少女機構、または稀覯、或いは機甲。

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 これは機械少女である。

 自分が機械少女萌え(当時は萌えという単語もなかったような気がするが)するのだと気付いたのは高校生の頃だったと思う。以前から徴候はあったのだが、自覚したのがその時期だということだ。

 だが身体が少女である必要も機械である必要もない(無論美しい機械少女の身体であることは好ましいが)。わたしの心惹かれるのは少女性を持った精神である。典型としてわかりやすいのはKOS-MOSだが、他の形として顕著な例は、例えば時野彼方だったり風魔小太郎だったりする(わかった方、お友達になりませう・笑)。

 成長しない、不完全な形のままで保存「させられて」いる精神或いは身体。それがわたしの考えるところの少女性、即ち機械少女属性である。「少女」が何故何を保存させられているかは大塚英志の『少女民俗学』でも読んで頂くとして、だがわたしが一生成長しないノビ太君物語が好きなのかと言えば、そうでもない。

 寧ろ、その少女性が成長してゆく過程の物語を愛おしんでいる。所謂追加儀礼物語である。変わりたくないと願うモラトリアムな身体少女など、欲にまみれていてもはやわたしは「少女」とは呼びたくないのだ。

 変わりたいと望むわけでもなく変わりたくないと望むわけでもなく、ただ変われずに在る存在が、自らのフレームを広げてゆく瞬間に見せる驚愕、それこそがわたしの萌えの対象である。

 機械少女萌えを自覚した頃、アーティフィシャルライフの資料やマーヴィン・ミンスキーの著書を読んで、いたく感動したものだった。何某かに規定された存在が、その変化し続ける複雑さをして造物主にも理解できぬ振る舞いを見せる、言い換えればオートポイエーシス的なネットワーク構築の再生産の構図である。美しいと思い、涙が出た。生命の誕生のようだ。

 その対象の身体が機械である理由は簡単だ。現在人間が作り得る(とわたしが考えるところの)人工少女性のハードに最適なデバイスが、コンピュータだからである。できればノイマン型より並列処理型のほうが好ましい。

 人に非ず、人に近く。

 本来は「少女」にハード(身体)など無用である、寧ろ老いゆく身体など、少女性の対極に位置するものである。だがソフトが聖なる情報として生命に認知されるにはどうしたってハードが必要になるのだから、それならば四角い箱の機械よりは、そのソフトに見合った「少女」の外見のほうが、言い換えれば俗っぽい先入観にまみれた観念で造物主に規定される、まさに「少女の身体」として、可憐にハードが組まれるほうが「少女らしい」。

 「少女」に身体は要らぬ、と言ったが、ここで前言撤回しよう。KOS-MOSの身体はまさに機械であるし、時野彼方の身体は17歳より成長せぬし(多分)、風魔小太郎は身体を取り替え続ける。つまりは、そういう肉体だ。肉のない肉体と呼べるような身体である。

 ということで散々御託を述べてきたが、要はそういう機械少女に激しく萌えるということでこの子のラフを描いてみたのが、もう10年ほど昔になるか。

 当初はもっと中性的な外見だったと思う。本来アンドロイドに性別は必要ない。ダッチワイフとして利用するならともかく、サイボーグの延長としてのパートナならば、乳房も陰茎も邪魔なものだろう。否、それを言ったら手を使う意味のある人間型である必要性もない。

 ただ、神よりももっと近い位置で「少女」達の成長を望むのならば、彼女達が自分達を滅ぼすことまで踏まえ、生産を見守るべきではないかと思ったのだ。ヒト型おんなのからだはその象徴として、自分に言い聞かせるために変えたのかもしれない。

 少女が最もなりたくないだろう女。

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