点でもはや哀しみしか生み出さない、それは他人との隔絶の宣告だ。そこで自己を「普通の」ひとと同じレベルに落として世間の日常を生きようとはせず、幽助を愛し、己を貫き、それでもヒトの中で生きるしかなかった、ヒトではない世界を垣間見るしかなかった、ただのヒトでしかない彼女は、とても強く哀しい。彼女の才覚はとっくに周囲から自分を切り捨てており、もしかしたら「しがみついてでも」幽助を守りたかったのは彼女のほうかもしれない。

 その相手が、幽助というのが、ヒトでないひとであるというのが、とても哀しい。螢子は、ひとと違い、でもヒトでしかあり得ないひとなのに。

 しかし彼女が幽助を好きだと自覚したのはいつなんだろう。好きな人が居る、というのは、単に交際を断るための詭弁だろうか。キスは単なる好奇心だろうか。むぅ。聡い子だから、幽助が死んだ時点で気付いてしまったのかもしれないなぁ。或いはこの話にも出てきたように「必ず戻るから待っててくれ」で、かな。死ぬ前から自覚してたとはちと思えんしなぁ、約束を、あの幽助が約束をしたのだから、それで彼を好きに思うことくらいならば、優しい彼女のことだ、できそうな気がしないでもない。

 「あいつが死んだら生き返る意味なんてあるか」については大分語ったので割愛。「条件なんざあとからオレがなんでもやってやる」って考えなしの幽助は格好良いなぁ。ここに至ってまだ桑螢萌えしているワタ死をお許しくださいコエンマ様。

 「あいつのムチャを黙って見てたら心臓がいくつあっても足りねーからな」って、やっぱり幽助の冷静で計算高くそれでいて考えなしの無茶な性格は、螢子ちゃんのフォローをする課程で身に付けたものなのかしら。か、可愛い…。

 ああしかしこれでおさげ螢子も見納めか…(しくしく)。

act14. 炎の中で!!

「よ!」

 うぎゃ。上の「恋人の条件」間違えましたわ、「炎の中で」との区切りに気付かなかったや、あはは(死)。とすれば上で語っちゃってるので何を語れば良いのか(笑)。

 螢子を助けたいと言う幽助に対し、ぼたんは「あたしじゃ何の力もないから」と言っております。やはり霊界人は、人間界に手を出す力を有していないのか。「人間の間で起こったことは人間が解決しなければならない」というのは、やはり詭弁か。

 この後、妖怪をしてコエンマは「あの世とこの世の中間の存在」と言っている、それ即ち、妖怪とは人間界と霊界の中間に位置する存在ということになる。霊界は(異次元砲は異次元と言うくらいだから兎も角として)魔界の妖怪には(魔界であれば)手を出せるが、そのひとつ向こうの人間界には手を出せないのか。霊界にとって、妖怪が人間界に逃げ出すと手を出せないのは、単に「人間界に居る」という条件のためなのだな。

 そうしてまた、三界がそのような位置関係ならば、妖怪は人間界にも霊界にも手を出せるということだ。しかしそれをするためには妖怪とて霊体にならねばならず(「のるかそるか」参照)、そんな条件での進出で良いのならば人間(桑原)だって霊界に手出しできていたのだ。むう、とすると二界に同時に手を出せないのは霊界だけとなるな、弱い。それが霊界の過剰にも見える他界進出に繋がったのだろうか。

 しかしわからんな、人肉を食べる種族ではない、例えば剛鬼のような種族が、霊界に盗みにまで入って、どうして霊界人を食べなかったんだろう。人間界に戻って餓鬼玉で人間の魂を抜くより、既に霊体の状態で存在する霊界人を食べたほうが余程お手軽だろうに。人間界の人間から出る魂と、霊界人の有する魂とでは、別物なのかしらん。としか考えられんよなぁ。ならば『スカイハイ』のように、人間界の魂が霊界に於いて仕事をしているわけではないのか。霊界人は元々霊界に生まれつき、自分達の世界に人間界そして魔界の魂を受け入れ、送り出してゆくのだ。

 ……生まれつき、永の命の中で他者の生を裁き魂を送り出す職に就くことを定められている種族というのは、どんな精神構造になるのだろう。ぼたんにしろコエンマにしろ特防隊にしろ、どっか壊れてイッちゃってる感じがするのも仕方ないのか、な……。

 図にするとこういうことか。↓

人間界┬魔界┬霊界─天国・地獄
   └幽界┴暗黒界

 ……やっぱりワシには幽界と暗黒界の位置づけがわかりません。

act15. めざせ1勝!!

