プランツ・ドール

I

「どのようなプランツをお探しでございましょう?」

 何とも言えぬ気分にさせる香の焚きしめられた薄暗い店内、居並ぶプランツを感心したように眺めていた服部平次は、後ろからやおら掛けられた静かな声に、不覚にもびくっと一瞬身体を強張らせた。

「ああ、いや、ちょお立ち寄っただけなんねや……オレみたいな貧乏人にはとてもやないけど手ェ出せひんて……」

 言いかけ、振り返って驚いた。そこには平次が一目惚れしたプランツ、つまりここに足を運んだ理由である「彼」に似た面差しの中国服の青年がいた。驚愕に、元々丸みを帯びた目を更に丸くさせて自分を見詰める平次に、青年は事情を察したようである。にっと不敵な笑み――とてもではないがプランツには程遠い人間の笑みを口唇に乗せると、挑発的に

「ああ、お客様……もしかして新一をお探しですか?」

と言った。当然平次にはプランツの名前など知る由もない。

「し、新一やて?」

「ええ。私の顔を見て驚かれたので、もしかしてと思いましてね。……新一をお出ししなさい」

「え?」

 店主が声を掛けた厚い天鵞絨のカーテンがゆらりと動く。どのような仕掛けか、誰もいないのに臙脂色のそれはするすると上がっていった。その向こうには人影。それは紛うことなく平次の一目惚れの相手であった。黒の燕尾服を優雅に着こなした彼は瞳を閉じ、恰かも眠り姫のようにその瞳は閉ざされたままで開くことなどないように思われた。……と。

 ぴくりと動いた睫。驚愕と期待の入り混じった平次の注視に気付いたように、うっすらとその瞳を無防備な態で晒す。そして視線は動かさぬまま、徐ろに多少緩慢な動作でこちらに近付いてきた。

「に……人形が動いとる……?」

「おや、あなたのことが気に入ったようですね。困りましたねぇ……」

 遂に目の前まで来た相手をしげしげと見詰めて、動揺を隠せぬ震えた声で呟いた平次に、店主がとても困っているとは思えぬのんびりとした声を掛ける。

「困るて何や」

「あなた、お支払い能力がないと先程仰言ったでしょう?」

「あ? その通りやけど……それがどないしたん?」

「そのプランツは、あなた以外に売れなくなってしまったんですよ」

「……へ?」

 平次から視線を離さぬまま、突っ立っている人形を気にしつつ平次は疑問を口にした。

「売れなく……て何や、手も触れてへんで。キズモノにしたとかでイチャモン付ける気ィなら……」

「そのような真似、するはずもございません。私共の店はこれでも二百年の伝統と格式と――」

「ほんなんどうでもエエわ」

 言い放った平次の口唇に、新一が指を当てた。ぽふぽふと頭を叩かれる。焦って逃げようとするが、新一はどうにも平次に懐いて離れない。

「お、おいコレ……」

「つまりですね、プランツというのは非常に我儘でございましてねぇ。気に入った人間に対してしか目を覚ますこともせず、更に一度目覚めてしまうと他のお客様には目もくれないようになってしまうのです」

「…………。ちゅうことは、なんや。つまり他の客に売れへんようになったちぅことかッ?」

「ですから先程からそう申し上げておりますでしょう。困りましたねぇ」

と何処までも困っているようには聞こえぬ茫洋とした声と共に、店主は何やら手にしていた紙にすらすらと筆で字を書いた。

「因みにこれほどのお値段になりますが」

 達筆やな。平次の感想はそれだけであった。値段につく丸の数を、平次の頭は無意識に拒んでいる。

「御無理……ですよね?」

「訊くなや……」

「さてさて」

 店主はふむ、と顎に手を遣ると、

「そうそう、そういえば昔、こんなことがあったんですよ」

と何やら昔話を始める。この男は何を、と逃げたくなったが、負い目を感じている以上、平次は引き攣った笑みを顔に張り付かせたまま黙って立っていた。

「実はですね、プランツが盗まれたことがございましてねェ。これは保険も掛けられないモノとなっておりますので、こちらも大損を致しまして。あのときも大騒ぎでしたが、どうにも警察沙汰にはできない事情がこちらにもございましてね」

 店主が話している合間にも、新一は平次の帽子を奪って被ってみたり、はねた前髪を引っ張ってみたり、興味深げに平次の回りをうろついていて片時もじっとしていない。それを好きなようにされてやりまがらも平次は、引っ掛かるところがあり、しっかりと話を聞いていた。

『何やこれだと……』

「まぁそれ以来、盗難には充分気をつけて、ほら、そこに狂犬注意の札など貼ったりしてございます。まぁ嘘なんですけどね」

「……あんた……」

「おっと、すいません。私は他のプランツの世話をしなければなりませんので、申し訳ありませんがお客様、新一にミルクをやってくださいませんか?」

「は?」

「ミルクその他プランツの好むお菓子類はそちらの棚にございます。私の方は少々時間が掛かりますので、何でしたら着替えなどして遊んでいてくださっても構いませんよ、新一の着替えはこちらに」

 店主の空けた棚にはずらりと衣装が揃っていた。その前には御丁寧にスーツケース付きで。つまりこれは、

「では宜しくお願い致します。お客様、くれぐれも盗難には気を付けてくださいませね」

 にっこりと笑顔を残して、扉の向こうに店主は消えた。他の従業員の気配もなし、これでは、

『ホンマ盗め、ちゅうんかい……』

 くい、と新一が平次の袖を引っ張った。にこりと微笑む、彼はすべてを承知しているかのようにも見える。平次は苦笑した。

「何やなぁ……おまえ、オレと来るか?」

 ただ黙ってスーツケースにせっせと自分の荷物を詰め出した新一の手を、平次は緩く掴んで止めさせた。

「そないなことさせたらアカンのやろ、おまえは。そのぐらいは何となくわかるで。貴族様のオモチャな……生き人形たぁ考えひんかってんけど。とんでもないモン掴まされた気ィもすんなァ……」

