無理数の可算

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 魔女に偶然などというものがあってはならないのだ、何故なら魔女とはすべてを見通す者でなければならないのだから。と紅子は常日頃から赤魔術の最後の継承者らしく世界に在ることを自身に心掛けてはいるのだがしかし、魔女の力の及ばぬ範疇というものが存在することもまた、正しきを識る魔女としては否定ができないのであった。

 例えば紅子にとってはそれは、怪盗キッドであったり、或いは黒羽快斗であったり、はたまた彼に対する紅子自身の恋心であったり、同じく快斗を想う恋敵への依存であったり、要するに快斗関係であるのだが、果して全き魔人も快斗関係であると言えるのかどうかさえ、紅子には観えやしないのだった。

 光の魔人。逢ったこともない彼ないし彼女をそのように称したのは快斗から見れば紅子自身で、件の黒羽快斗のそのときの反応はといえばにべもない、莫迦にして笑ってさえくれやしなかったのだ。つまり黒羽快斗は驚いていたのだ。ソノヒトを知らない黒羽快斗、ならばその魔人は快斗関係であると言えるのかどうか。快斗関係以外にも紅子のちからの及ばぬ相手が居るとしたら、それはそれで紅子にとって大問題である。

 ルシュファーが果して彼ないし彼女の何を以て光の「魔」人と称したのかは、その力を使役する紅子からすれば推測の及ぶところではなかったが、或いは彼ないし彼女もまた「魔」力を有した「魔」女と呼ばれる一派の人間なのだろうか。まずい、それは非常にまずい。怪盗キッドを、或いは黒羽快斗を、確かに紅子はちからで以て、或いは魅力で以て落とすことは叶わなかったのだが、もしその「魔」人が紅子以上の「魔」力を以てあの白き罪人を掌中に収めたとしたら、紅子はどうしたら良いのだ。快斗が青子に持っていかれるのはもうしょうがない、快斗のこころは紅子に逢う前から青子のものだ、そして紅子はもしかしたら快斗以上に青子のことが大好きだ、だからそれはまだ肯んじることができる。できるとしても、では白き罪人のほうは。

 怪盗キッドが誰かに捕まるということ、それは彼の死にも等しい。黒羽快斗は怪盗キッドが居なくなってもたぶん生きてゆけるが、怪盗キッドが死んでしまったらそれはまた黒羽快斗の死でもあるのだ。或いはキッドのこころだけ盗ってゆく? それこそ本当に冗談ではない、それは死よりも酷い、青子に対しても紅子に対しても。キッドは青子が絶対に手出しのできない快斗の領域だ、紅子でさえも滅多に届かない領域だ、なのにその場所で、ひとり孤独にたたずみ空に堕ちる瞬間を待っているあの場所で、光の魔人だけは受け入れるというのか。

 どんな浮気よりもそれは青子に対する裏切りではないのか。

 などと、だが快斗はそれすらも諦めているかのように納得しているのだろう。

 だって快斗は青子に対する罪悪感だけは決して消さない、生きるために無駄なものはそれこそ自分の感情だって切り捨てるくせに、クラスメイト達を裏切る罪悪感も親しい警部達を裏切る罪悪感も犯罪に手を染めるしかない屈辱もすべて捻じ伏せて切り捨ててただ「怪盗キッド」で在ることを選んだくせに、ただその場所に「怪盗キッド」としてたたずむ道を選んだくせに、それでも快斗はキッドになったときでさえも青子に対する罪悪感だけは消さない。それは彼にとって命綱だからだ、「黒羽快斗」にとって日常に戻ってくるための命綱だからだ。それでも、そんな彼がそれでも「怪盗キッド」の立つ場所に光の魔人だけは受け入れるというのならばそれは、もはや快斗にさえもどうしようもなく御せない部分の事象であるのだ。

 「怪盗キッド」で在るということ。

 「黒羽盗一」を「黒羽快斗」に受け入れるということ。

 かの魔人が、亡くしたという彼の父親であることは考えにくいが、だとしても彼にとって魔人はそれに等しいないし近しいものなのだろう。どうしようもなく「怪盗キッド」に近付いてしまうもの。快斗のキッドに近付いているか否かはまた別の話としても。

 だから、魔人の存在は紅子にとって気にならないでもなかったのだがしかし、やはり彼ないし彼女の存在もまた、紅子のちからの及ぶ範疇ではなかったので、どうにも観ることなどできはしなかったのだ。だから本当に偶然。

 偶然などあってはならない魔女が偶然にも逢ってしまったのならば、その相手は今のところかの魔人しかあり得ないのだ。

 こんなこどもが! 通り過ぎ様おどろいて振り向いた紅子に、そのこどももまた元々おおきな眸をまあるくしてこちらを振り仰いでいた。なんて酷い視線、魔女に観ることを許さず、ただ魔女を観るだけの視線! どんな悪魔の狡猾で残忍な視線よりも無遠慮で不躾な、あわれなるX-ray。

 もう気付いてしまった。これでは、こんな眸をしていては、このこどもはもう「怪盗キッド」のむこうのふたりを観てしまっている。正体も名前も何もかもを通り抜けて、まず最初にこどもになりたいこどもを観てしまっている。

 なんて残忍な「探偵」。

「……ああ、探偵だったのですね……」

 観えた。

 こどもの視線が険しくなる、紅子はそれに溜飲が下がるおもいだった。やっと観ることのできたこどもは、視線を逸らして見てみれば黒羽快斗をちいさくしたかのような器を持っており、紅子はやっと光の魔人に対する言い知れぬ恐怖を現実のものとして認識することができたのだった。

 「魔」のはじけた或る夏の日。赤魔術師は、正当な継承の権利を得た。

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