「戦う前は相手のために、終わった後は互いの健闘を、たたえ合う」

 幽助君にも友達が居たよおかーちゃん! の巻。ダメマツ君今の幽助の許にカムバーック! そうしたらわたし幽松に走っても良いか……ッ(殴)。

 喧嘩って活気なんですかい。幽助にとっちゃ祭みたいなもんなのかな、喧嘩は。ハレの場か、まさに。その場では幽助は王者だ、否、勝つとわかってる喧嘩はしないのだとしたら、自分の力で王者になれる可能性のある場だ、マツリの中心人物となれる可能性のある場、だ。ケの場では常に周辺へ周辺へと弾き出されている水端者の彼が、だ。つまりケ、日常で彼は、どれほど努力しても中に迎え入れられることはないと考えているのだ。何がそこまで彼を外に追いやっているのだろう、多分それは山の者としての狐と同じなのだろうけど。

 幽助、ダメマツ君の家にまで遊びに行ってたのねー!(感涙) お母さんとも顔見知りなのね、そういえば志保利さんの結婚式にも呼ばれるくらいだからやっぱり南野君ちにも良く行ってお母様のお気に入りだったのかしらキャー!(煩瑣い) ダメマツ君の口癖みたいなボクシングの夢まで良く聞くくらい仲良かったんだ、厚かましいなんて軽口叩けるくらい慣れた付き合いだったんだダメマツ君…(泣)。2年振りってことはつまり中学に上がるときに疎遠になったってことかしら、近所だったら同じ中学行くはずだし、引っ越しでもしたのかなぁ。

 あ、そういえば今気付いたけど、幽助とダメマツ君、同じ身体に魂が2つ入ってる! てェことは蔵馬と秀一の二重生活ももしかしたら可能性あるってことか、むむ。でもそれだと憑依になっちゃうから、やっぱり蔵馬の魂だけかなぁ、南野君。

 小学生時代の幽助が激しく気になりますわ先生。ダメマツ君だけが例外的に幽助を怖れなかったのかしら、それともこの頃はまだ幽助も周囲に溶け込んでいたのかしら。……そうだとしたらたった1年ちょいで彼は世紀の大不良(そこまでは言われてない)の栄光を築いたことになるが、やっぱないかな、ダメマツ君は偉大だ。多分イジめられるようなコだったから幽助が手を伸ばすきっかけになったのだろうし、その先興味を持つことも吝かではなかったのだろう。

 あれ? とすると、螢子ちゃんも松尾君の最低知人ではあるわけだ。今気付いた(遅)。助け賃1000円はともかく(笑)、螢子ちゃんは松尾君を助ける幽助をずっと見ていたわけだ、うわうわ(嬉)。つーか螢子ちゃんなら一緒になっていじめっこを撃退してそうだ、ほんで松尾君がほんのり螢子に想いを寄せてたりしたら凄ェツボなんですけど、うわー!(落ち着きなさい)

 ……自分の妄想に悶えられるなんて何てお手軽な。ああでも良いな子供時代の3人可愛い…(ドリィ夢見ちう)。

act16. 勝負は度胸!!

「負けたっていいよ、逃げずにやれよ」

 ……やっぱり幽助がハレモノ扱いされていたのは自業自得のような気がしなくもなくなってきた日月ですコンニチハ。嘘です。ダメマツ君が幽助の喧嘩で「ハレモノ扱い」されるようになったと言っていますが、なんかこれ引っ掛かったんだよなー。「喧嘩でハレモノ扱いされるようになること」を改めてダメマツ君が言うなんてさ、つまりは喧嘩と腫れ物扱いが今迄ダメマツ君の中ではイコールで結ばれていなかったように聞こえるのだ。それはつまり、幽助が喧嘩によって腫れ物扱いされるということを、松尾が知らないと言うことに繋がらないか。当時はまだ幽助も喧嘩を日常にしていなかったのか、はたまた喧嘩はしていても腫れ物扱いには繋がっていなかったのか、或いは当時からもし幽助が腫れ物扱いされていたとしたら、それは喧嘩という所以ではなかったか。尤も1番初めの案は消去される、桑原と幽助が出逢ったのは蓋し中学でだろうが、その幽助に会うまで喧嘩で負けたことがなかったと彼は言っているのだから、つまりは中学入学時から幽助は強かったのだ。さて。

 物凄くどうでも良いことですがバニーちゃん出てますね、バニーちゃんのしっぽって座るときに邪魔だからちゃんと取れるよーになってんですよーって取らせてもらう振りしてバニーちゃん(しっぽなし)のシリを撫でた酔っ払いオヤジはワタ死です御免なさい(……。)。

