何と言うか、例えば女の子が女の子に恋したらこんな感じなんじゃないだろうか、とでも言えそうな、自分でもひどく透明と感じる感情だった。
嫉妬だとか独占欲だとか比較欲だとか、およそ一般的な恋にまとわりつく湿った空気を、塔矢を想うときは感じていなかった。
噂は厭というほど聞いていたから、初めてあの子を見たときには驚いたものだ。塔矢行洋名人の一人息子。塔矢アキラは、アマチュアの大会には決して出ないことで、碁を打つ子供にとっては、半ば伝説として語られる存在だった。まだ伸びる子供の芽を摘みたくないからと、名人が息子を大会に出さないという噂は、何処から流れたものか、まことしやかに流れていたが、多少誇張はあるにせよ、まるきりの嘘というわけでもないのだろうとは思われた。誰々が対局を申し込みにいって惨敗してきたらしい、などという信憑性の高い噂も時に流れ込んできていたからだ。
だから、勝手にイメージを作り上げていた。碁の恐ろしく強い子供、驕慢な態度で、恐らく外見も塔矢名人に似て、峻険な雰囲気を持つ少年なのだろうと。
一瞬、女の子かとも思った。クラス当番で遅れたことを気にしてか、困ったような、申し訳ないような、躊躇いを見せて眉を下げた表情の、綺麗に切り揃えられたおかっぱを上に乗せて学生服を着た男の子、それが実際の塔矢アキラだった。
おーい、どきどきわくわくと恐怖してた私の立場は? などと内心突っ込んだほどに、多分私のイメージだけでなく、皆にとって噂を裏切る花めいた容姿だったと思う。小作りな美貌、細い手足、穏和な表情。なーんだ、二世なんてやっぱりただのお坊ちゃんになっちゃうのか、と多少幻滅もしたものだった。
ただ、打っている最中の貌だけは違った。否、指導碁のときなんかは相変わらずの霞がかった微笑のままではあったけれど。目隠し碁を強要されていたときのあの子の強情さなんかは、見たとき、ああこっちが本物かと感動したものだ。
それははっきり苛めと称される類の行為だったが、それでも塔矢は屈せず、仮に負けていたとしても、彼は囲碁部を辞めることはなかっただろう。絶対に物足りないだろうに、塔矢が囲碁部なんかに入ったのには、理由があった。
つまりは、負けず嫌いの性分より何より、負けてまで得たいものがあり、それを自覚し追い求めることのできる、それが塔矢の本質だった。
色々な意味で裏切られて、目が離せない、というのが最初、私の感情の最たるところだったかもしれない。塔矢が可愛かった。見ているだけで愛しかった。私のことなんか目もくれず、ただ目標を見詰める視線が恋しかった。
塔矢が進藤ヒカルという子供と戦うために囲碁部に入ったらしいことは、もはや上層部では有名な話だった。前年度、中学生と偽り、大会で見事な打ち回しを見せた小学生、それを塔矢は見ていたらしい。
私は進藤ヒカルを知らなかった。ただ、塔矢に追い掛けられる価値があること、それをほんの少し羨ましく思い、何より彼が塔矢をそこまで奮起させる存在で在ることに感謝した。
塔矢は、真っ直ぐに進藤ヒカルを追っていた。
その呆れるほど真っ直ぐに目標に向かって突き進む、その様はひどく男の上昇志向を感じさせるものであったし、その呆れるほど真っ直ぐにただひとりの人を追う、その様はひどく女の情念を感じさせるものでもあった。何にしろ突出している。何かが刮げ落ちている。ドロドロに人間臭いくせに何処かヒトのにおいを感じさせない、そんな人間を私は初めて見た。否、恐らくこれからも、ここまでの代物にお目に掛かることはないだろう。
例えば、私達が日常生活を営むために被る嘘、気遣いだとか阿りだとか、要するに相手の御機嫌を取るといった行為が、歳に似合わぬほど実は慣れている癖に、本気の相手に対しては一切存在しない、それが塔矢だった。
普通の子は、寧ろ大事な相手ならば余計に追従するものではないかと思う。嫌われるのが怖くて、失ってしまうことが怖くて、相手の顔色を窺ってしまう。
だが塔矢は逆なのだ。どうでも良い相手には幾らでも愛想良くする、多分に衝突することで生まれる時間が惜しいのだろう。逆に本気の相手には、それこそ手段を選ばず突進し、そこでどれほど軋轢が生まれようとも、彼は一切の言い訳をせずに背筋を伸ばして立っている。
