君を守る、君の笑顔。

I

 おんなは怖い、と思う一瞬がある。コナンは哀のうなじを見詰めた。

 自分が小学生の身体では下手をしなくとも成長の早い女子より華奢だったりもするが、工藤新一という高校生男子の視点で見れば、そしてまるで自分の身体などに頓着しない彼としては、やはり未だに昔と同じ理由でおんなを怖いとも思ってしまう。

 ちょっとでもこっちが力を入れたら折れてしまいそう、と。

 先程過ぎった一陣の風。ヘアバンドのように結ばれたハチマキにも助けられて、風に舞い上げられた髪は、彼女の白いうなじを露わにした。

 細くてすぐにでも縊れそうだ、と手を伸ばしかけ……、彼はそれより更に細い自分の手首にようよう気が付いたようである。じっと自らの手を見詰める。哀が気が付いた。

「何をしているの」

「おまえ、夜道とか怖い?」

 哀は若干首を傾げた。この名探偵が人の話を聞いていないのではないかと思うのは一度や二度ではなかったが、慣れてもその思考に付いてゆくのは並大抵ではない。

「組織が動くのは主に夜だから、怖いと言えば怖いわね」

「違う。女って夜出歩くとか、やっぱ怖いもん?」

 ブルマ姿の小学生女子を見てそのような思考に至ったのだとしたら、高校生としては問題あるでしょう工藤君。哀は呆れたが、彼の内面は今の外見こそ相応しいのだと言わんばかりに、新一は探偵として在るために幼い。彼のありとあらゆる欲望は、探偵という本能にも近い欲求に駆逐されてしまっているのだと、哀はコナンを理解していた。彼のそれを男の欲望と捉えてしまう自分の方が汚くも思えてくる、と苦笑する。確かに男であるが故の疑問ではあろうが、彼は自分が襲われる方の立場となった現在でも、何某かを恐れるということをしない。自分でどう思っているかは哀の露知らぬところであるが、端から見れば新一は新一であるが故に夜道の恐怖などわかりはしないだろうと思われた。

「ずっと疑問に思っていたことがあるの」

「?」

「昨日のホームルーム」

 そういえば折しも、この辺りで変質者が出ている、という話を担任がしていたような気がする。コナンは憶い出した。哀の性格では怖くとも素直に言いはしないのではないかとは思っていたが、意外と話を続けてくれるらしい。五十メートルリレーの応援に躍起になっているクラスメート達を尻目に、二人は並んで体育座りで話している。

「先生はこう言ってたでしょう。最近小学生女子を狙った変質者がこの辺りで出没しているので、特に女の子は帰り道に気を付けましょう、って」

「ああ」

「だけどあれって変でしょう」

「?」

「どうして男の子には、今ないし将来、変質者になってはいけません、と言わないの?」

 コナンが大きく目を見開く。虚を突かれた形で、それでもすぐ返事を返せるのは流石だ。

「教師が……自分の生徒を信じているから?」

「それもあるでしょうね。犯罪者はいつだって辺境人が起こすものだと人々は思いたがるから。でも」

(じゃあ誰が普通でないとされるか……それが例えば『犯罪者』だよ、探偵君)

 そう探偵に言った「犯罪者」が居る。瞼を閉じてそのときの奴の表情を憶い出そうとした。……憶い出せない。

「根本はそこにはないわ。先生がああ言った理由はね、工藤君。性犯罪に於いては未だ、襲われる女の側に非があるものと社会が認知しているためよ」

 灰原の恐怖が、昏い女達の流れが、流れ込んでくるようだった。目をきつく瞑る。だが、

「連続殺人犯が出てるときだって、犯人が居るかもしれない連中に対して殺人はしないように、とは言わねーよ。いつだって注意しろっつわれるのは被害者の側だろ」

 性犯罪に関わらず、凶悪事件で注意を促されるのは被害者となるだろう人々の方だ。どうか警戒を怠らないよう……と言う自分に、探偵としての無力感を新一は感じていた。

「そうね、殺人犯に対して殺人をしないようにって言っても無駄だって警察が諦めてるのよね。だけど男の下半身を殺人者の覚悟と同等にまで貶める、或いは持ち上げるつもり?」