 「長年いじめられてた末の悲しい習性」……ダメマツ君も幽助もね。「打ってくるのわかるならよけろバカ」……幽助、アンタがね。暴力は、どんな形でも肉体的なものでなくとも暴力は、習慣化されると抵抗も考えられなくなる。打ってくるのがわかったって何もできない視野狭窄は、子供の頃に学習されたものならば尚更だ。幽助達は、まだたったの14のこどもなのに。幽助や松尾の喧嘩ないしボクシングは、多分に完全に落ち込まないための一種の自己防御と、そうしてもしかしたら虐待の再生産の走りだったのかもしれないけれど、それを「好き」と言うことで弱い者いじめに走らなかった、彼等は過去の自分を断ち切るために足掻いているのかもしれない。

 しかし何処がつっぱりきれない感じなのかわたしには全くわかりませんが、「ちょっと体かわれよ」なんてそんなに簡単に肉体の主導権って変えられるんですか、驚き。やっぱり肉体と幽体の関係はワシにはいまいちわからん。

 「ぼくが勝つ可能性なんて0さ」……なんだかんだ言ってもダメマツ君、そりゃボクシングを神聖視してただろうが、いやだからこそか、やっぱり強くなりたかったのは暴力に負けない自分を作るためだったような。目的と好きが噛み合ってるのは幸せだ。噛み合わせたのかもしれないが。噛み合ってるくせにどちらからも目を逸らしている子は、そりゃ一番ボクシングなめてるかもね、自分の試合だって自覚がない。だけどそれを中学生に求めるのは酷じゃ、社会人何十年やってたって自覚持てない人は居……(愚痴になりそうなので止めました)。それだけ幽助が自分の生に自覚を持ってたってことかな、生に執着していないほどだったからこそ、いっそ。そしてそうできなかった松尾に怒った幽助は、やっぱり松尾君を認めていたんだなと。などと夢見てますか。しかし憑依者の葛藤が解消されると出られるシステムってどんなんですか。

 幽助のパンチのがそりゃー痛いでしょうが、そうか、ダメマツ君よりずっと幽助のパンチを受け続けてた桑原君は、だからあんなにも無駄に過剰にタフガイなのか…(納得)。松尾君がヒジ打ちを頭突きで躱したのは絶対幽助の直伝だね!(笑)

 終わってから幽助を呼んだ松尾君は、そこまで遠くなければ幽助のところに行ったのかな。その頃にはもう幽助んちは灰になってたわけだが。残念なことだなぁ。ああやっぱり友人カムバックしてくれたらとてもとても嬉しいのに……。

act17. 黄金色のめざめ!!

「戻ってきて…!」

 幽助ふっかーつ!

 桑ちゃん良かったね! 霊界にもちゃんと桑ちゃんが幽助の親しい人間だと認知されたよ! それはつまり幽助に桑ちゃんが大事な人間だと認識されたってことだよ、晴れて両想いおめでとーう!! まぁ当の幽助は「50年も螢子待たすわけにいかねーし、そんときゃいさぎよくくたばって」などとまるで螢子ちゃんのために生き返ることしか考えてないわけですが。ううう、片想い不憫やのう(違)。

 しかしあのキスシーンはどうなんですか。隠されなきゃならないほどのキスってどんなんですか。もしかしてフレンチじゃなくてディープな夢を見たんですか桑原君。と当時は思ったものだが、もしかしなくても単にホモだから隠されたんだろうかアレは、おぞましいものとして(大笑)。いやワシがおぞましいと思ってるわけじゃなく桑原君が。もっと言えば世間様が。まぁ……桑原君は極めて常識的な人間だわな。

 そういえば今迄書き忘れてたけど、幽助って寝るときパジャマなのね。温子さんが着せたにしろ、それがつまり普段の格好なのか。あんなリーゼントに単ランで、でもパジャマできっちりと第一ボタンまで留めてるのか幽助。か、可愛すぎる…。もし螢子ちゃんが着せてたとしたらそれはそれでオイシいが、流石に中学生の女の子にさせるほど温子さんも……いや温子さんのことだから襲えとぐらい言ってるかも(ぷ)。うわーおいしい、もし着替えまでさせてたんだとしたら確かに襲わなきゃ女が廃れるよ螢子ちゃん!(ヤメレ)

 幽助の「母親がぶっ倒れてるときにほかのこと考えられてる程あいつ器用じゃねーよ」ってのが物凄く好きだ。螢子ちゃんの不器用さも無論、それをわかってる幽助が何より。幽助にとっての螢子がそうだったように、幽助だけは螢子を才色兼備なんて色眼鏡で見なかったわけだ、うわーん螢子ちゃん好き好き(泣)。

