189局  あなたに呼びかけている

 「碁は無限なり」

 「何百局打ってもわからない」

 「答えは……あるのか?」

 「盤上は未だ深い闇」

 「手さぐりで前へ行くのみ。光明を求めて」

 「しがらみを捨てたにすぎぬ。この身は永遠に十九路の迷宮にある」

 「私はまだ神の一手を極めていない──」


 ヒカルが求めていた「自分に足りないもの」。

 「神の一手はオレが極めるんだ」という、その無邪気な傲慢、佐為への愛情。佐為というヒカルにとっての無敗の棋聖に対する無条件の信頼、子供の依存。

 それを捨てなくてもここまで来られてしまうヒカルの才気。捨てることもできない、第一部で描かれたヒカルの才能。それこそが「足りないもの」だったなどと、何という皮肉だ。

 一部と二部は見事に鏡に映され描かれている。

 ヒカルに打ちのめされ、人生を大きく変えたアキラ。そのアキラに勝てず、自分に足りないものを考えたヒカルにとって「必要なもの」が何であったかなど、第2部の冒頭を見るまでもなく、番外編の塔矢アキラを見るまでもなく、明らかなことである。

 アキラや佐為や行洋、その他大勢の人生を巻き込みながら、ヒカルは破竹の勢いで強くなっていった。佐為を成仏させるほどに。千年、ただ囲碁をやりたいがために生きながらえた幽霊に、未来を見せるほどに。

 千年二千年、それでも誰も極めることなどできないかもしれないが、誰もが目指し、過去を未来に繋げることができるのだと、妄執の固まりでしかない怨霊に、そう思わせるほどに。

 それが第一部。

 だがヒカルはといえば、嵐のように他人の人生を根こそぎ覆していったのに比べ、誰にも何にも覆されていない。自分が辿ってきた道筋の影響力を、本人が1番わかっていない。ヒカルに逢う前のアキラのように「まっすぐ歩いていけば」何とかなると思っていた。思えてしまう哀れな才能。

 佐為の死は、ヒカルの佐為への依存を強くしただけかもしれず、アキラが真の意味で実感もせずに言った「忍耐、努力、辛酸、苦渋、はては絶望まで乗り越えて、なおその高みに届かなかった者さえいるんだぞ!」と同じ軽さである。他人の苦しみをさも自分のことのように語り、佐為が自分の中に居るなどと、他人の人生を被った気になっていた。

 誰かの、たくさんの人の、人生を被ってゆくなんて皆同じ。影響し、影響され、そうしてたったひとりなのだと気付く。誰のための人生でもなく、自分のために苦しみ、自分が苦しむ。

 今回、ヒカルはやっと自分が根っこから人生を引き抜いたアキラと同じスタート地点に立ったのである。「佐為のため」、そんなことをヒカルが言い出さなくて良かった。あの子はわたしの予想以上に成長し、誰が見守らずとも、これからも成長し続けるのだろう。

 最後で最初に戻る。それの繰り返し。ヒカルも、アキラも。

 「これで終わりじゃない。終わりなどない」。

 あのとき「終わらなかった」アキラが言うからこそ意味のあるこの言葉が、これ以降の物語のすべてを示している。


 物語は完結した。

 そして物語は続いている。

 だから光と明なのだろう。

 「手さぐりで前へ行くのみ」。わたしたちも。

 遠い過去と遠い未来のすべてがひとつの流れの中に、連々と、絡まり合いながら。

 誰に表彰されることを望むでもなく。

 光明など、見付からなくとも。


 ……あ。

 佐為の消え方と、一緒だ。

 誰にも何にも言わず、消えちゃった。

 何も言わず、消えたことで残してくれた。

 わたしの意思。


2003/04/27 日記より

■物語に、作者の名前も顔も要らない。

 作者なんて誰でも良い。物語からの要請を聞き入れることのできる能力を持った人間ならば、誰でも良いのだ。

 物語の声を聞き入れ、自分の欲望を抑えてひたすら物語の声を写し取ることに従事できる、謂わばその瞬間は個のない没我の人。ただただそれが作者であるべきである。

 萌えポイント設定? 笑止。物語としての必然性も蓋然性も聞くことができず、自分の願望に忠実に物語を無視してゆくなどと、物語に対するそんな侮辱、わたしは絶対に認めない。

 作者が物語を書くのではない、物語が作者に書かせるのである。


2003/05/17

なんか日記がなくなったことで御心配くださった方が居らっしゃったようですが。

申し訳などまさに御座居ません、ただの我儘です。

日月まで含めて作品と思ってくださる方には申し訳ないですが。

現実の自分を映した日記をなくすことがわたしの、ヒカルの碁に対する最大のオマージュでした。

今は読者のことなど何も考えず、自分のために巧くなりたいと思いました。

自分を追い詰めたいと思ったのです。追い詰めでもしないと、努力など欠片もしたことのない人間ですから。

努力をしたいと思ったのです。

絵が巧くなりたいとも文が巧くなりたいとも考えたことはありませんでした。考えたこともないから、努力などしたことなどありませんでした。

過去形です。

今は巧くなりたい、ただひたすら。あの美しい作品を受け継ぎたいと思ったのはわたしなんだから、わたしのために。

作品に作者なんか要らない。わたしが作者である必要はない、日月の名なんか要らない、著作権なんて要らない、注釈も後書きも要らない、わたしの生活なんか作品には関係ない。

下手糞なわたしなど削ぎ落としたところで美しくなってほしい、作品に。

だから、わたしが巧くなりたい。

無銘で良い、ただ腕を手に入れる。

そうして美だけが在れば良い。