LUV TO ME

Novel

 彼女には、同年代の少女の持つ明るさ、健やかさといった類のものが殆ど見受けられなかった。挑発するような、自虐のような微笑みは、たかだか十七の女の子が持つべき笑みではない。彼女を見ていると、ふと懐かしさと共に昔の苦い寂寥が甦ってくるようで、どうにかして私は彼女を思い切り泣かせるか笑わせるかさせてあげたいと、躍起になったものだった。

 だが彼女の相貌が崩れてきたのはいつからだったろう。彼女はその魔法使いの前に出ると惑いを見せる。頬をほんのり染めて、多少怒ったようにも困ったようにも彼女は苦笑する。

 その光景は一枚の絵のようで、私の心を温めてくれる。だから私はたとえ彼女が一般には恋敵と呼ばれる存在であっても、彼の前で頬を染めたとしても、彼と一緒に思い切り抱き締めてあげたい気分になるのだ。

 紅子ちゃんと快斗の微笑ましくもささやかな口論を、にこにこと眺めていたら二人と目が合う。そんなとき私は、手を振りながら二人の許へ駈けてゆくのが常だった。

「ンだよ、青子」

「何か面白いものでもあるの?」

「んーん、別に」

 ぷるぷると頭を振りながら笑って応える。面白いというよりも、幸せで笑みが生まれているだけだ。二人を見てそんな気分になっているだなんて、言ってもわかってもらえないとは思うけど。

 物心付いたときには私は一人だったように思える。母親はとうにあの世に召されており、父親はいつも家に居なかった。

 父は刑事だった。まさに家庭を顧みないという表現に相応しく、己の仕事に邁進していた。かといってそこに罪悪感がなかった訳ではないと思う。それなりに青子のことを愛してくれているとは、今も昔も感じていることだ。ただそれを表現するには、お父さんは不器用すぎた。そしてそれ以上に仕事に捕らわれていた。否、仕事相手に心を奪われていたと言った方が正しいだろう。

 怪盗キッド。それが私の恋敵の名だった。父が長年追い続けている相手。青子からいつも父を奪う相手。父の敵という以上に、その泥棒は青子の敵だった。

『あの人はこの世の者ではない魔法使いに魅入られているのよ……』

 いつか聞いたような言葉。母の記憶はない。浮かぶ顔も写真から再構成されたものだ。なのに繰り返し想起されるそのフレーズが、母の声で囁かれているのだと確信できるのは何故だろう。

 私はそんな母の言葉と父の言葉を聞いて育った。敵はどうあっても捕らえることのできない魔法使いなのだ。決して長くはない青子の人生で、それが一番最初に味わった絶望だったかもしれない。そして最初に憶えた執着の味だったのかもしれなかった。

 怪盗キッドの記事を探して、休み時間に辞書を索きながら新聞を読んでいた子供は、さぞかし奇異の目で見られていたことだろう。先生にも注意されたことがある。大人にとってさえ私はそういう扱いをするべき相手だったのだから、子供達に於てはもっと顕著だった。

 子供というのは異質なものを見分けるのが得意なものなのだ、とそのとき初めて知った。同級生は遠巻きにして青子を莫迦にした。そしてまた青子の方でも皆を莫迦にしていた。子供だ、と。

 今思えばどちらがより子供だったということもなかったのだろう。私の方はといえば、家で接する相手もなく、人付き合いが苦手で子供っぽい言動で他人を振り回すことにだけ長けていたし、同級生にしろ、それを許容できるだけの精神的余裕がなかっただけの話なのだろう。そして子供は無邪気な残酷さに於ては大人の比ではなかっただけの話だ。

 青子はクラスで爪弾きにされた。キッドにかまけていたとはいえ、だが私もひとりぼっちでいることを由とするほど大人では決してなかった。子供っぽい村八分をするようなお前達なんかに好かれたくない、そう粋がってはみても、子供にとってクラスメートの助けのない生活というものはどうしようもなく不可能なものなのだ。自由にグループを作りなさいと言われて何処にも入れず、先生の取りなしで入れられるそのグループの皆の顔。先生には決してわからないだろうその絶望を、だが話せる相手も青子には居なかったのだ。