 ……実はぼたんが螢子をして「成績優秀、スポーツ万能、人望も厚いと三拍子! どーでも、今どき珍しいですよあれだけの物件は」って言ったのにもアレだなーと思ったんですけど、それを幽助の前で言うかね、とね。まぁ螢子はそんなこと言われ続けているだろうし、今更彼も気にしないかもしれないが。頭脳も運動神経も容姿も、それらはすべて生まれついて彼女が持ち合わせていたもので、そこに彼女の作り上げてきたソフト、彼女という人格の入る余地はない。幽助に涙したり、母親の容態に頭をいっぱいにしたり、そのような彼女自身の意志は、彼女の才覚の前に色褪せてしまって、それが故に彼女は典型的と言われるのかもしれない。だからわたしは、幽助のこの台詞が好きだ。彼女の不器用さを、愛おしいような表情で語る彼等が大好きだ。幽助にとっては少なくとも、螢子が典型的な優等生だということは、まるで無意味なことだったのだ。それは螢子にとって、幽助が不良と呼ばれていることが無意味なことと同義だ。

 そういえば今の幽助、魔族の幽助には螢子ちゃんや桑原君の口移しは効かないのかしら。生命エネルギィってつまりは霊気のことだろう。のちに幽助が倒れた際に飛影と蔵馬が何もせず桑原君だけが幽助に霊気を送り続けたことからも、まぁその線で間違いないな。とすると、今の幽助が同じ状況になったとしたら、キスするのは妖怪じゃないと駄目なのか。煙鬼のおっさんとか痴皇とか(何故よりによってそのチョイスなんデスカ)。

 ……復活だというのにどうも感激薄いなわたし(ぽりぽり)。まぁ生き返ってからが益々以て他人の思惑に踊らせられる日々だもんな。幽体で空に浮かんでいる間が、もしかしたら1番自分の意志で色々とヒトに働きかけていた時期だったのかもな。そうか……生きてる人間に見えない自分だもんな、何したって、感謝されることもなく巻き込むこともなく愛されることもなく、影から安心して大好きな人間達をサポートできるんだもんな。……ちくしょう。

act18. 新たなる使命!!

「ああ!! え、永吉ィィ」

 「もちろん螢子はその日のうちに家に帰ったぞ」という取って付けたような注釈がものごっつ気になりますわ先生。その日のうちってだって既にあの時点で24:00過ぎてたじゃないの、うふふー(止めなさい)。

 シャバは良い、といって彼の見詰める先が、カップルだったり幼い子供達だったり、そういうのが優しくて良いなぁ。「霊体の状態でいろんなヤツにあえた」ことを「勉強」と言える幽助が好き好き。でも誰彼構わず喧嘩を売るのはきっと他人様に理解されないだろうよ……。酔っ払いが誰彼構わず絡むのと似たような心境かね。要は気分好いまま自我を解放したいという欲求か。解放して他人と繋がりたいのか。……喧嘩が他人と繋がるためのツールか。

 ぼたん! わかりやすすぎだぞ、もうちょっと変装しろい!(笑) 幽助は全然気付いてなかったみたいだけどさ、ああそんなお莫迦なところも好き(莫迦<ワシが)。しかしぼたんの仕事はどうなってるのか。一旦水先案内人の職を離れて幽助のサポートに就いたのか。コエンマの一存で案内人は異動させられるものなのか、はたまた最初からぼたんはコエンマの子飼いだったのか、気になるところですな。

 幽助の、サングラスと髪の毛そのままという変装が気になるな。喧嘩を売る(売られる)には普段の格好のほうが良いのではないかと思われるが、それでも彼は変装して喧嘩を避けようという態度を取っている。喧嘩をしたいと言いながら、だ。真面目な幽助の一面があるという解釈で進めるならば、ぼたんに言った「もし生き返ることができるなら悪いことやめてもいいぞ」を少なくとも実行しようとする意志はあるとも取れるし、小賢しい幽助という解釈で進めるならば、暫く離れていた現場の調査を行ってから始動という戦略的行動とも取れる。……もし前者を憶えてたんなら偉いぞ幽助!(まずそこかよ)

 浦飯が居れば別の中学の奴等が出張ることもないのに、という、幽助を利用している地元の人間が興味深い。幽助に対する彼等の態度は、まるで日本に於けるカミの祀り方だ。自分達が苦しめたことを承知しているからこそ、祀り、あまつさえ自分達を守ってもらおうとさえする。後醍醐天皇や菅原道真と同様だ。幽助はそれを知りながらも、結果としては彼等の意に沿うように縄張りを守る。利用されるということに屈辱を感じるでもなく、かといって喜んででもなく、それは霊界探偵として使われていたときと同様だ。どういう心理なのか。利用されるだけ利用されて恐れられて嫌われて、それでもどんな形でも求められることには応えたいのか、単に自分ができることをしないでいると後悔しそうなのか。彼はたとえ死しても(魔界の扉編)自分に与えられた役割を降りようとはしないのだ。後日のそのときの言葉を信じるならば、彼のこれらの行動は周囲のため、つまり人間のためでも何でもなく、ただ白黒付けたいがためだそうである。売られた喧嘩でもない、売った喧嘩でもない、それでもただ戦いが目の前にあれば、彼はそれに決着を付けようとするのか。

