こいつはいつも事件を連れてくる、とコナンは思う。服部に言わせれば全くの心外、事件に取り憑かれているのは工藤の方だと反論するだろうが、兎にも角にも服部とコナンの二人が揃うといつも何らかの事件が起こっている事実は否めない。
土日を利用して観光と称し、服部が東京に来てから今迄で約十時間、少なくともまだ事件は起こっていない、とコナンは時計を見ながら考えた。
「工藤、なに時計見て溜息吐いてるねや」
「いや……そろそろ寝る時間だと思ってな」
「まだ十時やで?」
「今日はお客が来てるから特別に夜更かし許されてるだけで、いつもは九時に寝るよう言われるんだよ」
「……さすが小学生、きっちり十時間睡眠取らされるんやな。そない時間に眠れるんか?」
「別に。慣れじゃねぇ?」
「……姉ちゃんの前での小学生の振りも板に付いとるようやしな」
大仰に肩を叩かれてコナンは考えた。そこまで小学生の振りは大変なものなのだろうか。面倒臭いとは思っても、辛いと感じたことはなかった。そういえば自分と同じ境遇である灰原は、ただの一度も子供の振りなどしたことがないな、とコナンは思う。
以前、小学生そのままの態度で教師に接していたコナンを見、灰原が言ったことがある。
あなたは子供のときの自分を忘れられないから、ずっとそのセンスを失わないのかしら。あなたにとって昔のあなたは今のあなたなのね。だから子供の態度で子供の身体で、自分が変化することを恐れもしないほど広いのね。
意味がわからずに灰原に尋ねようと思ったが、結局その後、そのような話を持ち出す機会に恵まれないでいる。何となく服部と灰原の言っている内容が同じに聞こえるのは気のせいであろうか。
子供の振りはおまえはできないのか?
だが喉許まで出掛かったその言葉を、呑み込ませるには充分な衝撃が、服部の取り出したそれにはあった。
何やら自分のバッグをがさごさと漁っていた服部が、「じゃーん」と言って取り出したものは、
「……何考えてんだ、オメーはよ」
「小学生になってから久しいやろ。喜んでもらお思うてな。夜のお供」
「ホントはどういうつもりだ?」
「ダチがこっち来る直前に渡してきよったんや。ただ返却が月曜の朝タイムリミットでなー」
「バーロォ、だからってこっちで見ようとか考えるなよ」
「嬉しいやろ?」
「……ほんの少しだけな」
「へっへっへ。ちゅう訳でお代官様、ささ、ビデオの用意を」
「……命知らずめ」
「命知らず?」
「蘭に見つかったら殺されっぞ。小学生になんてもの見せてるの! ってな」
服部が鞄から取り出したものは裏ビデオであった。幾ら返却期日が旅行に重なっていたとはいえ、普通そのまま持ってくるだろうか、とコナンは多少遠い目をしつつデッキにそのテープをセットする。
「レア物やて」
「ンなこと言われても、詳しくねぇからわかんねーよ」
「オレかてわからん」
「どうだか」
蘭に寝ていると思わせるため部屋を暗くし、音量を絞って二人は布団に腹這いになる。並んでいるのは高校生と小学生。
「……端から見ると確かに、姉ちゃんやったら卒倒もとい回し蹴りしそうな光景やな」
「あん?」
「小学生にエロビデオ見せるの、女とエロビデオ見る気分に似てる思うてな」
「おまえが言うか」
「小学生は居らへんしな」
「……相手が高校生ってわかったときの普通の態度はそれだよなぁ」
自分に殺害現場を見せまいとした男のことを憶い出す。
「ん? この前のことかいな」
「おまえ、キッドの前で屍体見付けてみる気、ねぇ?」
「ございません」
モニタの中では殺人鬼に犯されて喘いでいる女が居る。
「グッロォ……」
「つまんねぇ」
「オレが隣に居てヌけへんからつまらんちぅなら出てくねんけど」
「阿呆」
「好みやのうてスマンな」
「蘭のがスタイルいいし」
「待たんかい。オレに想像させてどないするんや!」
「バーロ、消せッその妄想、今すぐ!」
「鬼!」
思わず大声を出してしまい、お互い慌てたようにしーっと口唇に指を当てる。
「……はぁ。何やどっと疲れた」
「ビデオ?」
「こういうのは人間的に見せちゃいけへんような気がするちゅうたら、貸してくれたダチに殴られそうやな」
「オレに言ってる?」
「見せなよかったて後悔しとる」
服部はちらりとコナンに視線を遣った。それに気付き、コナンも視線を返す。
「何で」
「おまえ、こういう人格を無視した行為、嫌いやろ」
「嫌い?」
「工藤は優しいねんから」
「優しい?」
おまえ、そういうトコ冷静だよな。冷たいっつーか?
