三位一体の女神 貶められた魔女達の復権

魔女と創造神の歴史

 FF8の世界に於いては、魔女は(人間の)創造神の力そのものであるとされる。

まだ昼と夜が混じりあっていたころ。


『ハイン』という存在があった。

『ハイン』は大地が生み出した、たくさんのケモノとの戦いに明け暮れていた。

『ハイン』は魔法を持っていたので、その力に頼って長い戦いを勝ち抜いた。

こうして『ハイン』はこの大地の支配者となった。


『ハイン』は自分のイスに座ったまま、ずっと遠くまで見通したいと思った。

ところが『ハイン』のイスの場所からでは山が邪魔で東の海が見えなかった。

山を壊してしまおうとしたが、長い戦いで疲れていたので『ハイン』は山を切り崩す道具を作って、それに仕事をさせようと考えた。

道具は勝手に動いて、必要なら自分たちで数を増やすこともできるように作られていた。

『ハイン』はこれを人間と名づけた。

これが男と女からなる我々人間のはじまりとなった。


人間は数を増やしながら山をくずしていった。

全部の作業が終わったあと、人間はつぎに何をしたらいいか『ハイン』に聞きに行った。

しかし『ハイン』は疲れてぐっすり眠っていた。

仕方がないので人間は勝手に大地を作り変えていった。


『ハイン』が目覚めたとき、あたりの様子は一変していた。

何より驚いたのは人間たちの数だった。

『ハイン』は人間を減らそうとして、役に立たなさそうな小さな人間を魔法で焼き尽くしてしまった。

その小さな人間は「子供」と呼ばれる存在で、人間たちがたいそう大切にしていたものだった。

しかし『ハイン』は自分の道具の言うことなど聞かなかったので、人間たちは怒り出してしまった。


人間たちは『ハイン』の言うことを聞かなくなってしまった。

人間たちは『ハイン』に反抗しはじめた。

『ハイン』も魔法で応戦したが、増えてしまった人間の数と魔法を持たないかわりに獲得した知恵にやりこめられることが多くなった。


困った『ハイン』は人間たちと取引をした。

自分の半身とその力を人間たちに与えよう、と。

人間たちは『ハイン』の力が半分になればあまり恐ろしくないと考えたので、その取引に応じた。


『ハイン』は自分の身体を切り裂き、半身を人間に差し出した。

これで『ハイン』にとっても人間にとって穏やかな日がくるはずだった。

ところが人間はこの『ハインの半身』が持つ力を奪い合って、争いをはじめてしまった。


長い長い戦いがつづいた。

このときにたくさんの国ができた。


この戦いに勝利したのが黒耳王ゼバルガとその一族だった。

彼らは森の中で居眠りをしていた『ハインの半身』に約束どおりおまえの力をよこせと言った。

だが『ハインの半身』はのらりくらりと答えをはぐらかした。


なんとかしようとゼバルガは賢者バスカリューンに相談した。

賢者バスカリューンは知恵を巡らせて『ハインの半身』から答えを聞き出した。

『ハイン』は半身に野蛮で粗野な腕力しか残さなかったのだ。

人間たちは『ハイン』の力の半分とは、当然、神秘の力である魔力の半分だと思っていたが、『ハインの半身』は『抜け殻のハイン』だったのだ。

その話を聞いたゼバルガ一族は怒った。

約束を破った『ハイン』を今度こそ倒そうと考えた。


しかし魔法を持つほうの『ハインの半身』は一向に見つからなかった。

人間は行方不明の『ハイン』に『魔法のハイン』と名づけて、何世代にも渡って捜しつづけた。

 この世界での魔女と創造神の設定は、我々の世界の魔女と太母神の関係とほぼ同じである。

ゲーム外の魔女と創造神の歴史

 我々の世界の神話に於いて、世界を創造した太母神は多く移ろいやすい三相の月女神であり、生産と死と、豊饒、智、雨、海、森、植物、血、生命の循環等を司った。多面性を持った複雑な多種の相を持つ彼女等は、刻々と姿を変える月に重ねられたのである。時に蛇、牛、巨人、鳥の姿で表された太母神(参考:古ヨーロッパの神々)。これらの異形の姿は、アルティミシアやリノアの羽根、アデルの棘、歴代の魔女の蛇の尾にも見られる。

 本来manという言葉が「女」を意味したように、最初に生まれ最初に生むのは常に女であり、長く女神達は生産の「智」そのものであり、その恵みを男(地の王)に与える女王として、長く崇拝され愛されてきたが、父権社会(主にキリスト教)は、異教の太母神達の(彼女達にとっては当然であり、無論最初でも最後でもない)処女懐胎という売春と生産を決して認めはせず、神(男)にその機能を「男性の出産」=「創造」ということで宛がい、女神の智(メディア)を「悪魔の行為」として剥奪したのである。或いはイスラム教に於いては、女を天にし男を地にする男は呪われてあれとまで言ったほどであった。「子供を産む」という女性の能力を奪い取ること、それが神話時代の神々の行った行為に良く見られる簒奪である。