 しかし極道予備校の中学って……。そっちに行かなかった幽助は、やっぱり単に喧嘩がしたいだけではないらしい、喧嘩をするだけならばそちらに行ったほうが余程相手には事欠かなかったはずだ。なんてただ漫画の都合だろうなんて、それ言っちゃ全部終わりなんだが(死)。

 幽助、おっそろしく冷静だな。状況分析に長けている。敵の顔を確認し、ボスを把握し、ただの客の振りを通して桑原君が来ても無視している。機を窺うのが巧いな、上司か部下にほしいな(オイ)。

 桑原君が万引きやカツアゲをしないことを幽助がよく承知していることについては前に書いたな。桑原君が漫画雑誌を出したところで「まさか」って幽助の顔が良いな、桑原君は何があっても「悪いこと」やんないって信じてるのね幽助。永吉のこととか、またひとつ桑ちゃんを知ったね幽助。ああしかしホント桑原君絡みになるとこの男はモノローグもなしの三点リーダが多くなるな、もちっと心境見せてくんないとホントに桑幽にするぞ(何故)。

 ……あ゛。わたしこんなこと書いたけど、もしかして言葉なんかバラバラでも彼等は霊力だか妖力だかで意思の疎通を図れるのか…?;;; 「言葉までわかるのか」ってことはつまり日本語じゃないんだ、邪鬼の言葉も、……もしかしたら飛影の言葉までも(遠い目)。もしかして飛影と桑ちゃんの漫才とか、霊能力ない螢子ちゃんとかから見るととんでもなく間抜けな状況だったり?; あ、あれ、どっかで会話してるようなトコなかったっけ、追って探してみよう;;; ぼたんは少なくとも日本語喋ってるよな、岩本先生に言葉通じてたもんな。

act19. 出動!!

「コラ、道の真ん中でつっ立っとらんで早く教室に入れ、幽助」

 蔵馬さん飛影さん初登場(シルエットだけど)。

 温子さん、幽助のために泣いてます。しかし後には幽助が森で倒れてても良く寝るの一言で済ませてしまいます。緊張感が続かないというか、幽助のあの切り替えの早さというか飽きっぽさは、温子さん譲りなのか(笑)。

 しかし幽助は不思議なコだな。万引きだとかしてたくせに、霊透レンズの悪用はまるで想像の埒外か。単に使い道が思い付かなかっただけかな。万引きをしたいと思う気持ちがまるでわたしの中にないので、一体どういう心理でそれに至るのか、想像もできないのだが、うーん。

 螢子ちゃんとの間に変化を求めてたんだろうか幽助(笑)。人工呼吸以上のものを螢子が思っていたとして、それで変化するような女はホントに幽助の好みだろうかと思わないでもないが、どうなんだろう。そんな主体性の無さは、ずっと幽助をゾンビ扱いしてきた生徒達の、良く言えば素直さと同様の性質だぞ。周囲の状況に流されることない螢子のまっすぐな自我が、ずっと幽助を支えてきたんじゃないかと思うが、そこんとこ幽助にとってはどうなんだ。自分だけには従順な崇拝者がほしいんだったら蔵馬とか飛影とかお買い得ですぜ先生(投げやりですな)。

 岩本を殴るなら見えないようにやれと言う、この頃のコエンマは余裕があって良い感じ。仙水絡みのときはホントに余裕なかったもんなぁ、あの生真面目さは螢子に通じるものがあるぞ。

 幽助が唯々諾々とコエンマの任じた霊界探偵の任に収まっている理由をずっと考えていたのですが、なんか思考がずれてWebサイトを公開する理由というほうまで行ってしまった。前に友人が言っていたことなのだが、どうも同人系というのか、創作畑のWebサイト管理者は、どうやら「自分を見てほしい」という理由で公開をしているらしい。創作を行う際の自分の感性に注目してほしい、なのかな。日記やプロフィールが当り前のようにあるのもそのためか。芸術の根源はここなのかもしれないが、つまりは他人に対する公開を前提として作品を書くらしい。

 に比して、学術系のWebサイト管理者は、まず自分の知識ありきで、それを他人に公開するのは二次的な結果に過ぎない。自分の知識としての、外部記憶装置としてのWWWが存在し、それが自分の知識のために役立っているからこそ、自分もその一端として自分で自分を知覚する感覚で、それが偶々サイトでの公開という形になるだけの話である。