キッドはコナンにそう言った。
どうしてキッドはコナンに屍体を見せまいとしたのか。
どうして他人は自分に優しいとか冷たいとか言うのか。
「なぁ服部。おまえ小さい頃、便所虫とか胴体引き千切ったことねぇ?」
「何やねんな突然。あるでー。あれ、頭と胴体切り離しても動くやろ、それが面白うてな」
「だよな。オレもやった。それでも優しいってオメーは言うのか?」
「? 子供のしたことやろ?」
あなたにとって昔のあなたは今のあなたなのね。
『今のオレって誰だ?』
「昔の自分のしたことなら許されるのか?」
「ちゅか虫を殺したくらいで……」
「もし子供のときに自分が人殺してたら?」
「そりゃ自責の念に囚われるやろ……って何でこないな話になっとるんや」
「オレがこのビデオをつまんねーっつったのは、純粋に内容がつまんねーだけだ。人権云々は考えてねぇ」
「工藤、何や怒っとる?」
「キッドがオレに屍体見せまいとしたのも、キッドにとっては人間として見せちゃいけねーもんだったからかなぁ、アレが」
「……探偵に対してかいな」
「……奴にとってオレが探偵に見えてなかったんだとしたら悔しいな」
「で。……怒っとる?」
「わかんねぇ」
手を伸ばして服部はビデオの電源を切った。それだけの動作で届きやがって、とコナンは舌を鳴らす。
こういうとき、身体の小さいことを不便に思う。だが灰原や服部が子供の振りを厭うのは、また理由が違う気がする。ごろりと仰向けになり、服部に肩越しに見える白い月を睨め付けるように見詰めながら掛け布団を蹴り上げた。
「つっまんねーの」
「まぁエロビデオなんざ面白いもんでもあらへんしな」
「わざわざ東京にまで持ってきた奴が言う台詞か?」
服部もコナンと同じように仰向けになり、窓の向こうの月を眺めた。
「なぁ工藤。オレ、ガキなんかなぁ」
「はぁ? 何だ突然。何で?」
何処か顰めっ面をして服部は、両腕を月明りに翳すように伸ばす。
「女より事件解いてる方が快感やも」
「それは当然だろ?」
「…………。心底探偵のおまえに言うたオレが阿呆やったわ」
「誰だって趣味のことしてる方が気持ち好いだろ?」
「へいへい、おまえもオレもお子様ちゅーことで」
「何だそのまとめ」
「女抱くのが趣味ちゅう奴も居るし」
「それはそれでそういう人種も居るってだけだろ」
「……その考え方でエエか、別に」
「? 何か問題あるかよ」
「睡眠欲と食欲はないと死ぬやんか」
「性欲は趣味?」
「言うたおまえが訊くなや。そんでエエか思うてな。まだ子供作る気もあらへんしな、おこちゃまでええわ、オレ」
「おまえの子供も地黒なんかな」
「どやろ、オレも隔世遺伝やし。おまえと姉ちゃんの子供なら間違いのぉ色白やろが」
「……蘭と?」
「考えたこともあらへん?」
「……そのニヤニヤ笑い、やめろ」
服部は白い歯を見せて笑っている。コナンは頬に朱を刷いて服部を睨み付けた。
蘭を好きだと思う。触れれば欲情する。守りたいと思う。結婚を夢見たこともないでもない。だが、
「それって趣味か……?」
「ん? 何か言うたか?」
「いや……」
何に対しても自分に対して誰かが常に「違う」と言い続けているような気がする。コナンは前髪を掻き上げた。そういえば、と幼かった頃、一瞬心を過ぎった痛みを憶い出した。
自分の見ている世界は他の人とは違うのではないか。
酷く傷付いたことを憶えている。否、憶い出した。幼い頃の記憶なんてそんなものだ。何処かに痕跡を残しながら、それを撫でたときにしか憶い出さないほど普段は奥底に仕舞い込まれている。何故灰原は自分が子供の頃を忘れられないだのと言ったのだろう。
「工藤。眠いんか?」
「ちょっとだけな。意識が散漫に集中してて気持ち好い……あっちこっち思考が飛んでる」
「ああ、それは事件考えとるときと似たような状態やしなぁ……」
目を閉じると、服部が髪を撫でたのをコナンは感じた。そりゃ気持ちエエやろ、という声が聞こえた。気持ち好い。
「服部。それで欲情する?」
「…………。はぁあ? サブイボ立ったわ、笑えん冗談はやめい」
「オレ……してんのかな。髪撫でられんの気持ち好い」
「……それは母親に撫でられんのと同じ感覚やろう……」
おこちゃま、と声が聞こえた。そのまま目睡ろもうと意識を拡散させた途端、
「えーッ?」
蘭の叫び声が聞こえ、ぱっと覚醒している意識を掻き集め飛び起きたところ、コナンは盛大に服部の顎に頭をぶつけた。
「ヴッ!」
「ッてーな! 何しやがる服部!」
「くりょ……ひょりぇオヘのへぇりふ……」
「日本語喋れよ」
言い放ち、コナンはそっとドアを開けて声のした階下を窺う。服部の頭が自分の頭上に来たのを、その影で知った。ドアの隙間から上下に並んで耳を欹てた二人に、よく通る蘭の声は、声を平常に戻した今でも届いている。
「何て言うとる?」
「しっ」
「……か…盗キ……ドの予こ……状……?」
怪盗キッドの予告状?
先程ちらと話題に上った件の人物だったので、多少目を丸くしつつ二人は視線を合わせた。
「まぁた鈴木財閥から依頼かいな……って工藤?」
服部が皆まで言う前に、コナンは既に階段を下っていた。
「工藤」
呼び掛けると段を跨いで立ち止まり、上半身だけ振り向いてコナンは服部を仰ぎ見る。その口唇に、外見に似合わぬ不敵な笑みが浮かぶのを見て取り、服部は背筋が震えるのを自覚した。
『ああ……確かに工藤新一の目や』
「ほら、来いよ……裏ビデオなんかよりよっぽどオレ達に感じさせてくれるモノが来たぜ?」
やっぱりオメーは事件を連れてくるな、と笑いながらコナンは階段をリズミカルに降りてゆく。自分もあんな探偵の貌をできていただろうか、と服部はライバルの小さな背中を見遣った。
今、コナンの顔に浮かぶのは、先程と同じ顔で、先程と全く違う貌で、何処までも無邪気な笑み。