 それが魔女である。我々の世界に於いても魔女とは新しい社会に貶められた、異教の古い太母神に他ならない。当然の如く老婆として死をも司った彼女達は、当然神聖にして恐怖の対象であったが、その暗部のみをクローズアップして、父権社会は彼女等を貶めたのである。

 何故「油を塗られる者」という意味のキリストがメシアの添え名であるのか。何故ゼウスはアテナを産む前にメティス(アテナの母)を飲み込まなければならなかったのか。何故アダムはイヴを産んだのか。何故ユダヤ人は豚肉をタブーとしたのか。何故イエスやモーセ、アーサー王の物語で、幼子が大量に殺されなければならなかったのか。

 今日の我々に残された歴史を見ても、太母神の神話を知らなければ読み取れない事象が数多く存在するのである。我々には一見不可解な呪術的行動であっても、当時の人間にとっては最も理に適った合理的方法であったことは良くあることだ。そこには、今の我々が知らないもうひとつの「ことわり」が存在するのである。

 魔女は太古の理を多く現代に伝える手掛かりなのである。

魔女の女神たるを示すゲーム中のシンボル

 これは言葉からもわかる。witchの語源は古英語のwiccheに由来するとされ、アングロサクソン語のwitan(知る、見る)→witega(予言者、占者)=witgawiccawiccheと変遷してきた。またアイスランド語の魔女vikiは、vita(知る)ないしvizkr(知識ある者)であり、wizard(魔法使い)は古フランス語guiscart(賢明な者)に由来する。魔女という名前は、それだけで女神の智を隠しきれてもいないのである。

 またゲームに関連した語で言えば、リノアが魔女として目覚めた宇宙に於ける(スコールにとってもプレイヤにとっても一般的な言葉ではない)「ハグ」とは(ハグハグ自体は無論hugであろうが)妖婆hag(本来は「聖なる者」の意)であり、スコール達が呼ばれた「妖精」とは「母の祝福」fairyであるが、これらは共にかつて同義の「魔女」を意味する言葉であった。太母神、魔女(妖婆)、妖精はすべて同一の存在であり、そしてその妖精の国こそ、「ティア・ナ・ノーグTir-nan-og(常に若さを保つ人々の国)と呼ばれた。また「森のフクロウ」とは、森を支配する「目の女神」たるアテナに捧げられたトーテム鳥であり、女神の智恵を具象化した存在であったため、信託を告げる力があるとされ、フクロウの心臓を取り出して女性の左胸に置けば秘密を明かすと言われ、ここから「Heart to Heart Talk」という表現が生まれた。

 FF8が月と太母神(創造神)と魔女との深い造詣に基づいて制作されたことは、システム面からもわかる。何も知らなければ本来異質に見える、何故か生命魔法にカテゴライズされた「ホーリー」も(FF7と対比してみてほしい。禁断魔法はたった二つなんだから何も考えなければそちらに入れるだろう)、生と死を司る神聖なる月女神の神話の下では、当然だからである。そしてホーリーは(女神の地たる、或いはFF8ではモンスターの地たる月の)「月の石」から精製される。また「トリプル消費1」をG.F.がアビリティとして憶える「スリースターズ」とは、FFが昔から魔法の使用を容易にさせるアイテムとしての設定を採用してきた道具だが、この「3」という数字は正しく「三にして一」なる月女神の数字である(参考:Sleeping Lion Heart)。乙女−母親−老婆、創造者−維持者−破壊者、生−死−再生、過去−現在−未来、太母神はこれらのような三相の循環を旨としている。またFF4に於いてはシルフ(風の妖精)の洞窟にて出たトーディウィッチは、トーディトードという蛙を引き連れているが、魔女と蛙の関連を知るスクウェアは、FF8では蛙に関するモンスターも魔法も一切出しはしなかった。蛙は女神の胎児であり、FF8に於いては人間に当たるのである。

 或いは最強のG.F.である「エデン」もまた、女神の「庭」である(恐らくこれからもエデンを召還獣とするFFは出ないであろう)。太古にはただ「庭−Garden」という意味しか持たなかったヘブライ語のエデン−Edenは、ペルシア語のヘデン−Hedenに由来し、いずれ「歓喜の園」と呼ばれた。既知の土地をエデンの東と言うように、到達し得ぬ楽園は常に太陽の沈む西にあり、G.F.エデンもまたワールドマップ最西の海の底で取得できるのは、そのためだろうし(多くの国で……『海』を『母』と呼ぶのも、大変、興味深いことだ……)、ハインの御坐す地が西の地なのもこのためだろう(『ハイン』のイスの場所からでは山が邪魔で東の海が見えなかった)。楽園は神々の聖なる丘を取り囲む魔法の園であり、生命の木が不死の果実(多く林檎で記される)を生らしている(解釈は間違えているが、聖書の林檎の園もこれである)。楽園たるParadiseの語源であるPairidaezaはまた、「未来の贖い主」「待望の騎士」に生を与える、聖なる「乙女」そのものをも意味した。またこの喜びの園は生殖器の象徴でもあり、妖精の国やアヴァロン(Apple Land)と同系である。「エデン」は、(バラム)「ガーデン」がまさに女神によって生み出された、海と魚(共に女神のシンボル)に囲まれた地であり、女神によって(イデアによってもアルティミシアによっても)生かされる未来のメシアを象徴する地であることを意味しているのかもしれない。