 つまりはアウトプットが他人のために行われるか自分のために行われるかという意識の持ちようの違いである(結果としてはどちらも同じだ)。幽助の喧嘩は、基本的には後者だろう。彼は楽しくて喧嘩をしている。自分のために喧嘩をしている。それが偶々他人の目に触れて恐怖されているだけである。が。

 同時に彼は、前者の性質をも持ち合わせているのではないかと思った。彼という自我の発露の表現としての喧嘩、という意味である。他人に自分を見せるためのツールとしての喧嘩、である。幽助に霊感探偵を求めたコエンマも、幽助に累中の侵略防衛を望んだ同級生も、彼にとっては観客だったのではないか、と思ったのだ。

 自我を見てくれる読者、観客、閲覧者、なんでも良いが、とにかくその手の存在に対し、自我を見せ付けたいという欲望を持つ人間は得てして観客に対しサービス精神が旺盛である。WebサイトでXXヒット有難う! などという、閲覧者に対する感謝と同様の意識であろうか。相手の(実に閲覧者としても勝手に)閲覧したいと思っている意志をうっちゃった、自分のための観客という意識による、相手に対する礼が、少なくとも多く存在することは確かである。幽助の、あのまるで流されるかのような霊界探偵就任は、そのような観客に対するサービスなのではないか、と思ったのだ。観客に何かを期待している。自分が観客であるときの、実に身勝手な欲望も忘れて? 観客を崇拝者と思いたがる精神と言うべきか。そのくらいしか他人に期待するもののない自我、という言い方もできる。

 恐らく、芸術にはそのような瑕が絶対に必要ではあるのだろうが、だからこそ見ている観客としては心に響くのだろうが、でもやはり哀しい。

act20. 三匹の妖怪!!

「てめぇ!!」

 三匹。「匹」、か……。これで仲間になったら「人」なんだろうな。そんで妖怪から見りゃ人間が「匹」なんだよな。というところが妙に引っ掛かってしまった。人が人であるための条件はそう少なくはないけれど、そう多くもない。ひと、と呼ぶ線引きは、冨樫さんの中でどうなってるんだろう。特にハードに人間を求めないわたしのような人間にとっては気になるところだ。

 「他の二人は変なとこ見当たらないが」……えーと御免幽助、もし角が見えてなかったとしたら、3人の中では剛鬼が一番まともに見えるわ(爆)。

 飛影なんてあんな幼い外見してて黒服にメッシュ入りの逆毛だよ? 蔵馬に至っては(特にアニメだとピンクの)学ランに(特にアニメだと真っ赤な)長髪だよ? うわーん、なんてまともな神経持ってるんだ剛鬼!(オイ)

 三人の紹介。えーと、剛鬼さん、十数人のハンタを殺したとありますが、だってハンタって霊界特防隊だよねぇ。たかが人間に向けて撃てる程度の幽助の霊丸で倒せるような相手なのか? 逆に言えば、それだけで倒せてしまった程度の相手なのだから、特防隊にとっては屁でもない相手だろう、ということは剛鬼もまた、霊界の思惑に踊らされていた無自覚の手下だったということか。

 蔵馬さん。果してこの時点で「あの」極悪非道盗賊妖狐蔵馬(漢字がいっぱいだよ蔵馬ちゃん…。)と同一人物だと認識されていたんでしょうか。されてなかったような気がします、「俗称以外はどんな妖怪かもわからない」と言ってますし、特防隊としては抹殺したつもりだったろうし。にしては「正体不明」「神出鬼没」「いくつもの顔を持つ」って、蔵馬さん人間になっても変化して色々とやってたって証拠にならないかしら。

 飛影は……なんか思うところないな。性格がわかっているところが謎っちゃ謎だが、1回の盗聴程度で何とかわかるっちゃわかるだろうし、歳若い飛影は以前に霊界の認知するところの存在ではなかったろうし前科なしも納得。

 「神の怒りは天の怒り、オヤジの怒りは地の怒り」……そうか、てーとやはり天界も存在するのか、そうか幽白世界よ…(もはや世界観の理解放棄)。

 蔵馬さん離反。それまで黙って付けていた幽助が素敵。しかし驚いてる飛影と剛鬼はまるで気付いてなかったのか、なんか鈍いな; 蔵馬は気付いていて、わざとあの仲間割れを聞かせたような気がしてならない。

 怒るんだ、幽助。剛鬼が悪役のステレオタイプで描かれていることを抜きにしても、この時点では人間の子供を食べられて怒るんだね、このときの幽助は人間が良く持つ傲慢で実にあっさりと妖怪の食欲を切って捨てている。それは幽助をゾンビ扱いしていた人間達の傲慢と同じものだと、気付かなければ或る意味では楽だったかもしれないが、彼がいずれ気付いてしまうことを知っている今となっては、気付けて良かったね、と、この幼い幽助に捧げよう。

act21. 魂を喰う男!!