「え……」

「殺人者なんだから何を言っても無駄、という偏見と同等に、男は下半身を理性で制御できないんだから女を襲ってもしょうがない、って無意識に言ってるのよ、彼等は」

 無為の被害者の女性にも、自分の理性を信じる男性にも、失礼だわ。哀はそう言って子供達を眺めた。まだ性にも目覚めていない子供達。彼等が自分の性別を明確に意識するのはいつだろう。

「そんな人々の常識が、怖い。性犯罪者を許容する無意識が、女にとっての夜道の怖さよ、工藤君」

II

 おんなが怖い、と思った一瞬がある。

 自分の手で簡単に壊せてしまいそうだから。

 何気無く掴んだ、自分より強かったはずの幼馴染みの手首の細さに驚愕した。

 女の子は傷付けてはならないものと思った瞬間。もしかしたら逆に自分は女性を傷付けても良いものだと無意識に認識してしまったのかもしれない。コナンは俯き加減でほてほてと歩きながら考えた。

 哀の言わんとしていたところがわからなかったわけではない。ただ、そう世界を捉える哀の存在が、少し哀しかったのやもしれなかった。

 恐がりの幼馴染み。「蘭姉ちゃん」になっても怖いことがあると、未だに自分に縋り付いてくる細い腕。自分が蘭より恐がりでないのは単に男だからと思っていたが、もしかしたら違うのかもしれない。蘭と哀の、闇を恐れる気持ちが別の要因に起因しているのと同様に。

「怖い……」

(恐がれよ……頼むから)

 あの、自分こそ何をも恐れないような、怪盗が自分にした頼み事の意味は何だったのだろう。

 殺人を犯す人の気持ちが怖いと思う。殺人を犯せるほどの意志を、他の前向きな考えに転嫁させることもせずに抱き続けていられる、人々の明確な殺意を恐ろしいと思う。……自分にとっては異質だからだ。自分の中にはどうしたって見付けられない感情であるからだ。

(自分がその異常というカテゴリに入らぬことをよすがに生きてゆける)

 先程別れた哀のことを憶い出す。

 自分の生徒に、犯罪者になってはいれませんとは言わない教師。犯罪者と自分を明確に区別できる自分。自分も哀にとっては恐怖の対象でしかないのだろうか。

 木枯らしが吹いた。寒さが凍みて、コナンはジャケットの胸元を片手で押さえた。胸の痛みを堪えているようにも見える。

「……痛むこともできねーの?」

 不意に声を掛けられた。後ろを振り向かなくとも誰だかわかってしまうほどに馴染んだ声。そしてだからこそ未だ馴染まない口調。

「何に泣いてんだ?」

「誰も泣いてなんかねーよ、クロバカ」

 クロバカ、と呼ばれた学生服の青年は、コートも着ずに颯爽と現れた。予想外に唐突なのはいつものことだと、コナンも諦めてしまっている。さっさとコナンの前に回ると、彼はニカ、といつもの笑みを見せた。

「で、何の用だ?」

「ボウズに会いにー……と言いたいトコだが、今回はドクターんトコで採血」

「血?」

「自己輸血用にね」

「はぁ……」

 確かに怪盗という職業上、輸血が必要になることもあるかもしれないが、このそばにモグリの医者が居るなどと、コナンは噸と聞いたことがなかった。

「ってことで哀ちゃん探してるんだけど。一緒じゃねーの?」

「……は?」

 一瞬頭が白くなった。ドクター、というのはもしかして……。

「おまえ、灰原に頼んでんのかーッ?」

 近い往来に人気がないのは確認してあるが、この大声は戴けない、と快斗は眉を引き攣らせた。それを示そうと自分の両耳を大仰に押さえてみせるが、やはりというかコナンは気にする様子もない。

「ドクターって灰原のことかよッ?」

「そうだけど」

「しれっと言うな、その顔で! 工藤新一に間違えられたらどうすんだ!」

「その方がコナン君としては有難いだろー?」

「は?」

 ポケットに入っている探偵バッチが振動を始めなければ、問い質しているところであった。

「え」

 内ポケットに入った小さなバッジの振動は、探偵団からの呼び出しの合図。また元太の「テレビでヤイバー始まったぜ見ろよ!」とかだったら余程怒鳴ってやろうかと思ったコナンは、ひっ掴んだそれに勢い良くもしもし! と叫んだが。

