ずっと『伊角の碁』だったから、よーやっとヒカ碁に戻る〜♪ と思ってたら、今度は。
桑原の碁ですかい(爆)。
や、ワシは桑原先生のファンだからいいんですが(笑)。何と言うか……見事にアキラのヒカルへの口説き文句を代弁してくださった感じで(死)。いや違うか、口説いてもないのに口説き文句になってるあたりが凄いというか、ライバルって凄いなぁ(何)。
アキラにとってのヒカルという話の書かれ方は割と露骨ですが、ヒカルにとってのアキラというのはいつも暗喩で示されていたことが多かったので、こういう回は貴重ですね。それが他人の口から、というのが桑原先生の、というかヒカ碁の凄さですけど。
結局の所、ヒカルはヒカルの道を歩んでいくしかないし、アキラはアキラの道を歩んでゆくしかない。その道で2人はいつも孤独に身を震わせているだろうが、それでも彼等はお互いひとりで歩んでいる相手が、ずっと存在していることを知っている。それはどんな愛情より憎悪より強い存在の確かさを確認する術だろう。どちらが追う立場になろうと、追われる立場になろうと。お互い、相手がそこに居ることを知っているのだ、何しろ自分が囲碁を続けているのだから。
そうしてふたりで盤を挟んで向かい合うのだ。……或いは盤を間にしてしか存在していられない関係かもしれないが、それは逆に言えば盤と石を自分が手にしている限り相手が目の前に居るということにも等しい。
「盤石」という言葉がある。まさに「盤」と「石」なのだ。ヒカルにとっては佐為、アキラにとっては父、共に最も近しい自分との決別に、揺らぎながらも彼等はまさに盤と石と意志を持ってお互い向かい合うことで通過儀礼とし、盤石な確固たる次なるステップの自我を今まさに手に入れんとしている。
……駄目だ、こーゆーの弱いのワシ〜(へにゃりら)。通過儀礼物語にどうしてここまで惹かれるのかわからないけれど、まっすぐに、何より真っ直ぐに自分に向かうその姿が、わたしにはとても愛おしく美しく見える。
そういえばあまりにヒカルとアキラに気を取られてしまってつい疎かにしてしまいましたが(死)、伊角さんもいいですね〜♪ ……彼も自分と向き合おうとしている。彼がヒカルに対局を申し込みに来たのはきっと、彼が自分と対局したかったからに他なるまい。1年前のあの弱い自分と向き合い、捻じ伏せなければ自分が無理に前に進んでもいつかまた魔が忍び寄るということを、あのときに彼は厭と言うほど実感したであろうから。それはヒカルとの対局に勝つ必然性とは無関係である。彼が勝たねばならないのは自分。だが気付いているだろうか、そのような見るのも厭なほどの卑小な自分と向かい合おうとしたそのときにはすでに、自分に打ち勝っているのだということに。帰ってきた伊角さんは、実はもっと精悍になってくるのではないのかと思っていたのだが、予想に反してとも穏やかな笑みを浮かべていた。ひどく静穏だった。ああ、この人はやっと自分に還れたのだ……と感動した。この顔ができたことで、すでに伊角は1年前の伊角ではないのだろう。
しっかし正露丸の理屈はなんじゃそりゃー!(大笑) 顔が似てるからって効く薬まで同じだろうってのは……き、基本的にはこの子ってボケキャラよね(笑;)。和谷は時に我儘で子供っぽく、つまり素直に子供で在れる子だから大人然とした強さも持っていて、だから年齢差があってもこの2人は良い友人なんだろうな。楽平と和谷の、いつかあるだろうおこちゃま伊角さん争奪戦も楽しみです(ぷぷ)。
で、ヒカル。辛すぎて哀しすぎて色々言い訳吐いてここまで来たけど、あと一歩だ。君も自分に還るのだということに。気付け、頑張れ。