一度、父と母が目合っている最中を覗き見てしまったことがある。八歳の頃だったか。その頃にはしっかりと生物の知識もあったから、それだけであったらそのまま通り過ぎてしまっていたと思う。足を止めたのは、父と目が合ったからだ。
薄く開いた扉の向こう。こちらに頭を向け、気付かない母の上で、顔を上げて父はオレを見た。
ニヤ……。
薄く笑う。自分の知らない父の顔だった。今思えば、男の顔だったのだろう。
ややあって、居間に出てきた父は全裸だった。趣味の悪い。そう思ったが顔には出さず、無言で牛乳を飲む。半分ほど中身の残ったコップをテーブルに置く。と、父は何やら指先をコップに入れ、マドラーのように指で掻き混ぜ、その先に付いたモノを牛乳に溶かした。
「…………。飲まないからね」
「それは残念」
何がだ。あんたの遺伝子はオレの中に充分受け継がれている、この上まだ何か足りないと言うのか。
思えば父を父と思ったのは、これが最初だったかもしれない。物心ついたときから、子供には有り勝ちの親との同一化を感じたことも、図ったことすらなかった。
聡明な父は気付いていたのだろう、既にヒトとしての道を踏み外しかけていたオレを。父がオレに子供らしさを求めるほど愚かでないことは知っていたが、子供らしさを求めるほどに愛情を抱いてくれていることを知ったのは、これが初めてだったかもしれない。
父は本当に優秀な魔術師だった。愛情という名の封印は確かに功を成し、それは彼の死を以て完成された。
そうして今、それは再び、好奇心に満ち溢れたこどもによって解かれようとしている。
今日、精子バンクに行ってきた。ドナーとして、精子を提供するためだ。冷凍保存されたソレが活用されるのがいつなのか。オレは知ることもないし、どうでもいい。大事なのは、あの人の遺伝子が残るということだった。
連綿と続く人の縁に、何の意味があるのかなどと問うことに恐らく意味はあるまい。だがオレが生物である限り、価値は見出そうとして見出せるものなのだろう。あの人がオレに残してくれたように。
オレが確かにあの人を愛している証として。
「でもそれでも、封印は解かれるよ……父さん」
真実を暴き立てる子供のままの探偵。そんなものに惹かれてしまった代償は。