 せやけど、と乱雑に詰め込まれた荷物を丁寧に入れ直してやる。

「目が合ってもうたときから決まってたんかな」

II

 一人の客と一人のプランツが静かに消えたのち、そっと扉が開いた。店主が顔を覗かせ、ふむ、と呟いた脇から小さな子供が抜け出してくる。新一に良く似た面差しをしていた。

 その子供は新一の出ていった軒先を暫く沈鬱な面持ちで見遣ったのち、徐ろに店主の方へと向き直る。

「快斗……もう、やめてくれ……」

 快斗と呼ばれた店主が、にや……とチェシャ猫の笑みを浮かべ、どうして? とばかりに首を傾げるのに、子供は悔しそうに口唇を噛んだ。

「軒先を通りがかったあの男に、死相が出ていると告げたのはおまえだ……コナン。だから新一をウィンドウに出した」

「それは……ッ」

「死はオレ達が定めてる訳じゃない。ただ見えるそれを、オレは少しでも生きてる人間のために役立てたいだけだ」

「人間じゃないだろッ」

「人間だ」

 もはや愛想を捨てた快斗は、感情を殺した声音できっぱりと言いきった。

「なれるなら、人間になっておまえたちはオレと共に生きなさい」

III

 警察に回収された新一が店に戻ってきたのは、それから二ヶ月ほどしてのことだった。

 隣から腐臭がする、との通報を受けた警察が、踏み入った部屋には平次の死体が転がっていた。そのそばでは新一が黙って座っており、初め人間だと思った警察は慌てて新一を保護したが、どうにも食事を受け付けない新一を不審に思ったらしい。調べてみるとこの店のプランツドールとわかり、引き取ってもらいたいとのことであった。

 中森と名乗った警部は言った。

「この男には親戚縁者もおりませんで……ずっと貧乏暮らしをしていたはずなのですが、どうやってこんな高価なものを買う金を工面したのだか」

 じっと探るように中森は視線を動かしたが、歳若い店主からは笑顔の他に何も読み取れなかった。

「一生掛かっても、と仰言ってローンを組まれておいきでした」

「…………。そうですか」

 引き下がった中森から店主に引き渡された新一は、多少痛んではいたが、以前より確実に根本的な美しさを増していた。色気、とでもいうのだろうか。瞳が憂いを見せている、その濡れた蒼から、中森は視線を逸らしつつ洩らす。

「いや、しかし綺麗なものですな。初めて拝見しましたが、ここまで人間らしいものとは思わなかった」

「そうですか」

 曖昧に返した店主に、ではまた何かありましたら、と背を向けた中森の耳に、続いた言葉は入らなかった。

「何せこのプランツは人形じゃないですからねぇ」

IV

 警察の出ていった店内に、新一と快斗が残される。快斗が視線を遣った、扉がギィ……と音を立てて開き、そこから覗いたのはちいさな身体。

「しんいち」

 コナンが俯いた顔を覗き込む。新一は顔を上げ、その自分によく似た幼い顔に焦点を当てて何か言いたげに口を動かしたが、それは声にならずに、ただ瞳から涙が零れ落ちる。コナンの伸ばしたてのひらに落ちる前に、その液体は彼等の瞳のような真っ青な宝石に変化した。

「コナン」

 新一と同じように俯いてしまったコナンの肩を、快斗はゆっくりと抱いて囁いた。

「今更だ」

「……わかってる……ッ」

「わかってたら何故惑う?」

「…………」

「新一はおまえだ」

「過ごした時間が違うなら別人だ!」

「だから一緒にするんだ。おまえたちは別人にはなっては生きてゆけない」

「……それで枯れるオレ達の何処が、人間だっつーんだよ……ッ」

「だから人間になれっつってんだろうが」

 快斗はコナンの手を掴み、手を開かせてその中に握られていた涙をひとつ、指に挟んだ。目を瞑って顔を背けたが、顎を掴んだ快斗は強引にそれをコナンの口許に持ってゆく。

「別人だというのなら尚のこと、おまえが食べてやんなきゃ、新一はいつまでも哀しみから解放されねぇよ」

「そんで新一を人間から遠ざけるのかッ」

「…………」

 その瞬間、目を閉じていたコナンには、快斗の表情は見えなかった。

「どっちが本物とかじゃねぇ。おまえたちは別人だとしても同一人物だとしてもそんなこと関係無く、一人としてしか生きらんねーんだよ」

「か……?」

 開いた口唇を口唇に塞がれた。涙が入り込んでくる。コナンの舌の上で溶けて、咥内に広がったそれは、海の味。

 もはや慣れてしまった心臓を刺すような痛みが通り過ぎ、コナンは自分の手をゆるゆると持ち上げて視界に入れた。更にちいさくなったそれを見て、こぶしを握る。

「今で六、七歳といったところか。……得られたものは?」

「……新一の記憶、感情」

「失われたものは?」

「オレにはわからない」

「そうだろうな」

「新一が泣いてる」

「泣いてるのはおまえだ、……コナン」

 コナンの涙は宝石にはならずに、ただ液体のまま、握り締められたこぶしに落ちた。

 後から後から零れ落ちる涙を止めようともせず、瞳を閉じて表情もなく涙するコナン。新一は一切の哀切も憂鬱もない貌で、綺麗に微笑んでいる。二人を痛ましげに見詰める快斗の視線はいつも誰にも見られることはない。

「すべてをなくしておまえたちが人間になったら、オレからすべてを奪えばいい」

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