「……灰原?」

 一瞬快斗の眉が動いた。バッジに食い付くように話し掛けるコナンを見遣る。尋常ではない様子を見て取り、ピーッと口笛を吹いた。

「灰原? おまえだよな、おい? どうした!」

 そのうちクソッと呟いて、再びバッジをポケットに仕舞い込んだ。どちらに行こうかといった体で辺りを見回す、と、やっとそこで傍らに立つ男のことを憶い出したようだった。

 白い孔雀鳩を片手に、怪盗は高校生の姿で微笑んでいる。

「方向は?」

 彼の不敵な笑みに落ち着く。目を閉じて深呼吸し、コナンは眼鏡の左側を探った。アンテナが伸び、捜し人の行方を辿る。電波が悪い、正確な位置が掴めない。

「こっから大体五百メートルくらい西。灰原の正確な位置を割り出せ」

「外?」

「多分」

「ラジャ」

 カメラを取り付けた鳩は、快斗の腕の動きに合わせてバサリと羽根を羽ばたかせ、大空へと飛び立った。そのままの流れで、彼の腕はコナンを抱え上げる。

「おいッ?」

「この方が早い」

 自分を肩に担ぎ上げたまま走り出した彼のスピードに舌打ちする。悔しいが正しい。身体を捩って彼の頭越しに前を見遣ると、モノクルを取り出している彼が見えた。どうやらコナンの眼鏡と似たような構造らしいが、どちらかというとあんな小さなカメラでの大空からの映像程度で何某かを判別できる、この男の能力の方が恐ろしいとコナンは舌を巻いた。

「で、どうした」

「わかんねぇ。争うような音しか聞こえなかった」

「……最近ここら辺でイヤーな噂、聞いてんですけど」

「オレもだ」

 キュッとスニーカーに音を立てさせて、快斗の身体が方向を変える。細い脇道に入り、暗い路地を抜けた空き地に、

「灰原!」

ビルの谷間、翳になって明りの届かない空間にナイフが光った。

 快斗がコナンを降ろすと同時にトランプ銃を放つ。コナンが降ろされ様キック力増強シューズの目盛りを上げ、片足で降り立ったもう片方の脚で落ちていた缶を蹴り飛ばす。トランプが男の手からナイフを弾き、缶が男の頭を直撃した。

 見知らぬ男だ、恐らく先日話に出た、小学生ばかりを狙う変質者とかいう奴だろう。班毎に一緒に帰るように、と担任に言い渡されていたが、よもや灰原は大丈夫だろうと別れたのが悪かったと、コナンは臍を噛む。逃げ出した男の捕獲は泥棒に任せて、哀の許へと走った。

「灰原」

「工藤君……どうして」

「バッジ。鳴らしたの、おまえじゃなかったのか」

「ああ、そういえば。転がったような気もしたわね……」

 地面に組み敷かれていた哀はそのままの姿勢で、だが常と変わらず冷静な目をしていた。だからこそ却って、その白い頬に伝う赤い色が痛々しい。コナンは眉を顰め、膝を突いて彼女の手を引いた。

「自分で起きれるわよ」

 無視して引き上げ、そのまま抱き寄せた。哀が訝しげに声を掛ける。

「工藤君?」

「凶器持ってる奴とは思わなかった……一人にして悪ィ」

 絞り出すような声に、哀は目を見開き、すぐに泣き笑いのように顔を歪めた。

「あなたが泣くことじゃないわよ」

「泣きたいのはオメーの方だろ」

 コナンの肩越しに、戻ってきた怪盗の姿を認め、視線を合わせて哀は苦笑した。彼も似たような表情を返す。

「泣かないで」

「泣いてなんかない」

 そっとコナンの背に手を回す。自分の腕でも悠々回る、今は自分よりもほんの少し小さい名探偵。実際コナンは涙など流してはいなかった。ただその背中が泣いている。

『映画の台詞みたいに陳腐ね……』

 同じように陳腐な台詞を思い浮かべたらしい怪盗は、自分の方が余程泣きそうな貌で二人を見ていた。誰も彼もみんな優しくて厭になるわ、と天を仰ぐと、ビルの隙間から名探偵の瞳と同じ色の空が見えた。