「……ありがとう」

 「きっちり払ってもらうぞ、お前の体でな」……すいません別のことを考えたワタ死を許して(死)。

 しかし剛鬼という男もなかなかに莫迦ではない、意外と「人間らしく優しい」。彼の力ならば人間の10人や20人、殺して幽助も殺して逃げることなどできただろうに、食欲以外での殺しはあまり求めていないようだ。きっちりと幽助に忠告まで入れて、それを守るならば命も取らないとさえ言っている。この時点で、あくまでも自分達の理を押し付ける傲慢さは、妖怪ではなく幽助と霊界にある。このときは布石として使うつもりなど冨樫さんにもなかったろうが、こういう積み重ねが最後のアレになるとはなー。

 温子さん、この頃はホント良く泣くな。これが蔵馬と母親の話への布石かと思うと腹が立って仕方ない微笑ましくて泣けてきますね。

 剛鬼の苦痛と恐怖を与える方法も、あくまで魂の味付けか。とするとあの外見も、人間を脅かす進化の過程で身に付けた彼等の種族に特有のものなんだろうか、あんまり「鬼」らしい鬼って妖怪の中に居なかったもんな。昔から魔界と人間界は繋がってたんだなぁ。

 いかん、だんだん剛鬼に肩入れしてきたぞワタ死(笑)。彼は恐怖を魂のスパイスと言いながらも、幼い子供には何ら恐怖を与えずに魂を抜いているのだ。それは実に人間にわかりやすい形の優しさとは言えまいか。所謂人情味とは言えまいか。

 戦闘シーンになるとあまり書くことないなぁ。きゃー幽助もっとイイ声で泣いて♪ とかか?(仙水かよ)

act22. 母と子の絆!!

「ここにいる、どこにもいかないよ、母さん」

 蔵馬君、お母さん思いでイイコですねー。幽助君、殆ど見ず知らずの人に命分け与えちゃって偉いですねー。

 ……なんですかこのやる気のない感想は。いやなんか……この話、読めば読むほど蔵馬に腹が立つような……ッ(黙)。こんなだから「蔵馬に愛があること」が前提条件の蔵馬サーチに登録できないのですワタ死。

 冨樫さんが何を以て螢子を典型的と言ったのかわからないが、わたしから見れば(特にこの頃の)蔵馬のほうがよっぽど典型的だ。ヒトとバケモノの二面性、弱さの裏の強かさ、強さの裏の脆さ、天使のような悪魔、悪魔のような天使、変身能力、意外性、ヒトでない人型の異生物、ヒトを恐れるヒトに好まれるヒトでなさ、……なーんだまりあちゃんの男の子版じゃーん、あははー……って当時はそりゃー大喜びしたわよ、竜次×まりあ大好きだったもん! この子が今度の主人公の(別にカップリングという認識ではなかったが)パートナなのねーって何の疑問も持たず染み込むように思ったわよ! そのときは幽助と蔵馬という組み合わせがやおいだとかホモだとかまるで認識できなかったほど、蔵馬は単に「人外生物人」にしか見えてなかった、わたしには。

 いや今でもそう思ってるんだが。やおいというものを知ってしまった今となっては、蔵馬なんてどうせ女の子に化けられるじゃん、それがなくたってヒトでもなく魔物でもなく人でないから人でなしに優しくできて、竜次や幽助みたいな人間嫌いには絶対懐かれるに決まってるじゃないか、だとしたらその上何なんだこのあざとく人情味溢れた今回の話はー!!

 ……と、非ッ常ーに色眼鏡で見てしまっているので…(黙)。そうか、わたし何も考える前から幽蔵だったんだ、あは、あは、あははははー……(ばったり)。気付きたくなかったカモ。

 別に所謂カップリングにあるべき(ナノカ?)肉体関係なんかも恋心すらわたしはこのふたりの間に必要とは思わないが、(この話はではともかく)幽助が蔵馬に惹かれないはずはないと憐れんでいる。蔵馬が母親にああまで良い息子で在るのは、あくまでもあの人がヒトでないからだし、ヒトではあり得ないほど優しくできる人でなしなひとだからこそ、決して自分ひとりに向けられる優しさではないからこそ、そうして同時にまるで自分ひとりに向けられるかのような優しさだからこそ、幽助は蔵馬を必要とすると思った。

 本当はだから、蔵馬自身が必要なのではなく、蔵馬のようなヒトの匂いのしないひとがヒトとして在るんだというそれだけの事実が、憶い出しては幽助を、人でありながらヒトとして在れない幽助を、救うだろうと思わないでもない。けれど。