我欲をここまで自分に対して許容している子も珍しい、にも関わらず、それは所謂我儘とは全く別のものに見えるのは、多分塔矢の、我を通すことでそれ以外のすべての自分を犠牲にする決意のせいだと思う。
ただひとつ、碁を打つ自分のためだけに彼は周囲を顧みず、そうして碁を打つ自分以外のすべてを失っても構わぬ覚悟で、自分を捨てて我を通している。自らを犠牲にして、彼は自分の望みに邁進している。
彼にとっては、自分の身体も環境もそして才能すらも、碁に捧げる供物なのだ。
敵うはずがなかった。才能だとか経験だとか、そんなものとは別の次元で、私達が塔矢に勝てるはずもないのだ。
塔矢に勝てるとしたらそれは、塔矢ほどに己の才を碁に捧げることができる、或いは己を己の才能に奉仕させることのできる、そんな子でしかあり得ない。
それが進藤ヒカルなのだとしたら、確かに塔矢が言ったとおり、相手になれるのは塔矢しか居まい。
互いが互いを捨てて相手に向かってゆける関係。そんなものが、世の中に存在するのだ。
その考えは、私にとって恐怖だった。私の仄かな恋心など、及びもしない彼方に存在する関係だった。否、だからこそ私は、これを恋だのと認めることができなかったのかもしれない。
世界が終わるその瞬間にも、彼等は打ち合っているのだろう。当時の私は、その強烈すぎる幻影が焼き付いて、そこまでの激情でなければ何かを欲することも許されないのだと、呆れるほど単純に思い込まされていたのだ。
それに当てられている時点で、凡人はその域には達せまい。そう気付いたのは、囲碁部を去った塔矢と会える機会も減って大分経った頃だった。
卒業を間近に、もうじき塔矢を全く見ることもできなくなってしまうのだと考えることはつらくもあり、だがそれが正しい姿なのだとそろそろ納得もしていた。私が彼を見ようと見まいと、彼は変わらず打ち続けるであろうし、そして彼の前に居るのは私ではないのだ。
或いは、手を伸ばせば、彼の横に居ることなら叶ったのかもしれない。塔矢が私に好意を抱いていることぐらいは私も承知していたし、その手のことに関しては、押せば弱いタイプのような気がしなくもなかった。
でもそれでは私のほうが駄目だったのだ。私が可愛いと思った塔矢は、傲岸なまでの強さで以て他者を薙ぎ倒し、天にも負けまいと何処までも己を磨き、何処か得体の知れない人智の外に在るもの、神の一手だか至高の一局だか知らないが、そんな求めても得られないとわかっているものを我を忘れて追い掛けることのできる、そんな莫迦な狂人なのだ。
私が彼を恋うように、彼に私を慈しまれたとしても、満足できないのは私のほうだった。己が凡人であることを認めはしても、彼の凡人たる様を見るのは忍びなかった。そんなありきたりの彼の恋情など、それは当然彼にも本当は存在する弱い部分なのだろうけど、少なくとも私は見たくなかったのだ。
あまりに私は塔矢に望みすぎていた。そしてだからこそ塔矢に何も望んでいなかった。欲望のない恋心。天才に恋していた。
卒業式に告白してきた男の子と、それから私は付き合った。その子とはじきに別れ、また誰かを愛したり、愛されたり。そうして学生時代は過ぎた。
だが変わらず私は塔矢を想い、それは他の男に感じるような、嫉妬だとか独占欲だとか比較欲だとか、およそ一般的な恋にまとわりつくだろう湿った空気を、
「感じたことが……なかっ……」
「……由梨?」
嗚咽した。
これは聖域なのだ。私にとっての聖域なのだ、この恋は。
何も取り繕うもののない、一切の打算のない、この恋は、私が唯一誇れる、私が恋した塔矢の生き様と似た、透明な欲望だったのだ。
思い込みでも何でも構わない、自分にも塔矢と同じ部分があると思いたいがために恋したと謗られるのも構わない、本当は私の何処にも綺麗なものなどなくても構わない、ただ塔矢を綺麗だと私が感じた、それだけが確かな事実なのだ。
美しい人を、美しいと言えた、そのことを私は一生誇り、それは私となるだろう。
今日夫となる人に、誰よりうつくしいひとのことを話したいと、心から思い、私は私を心配して顔を覗き込んでくる愛しい人に、微笑んだ。