 悪くないかもしれない。

 暫し押し黙った三人の、間を風が擦り抜けてゆく。抱き合っていても温もりが冷める頃、漸く口火を切ったのはコナンであった。

「あのさ……」

「なに?」

「ん」

 身体を離したときの、この寂しさが他人への愛情なのだと、哀はぼんやり思う。だけど新一は違う。真実を見詰めすぎて、だからこそ距離も見えずに、無防備に手を伸ばす彼から離れることでしか愛情を示せない自分は、だからあの怪盗に夢を見たのだと思った。

 まだ距離も知らない、小学一年生の中に溶け込んでいる彼の、見えない疵だらけの指にそっと指を絡めた気になってみる。彼がしているように、ただひたすら真っ直ぐに、覗き込んでくる彼の瞳を見返してみた。

「守られるの、おまえ、きっと厭なんだろうけど。頼むから、ああいうとき。呼んでくれ……」

 女を守るべき生き物だと思う卑怯者でいいから。

 そう言って、名探偵は視線を外さなかった。

「……莫迦」

 涙が溢れてきた。

「は、灰原ッ?」

 ぎょっとしたように、焦ってコナンが両手を無意味にバタバタさせる。

「そ、そんなに気に障ったか? ああいいから、オレがおまえ勝手に守るからおまえは、ってああ違うか、御免ってとにかくだから――!」

「有難う」

 自然に口を突いて出た言葉だった。

「え?」

 何でもわかるはずの名探偵は、きょとりと瞳を丸くしている。その向こうで、微笑んでいる怪盗が見えた。

「守ってくれて、有難う、工藤君」

 守られることで、彼を守ることができるのなら、信じてないけど存るのなら、どうか神様。

「有難う……」

III

「たっだいまー!」

「……ここはあなたの家じゃないんだけど」

 朗らかな声と共に派手な音を扉に立てさせ、入ってきたのは哀の予想通り学生服の青年であった。「まま、いいじゃん」と軽く笑うと、遠慮の欠片もなくソファにドカッと腰を下ろす。上着を脱いでシャツ姿になる。

「埃立てないでね。工藤君は?」

「散々怒鳴られ続けました」

「事務所まで付いていってくれたのね」

 言う間にも、哀は採血の道具を揃える。手伝おうとすると冷たい返事が返される辺りは、先程送ってきた子供に似ているかもしれない、と快斗は笑いが止まらない。

「あの男のことは気になんねーの?」

「……ああ、変質者? 別に」

 一言で片付けられた男が口から出るまで一瞬の間があったのは、哀が今の今迄その存在を忘れていたためではないだろうか。張り付いた笑顔の下で、おんなってつくづく怖いと、快斗は感嘆の溜息を洩らす。

 男にはない靱さを持っているから。

 それは弱さの裏返しかもしれないけれど。と快斗は、袖を捲り上げられた反対の腕で、間近の眼下に揺れる樺茶色の髪を撫でた。

「なに」

「哀ちゃんは優しいね」

 言われて一瞬、目を丸くする。すぐに苦笑に取って代わった。

「そんなこと言うの、あなたくらいよ」

 そして遠慮無く針を刺される。手慣れたものだ。

「お願いがあんだけどな」

「もっと痛く刺してほしい?」

「違います。ボウズに優しくしてほしいから、もっと哀ちゃん自身にも優しくしてほしいんだけどな?」

 ほい、と言って、快斗は学生服のポケットから取り出した携帯電話をテーブルに置いた。ちらりと視線をくれると、再び哀は快斗の腕に向かう。

「正直者は女に嫌われるわよ」

「いいんだよ、それで」

 一瞬、本音が見えた気がした。彼がまだ、自分より一つ歳下のこどもだったことを憶い出す。ふと初代キッドのことを知りたいと思った。おとなにならなくてはならなかったこどもの、名乗るKIDという言葉の重みを考えてみたいと哀は思う。