 また意匠として、『ファイナルファンタジーVIIIアルティマニア』に国旗が載っているバラム、ドール、ティンバー、ガルバディア、F.H.、エスタの6国のうち、4国までが魔女=月女神に関係した紋様である。エスタは「月から零れる血(月経)」(そして多分に月の涙そのもの)、F.H.は「魚/イルカ(子宮)」、ガルバディアは「トリフォルミス(三相)」、ティンバーは「車輪(運命の因果律)」。もしかしたらバラムとドールにも何かあるのかもしれないが(こじつけようと思えばできなくもないが)、セントラから神聖ドール帝国とエスタが分かれたのが100年少し前、神聖ドール帝国から今のドールとバラムが生まれたのは更にそのあとの話なので、その二つは世界の中では非常に若い国家ということで、敢えて外してある可能性もある(尤も成立年代だけで見るとF.H.はもっと若そうだが、エスタの発展期=魔女の台頭期と思われるので、若くとも魔女の影響は大きい国だろう)。

 無論これらの意匠は、我々の世界に於いても同様に太母神のシンボルである(そしてシンボリックな名称はまだまだまだまだ存在する)。

スコールの時代後の魔女

 我々の世界では既にして、魔女の神聖はほぼ忘れ去られているが、FF8の世界に於いては恐らくまだその聖性は失われてはいないようである。それは魔法という力が未だ研究対象であり珍重されていることもさりながら、「魔女」という言葉が使われ出して、たった500年――5世紀しか経っていないことからも強く伺える。我々の社会に於いても、キリスト教が生まれて700年経った頃なお、処女マリアは土着の人々の信仰を受ける「異教の地母神」であり、マリア信仰を弾圧しきれずにキリスト教は、彼女の信仰を逆に取り込まざるを得なくなったのである。

 つまり、イデアやリノアが語ったような「愛されない魔女」は、この時代の一般的な魔女観とは到底思えないのだ(そしてだからこそ、彼女達はイデアとリノアはアルティミシアの情報の一部を保有しているのだから、彼女達のこの台詞は深読みしなくてはならない箇所であり、この時点では無視しなければならない箇所である。後述)。

 リノアを封印しようとしたエスタの人間でさえ、アデルという魔女の恐怖を知りながらも、リノアに対しては敬意を払って大いなるハインの末裔、魔女リノアHyne's descendant)と称し、敬語を用いていたではないか(「大いなるハインの末裔」とは、魔女を敬う呼びかたである。)。魔女の騎士になることが夢だったサイファーや、リノアが魔女になったことをまるで気にしなかったスコール達は無論のこと、アデルや世界を二分した魔女戦争の際の魔女が恐ろしい魔女と評されるということは、その他の魔女は恐れられてはいないということの裏返しである(参考:『ファイナルファンタジーVIIIアルティマニア』P42)。『魔女と騎士』ゼファーの物語に至っては、ゲームスタート時にわざわざリバイバルで上演されていたと情報が流されるほどなのである(「あっ、そういえば昔の魔女と騎士の映画。リバイバルしてるでしょ? 私、あれチャント見た事ないんだ」「あ、あれね」「あっ、見たい見たいぃ」)。

 しかし、アルティミシアの時代は恐らく違う。我々の現代社会と似たような……或いは魔女狩りが行われていた時代の如き、魔女に対する弾圧が厳しい時代なのだと、アルティミシアの台詞から推測される。魔女が「何もしなくとも」魔女というだけで恐れられる時代。

古来より我々魔女は、幻想の中に生きてきた。おまえたちが生み出した、愚かな幻想だ。恐ろしげな衣装を身にまとい、残酷な儀式で善良な人間を呪い殺す魔女。無慈悲な魔法で緑の野を焼き払い、暖かい故郷を凍てつかせる恐ろしい魔女。

……くだらない。

 これは我々の社会で虐げられてきた魔女=女神達の悲哀と同様の悲哀しか、わたしには感じられない。少なくとも「魔女」という歴史に於いては我々の社会よりもずっと未成熟であった「魔女を虐げることのない」、或いは現在「虐げつつある」スコール達の時代の社会は、長い時を経て、我々の世界と似たような歴史を辿ってしまったのだろう。だからこそ、アルティミシアを覗いてしまったイデアと特に(シドの居なかった)リノアにとって、魔女は「力あるだけで決して愛されないもの」という意識が植え付けられてしまったのだろう。

 このFF8の魔女の歴史が我々の世界の魔女の歴史を踏襲していることを踏まえないと、恐らくアルティミシアもレインも繙けはすまい。

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