 この話のあざといと思うところは、蔵馬の側に幽助に対する興味を持たせてしまった点だ。蔵馬の特別に幽助が居るなんてまるでぞっとしない。蔵馬は幽助に何も望まないだろうし、その望まなさが、謂わばヒトでなさが確かに幽助を救うだろうけど、幽助がその感情のままで終わるのならば蔵馬が救われないし、それで終わらないのならば幽助が救われない。そしてその救われなさが故に、幽助は、幽助が自分自身を救うしかなくなり、それが故にわたしは未だに幽蔵なのか。そうか……。……蔵馬の幸せまるで考えてないなワタ死。寧ろ幽助にこそ幸せでなければならないという思い込みからも自由になってほしいというか。救われなければならない道理なんてない、蔵馬だけは多分それをわかっているだろうと思えばこそ。

 蔵馬さんの秀一君のっとりの疑問についてはあちらこちらで書き散らしている気がするので割愛。感情的には何ら思うところなし。志保利さんにとっての息子はあくまでも今の蔵馬だろう、生まれてもこなかった秀一の幻ではない。問題はそのことで果して蔵馬が悩むのかどうか、だな。悩む必要性は全く認められないから、あとは悩むのを蔵馬が人間としての自分の趣味とするか否かだな。人間ぽくて可愛いけどさ確かに。でも幽助の前ではそういう素振りやめてほしいかなぁ。……そんなに幽助には蔵馬を人でなしに見ててほしいのですか日月サン。だってそうじゃなきゃ幽助和めないじゃんか、あんな人でなし、幽助の周りには他に居ないもん。ああでも桑原君には蔵馬さんはとても人間味溢れる人だと思っていてほしいので桑ちゃんの前なら子供みたく泣きじゃくっても良いよ蔵馬さん(何様デスカ)。それできっとそうやって人間らしくしている蔵馬もきっと決して偽物ではなく、あのひとはそういうひとなのだろうと今では結論付けている。

 幽助とは違った意味で自分に制約を掛けないひと。自分らしく在ろうとする意識が常に人をヒトたらしめ、それがヒトに制約を掛ける。蔵馬は変わる自分に、妖狐とはまるで違った性質を持つ自分に、変化して妖狐の頃の自分の性質に拘泥も見せていないように思える。できるとは思えなくても、できてしまったのならば受け入れて、彼は母親を大事にする秀一でも在り、命を賭けることすら厭わないのだ。自分という性質に拘泥しないからこそ、ヒトの性質を受け入れて彼はヒトらしい制約も受けるかもしれないが、拘らないことにすら拘らないのだろう。そのままヒトとして死ぬことすら、「蔵馬」にとってはどうでも良いことなのだ。だったろう、に、……幽助のバカヤロー!(アレ、蔵馬に腹立ててたんじゃないんですか日月サン)

 幽助に会ってなかったら、黄泉に会ったときに蔵馬は魔界では少なくとも戻っていただろう、と思う。妖狐のときには妖狐の、秀一のときには秀一の、自分で居たいと思う(と雑誌にあったのだよ)ような存在だったのだ、せいぜいが蔵馬なんて自我は。綺麗な自我だな。人間よりもずっと純粋だ。……まりあちゃーん!(泣) 妖怪全部がそうとは言えないみたいだが。黄泉も躯も雷禅も違うよなぁ、まるでヒトのような拘泥を見せている。飛影は単に幼さが潔いという気がしないでもないし、それが彼の理想だったからだろうし、あ、そうかだから飛影はヒトの蔵馬のこと気に入ったのかな、そうか蔵馬ってば飛影のこうありたい理想だったんだ!(爆笑) そうして真逆の躯もまた飛影の救いたい裏側なのか、成程ー。なんて今の飛影見てたら言えないけどさ(大笑)。

 蔵馬の、ヒトでないあのひとの、人を大事にする態度ならば通じてしまうのだな幽助にも、というのは、act1の見知らぬ子供の有難うと一緒、か。色々書きはしたが、この時点で幽助側の蔵馬に対する思惑ったらせいぜいその程度だろうな、蔵馬のことなんか何も考えず手を翳してそう。そうでもないかな、「オレのいない方が彼女は幸せになれる」なんてまるでact1の幽助まんまだもんな、ヒトの幸せ見せたくもなるよな。

 そうか、だからわたし、幽助にとっての幽助が妖怪であることにはまるで拘ってないのに、幽助にとっての蔵馬がヒトであることには拘ってるのか。蔵馬にヒトを見せるとき、幽助がヒトを見ざるを得なくなるからだ。逆に螢子がヒトとして居ることに安心していられるから、幽助はとっととヒトから離れることもできる。そうか、幽助をヒトに留めおく軛が蔵馬で、ヒトから飛び立たせる碇が螢子だと認識してるわけだな。