 誰か青子のそばに居て。青子の話を聞いて。青子のこと好きだと言って。お父さん。お父さん、お父さん――。

 いつしか私もクラス内で生きてゆく術を身に付けた。可愛らしい言動、可愛らしい仕草。子供は可愛いものが大好きだ。マスコットのように扱われ、決して心の中までは踏み込んではきてもらえないけど、決して嫌われることはないだろう「青子」というキャラクターを、私は私の裡で育てていった。自然、クラスでも受け入れられていった。そうなると俄然大人の受けも良くなる。大人は、そうあるべき子供らしい子供が大好きだから。

「青子はねぇ、これが好き」

 嫌いなものなど口にしない。

「青子はねぇ、みんなが好き」

「皆も青子ちゃんのこと好きだからね」

 青子の何処を好きだと言うの?

 当時、終始態度の変わらなかったのは父だけだったように思える。多分私が本当の意味で父を好きになれたのはそのときからだろう。父の前で青子は常に青子だった。どの青子でも父にとっては娘なのだ。普段自分を放り出しっぱなしで、愛してはいても恨んでいなかったと言えば嘘になる父のことも、ただ静かに愛しく思えた。晩酌のつまみを作ってあげるようになったのもこの頃からだったように思う。

「お父さん」

「ん?」

「いつか、青子もお酒の相手できるような年齢になるんだからね」

 そうしたら一緒に呑もうね。口には上らなかった言葉を、だが父は理解してくれたようだった。黙って頷く父のために、お父さんの大好物の蓮根のきんぴらの作り方を憶えた。

 そうしてその頃、青子も魔法使いに会うこととなる。

「オレ、黒羽快斗ってんだ。宜しくな!」

 ポンッと花を出して見せた少年。マジックなのだと後で聞いたが、青子には魔法にしか見えなかった。

 快斗が私に与えてくれたものは、確かに魔法だったのだろう。快斗は極自然に、何の衒いもなく青子に接してくれた。不自然に好きと言われることもなく、そして私も好きと言うこともなく、ただそばに在った快斗。付き合いが長くなるにつれ、幼馴染みという存在は比重を増してゆくのだ。この心地好い存在の重さは、確実に青子を「青子」に近付けていった。愛し愛される青子は、今や確かに私のものとなったのだ。失ってしまった子供時代を、快斗はその魔法で取り戻してくれたかのようだった。

「怪盗キッドが嫌いなの」

 初めて快斗に告白できたのはいつだったか。何某かを嫌い、と言えたその感動はどう表現すべきものなのか。その頃既に世に姿を現さなくなっていた怪盗を嫌いと唐突に言い出した青子に、快斗は多少目を丸くしながらもただ「そっか」と言った。

 お母さん。ねぇ、どうしよう? 青子もお父さんと一緒で魔法使いに魅入られちゃったよ?

 今なら父の気持ちもわかるかもしれない。怪盗キッドも、口で言うほど嫌いではなかった。否、最初から大好きな父の好敵手をどうして嫌いになどなれよう。好きな人の好きな人なのだから。多分青子はキッドのことが好きだと思う。だけどそれはお父さんには内緒にしておこう。キッドファンの快斗にも内緒にしておこう。だって悔しいから。

「ねぇ快斗。青子のこと好き?」

「ああん? 何だそりゃ」

「ねぇ快斗。紅子ちゃんのこと好き?」

「ああ? そりゃもっと何だっつーの」

 眉を寄せて首を傾げる快斗に、ふふっと紅子ちゃんを真似して笑って見せた。

 同じ魔法使いに惹かれた紅子ちゃん。学校が終わったら買い物に誘おう。お洋服を見繕ってあげて、アイスを買ってあげて、そして手を繋いで歩こう。

 そして魔法使いの話に花を咲かそう。

「おーい、紅子ちゃーん!」

ページ情報

Document Path
  1. ルート
  2. 創作部屋
  3. コナン・まじ快
  4. LUV TO ME(カレント)
Address
日月九曜admin@kissmoon.net