「厭な人。断れないじゃない」

「ボウズに守られる方がいい?」

「これ以上あの人の生疵増やす気はないわよ」

 何が受けたのか、快斗が爆笑する。涙を拭きながら空いた手を振る彼を、不思議なものでも見るかのような眼差しで哀は見詰めた。

「短縮一番にオレの番号、入ってっから」

「あなたの仕事時間なんてチェックしてないんだけど」

「かまわねーよ」

「工藤君には?」

 訊いてから自分でも愚問だと思い、苦笑を掃く。

「受け取られるはずないっしょ」

 快斗は笑う。彼も真っ直ぐに自分を覗き込んでくる。どれだけ嘘を吐いても、多分コナンのことに関してだけは快斗は嘘は吐かない、哀はそう思っていた。

 嘘を吐けない、と言った方が正しいのかもしれないけれど。

 最初に出逢ったときの自分の姿が悪かったのかしらね。憶い出し、ふふっと笑うと、快斗が首を傾げる。

「ねぇ。誰もが守られるべき存在だから、守られたくて守られてるわけじゃないのにね」

 首を傾げた体勢のまま、彼は微笑んだ。

「さっきの哀ちゃんみたいにね?」

 如何にも軽い口調で彼は言う。当り前のように、人の強さを信じられる快斗が羨ましかった。彼が自分の、他人を守れる強さも他人に守られる強さも自覚しているためだ。

 だからこそ他人を突き放して一人で居ることのできる強さ。新一が何でも自分でやろうとするのとは、また質が違った。

 守られることを潔しとしない名探偵。

「ホント工藤君って、自分のことになると何もわからないのよね」

 守られなければならない人が居るからではない、ただそこに、あなたを守りたいと思う人が存在するだけの話なのに。

 守られる自分の弱さを許せない弱さを、気付かれないよう守ってあげるにはどうしたら良いだろう……と。心を砕く自分は優しく見えて少し好きかもしれなかった。

「あなたは」

「うん?」

 採血を終えて、針の痕を清める。ガーゼを渡すと快斗は、自分でその場所を押さえた。

「あなたは、誰かに助けを求めるということがあるの?」

 多少驚いた貌を見せて、快斗は吹き出した。

「オレは強いから」

「嘘吐きも嫌われるわよ」

「オレをずっと守ってくれようとしてた幼馴染みが居たけど」

 ふっと視線を和らげて、快斗は初めて哀から視線を逸らした。彼の視線の先を追うと、窓の向こうに工藤邸。

「青子さん、何て?」

「正直者は好かれるから」

 にっこりと笑った怪盗の貌で、快斗はヨッと立ち上がった。

「さっきな、ボウズを送ってったとき毛利事務所で、蘭ちゃんと西の名探偵に会ったぜ」

「初めて?」

 誤魔化した怪盗に、哀は言及せずに道具を片付ける。

「『オレ』では初めてだな。親戚でーすって自己紹介したら、ボウズが厭ッそーな、貌してた」

「楽しそうね」

「もっちろん。オレは優しくねーからな、楽しめなきゃやんねーよ」

 哀は、強がりで固めた自分の性格をわかっていた。実際に強く在れてしまうこどもの気持ちはどんなものだろう。考えてみたくて、想像してみた。だが到底到達できぬだろう闇からすぐに哀は目を逸らす。それを見付けることを彼が望んでいる相手は、自分ではない。

「あちらのご感想を聞いてみたいわね」

「オレのはー? 興味なーい?」

「ないわ」

 ひっで! と笑う。蘭ちゃんのことも西の探偵君のことも気に入ったよ。言ってすぐに真面目な貌になる。流れるように哀しげな貌になる。多分どれもが同時に存在してるんだわ、と靱いこどもにほんの少し哀は同情を寄せた。それらすべてを制御できるだけの能力の高さが、新一の孤独と惹かれるのだろう。

「蘭ちゃんを傷付けたくはねーな……あの顔には弱い」

 そういえば蘭は青子に似ているかもしれない。他人の外見にあまり興味のない哀であったから、今迄考えたこともなかったけれど。

「……『工藤』君じゃ、ないでしょう」

 意地悪が言いたくなったのは嫉妬だったのだろうか、それとも蘭の無自覚に対する苛立ちだったのだろうか。だが快斗は、軽く哀の頭に手を乗せて首を振った。

「なに」

「例えば哀ちゃんだったら、あのお嬢さんも納得するとは思うんだがな」

 意味がわからず首を傾げてみせれば、快斗は苦笑して髪を梳いた。

「なぁ、哀ちゃん。名探偵も大概わかってねーけどさ、どうか君はわかっててあげてくんねーかな」

「何を……?」

 しゃがみ込んで哀と目線を合わせ、快斗は小さな頬に貼られた絆創膏の上にキスを落とす。

「あのボウズがさ、随分と君のことを好きなことを」

 そうして快斗は、哀にキスを返したのだった。

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