性別逆転/現在形 お題制限系

ヒカル

 彼女の伸びやかな脚はいつも素直で、彼女のかしましい口はいつも嘘吐きだ。

 とアキラは思っている。いつものように碁会所に顔を出したアキラは、先に着いて待っていたヒカルの姿勢に、彼女と出逢ってから何百度目かの頭痛を感じる羽目となる。こんなのはいつものことで、気にしてはならないと心に言い聞かせるが、どう考えても説得は自分に対してヒカルの脚よりも効果が低い。悔しい。感じるのは敗北感だが、それでも言わずにはおれないほど、アキラにとってその脚は眩しい。

「進藤ッ、だからキミは何度言ったらわかるんだ!」

「よぅ。いきなり何だよ」

「ミニスカートで脚を広げて座るんじゃないッ!」

「えー? タマ付いてなくたって、脚広げて座ってたほうが楽なんだぜー?」

「た……ッ」

「オレ脚太いんかな、太腿のせい?」

 などと言いながら制服のプリーツを捲り上げるヒカルに、アキラはただただ眩暈を覚えるほかない。

 ヒカルは挑発的に足を組んでアキラを見上げている。彼女の魂胆など丸わかりだ。丸わかりなのに、それに釣られていつも怒鳴ってしまう自分が口惜しい。

「第一オマエだって脚広げて座んじゃん。不公平だ」

「進藤。キミは女性だ」

 アキラの目の前でゆっくりと組み直されるあし。言うべくもなく、彼女はそれを自覚していて、だからこそこのような、アキラにとっては暴挙としか思えない行為に出ている。

「男に見える?」

「昔はな。だが今は違う」

「オンナだと自分の楽な姿勢で居ることも許されないってのは酷くねぇ?」

「あのね。キミだって何処ぞの莫迦な男をそんな格好で挑発して、その、電車などでさわられたくなどないだろう」

 アキラは怖い。ヒカルの格好が所謂、世間の男に好まれる格好だろうことぐらいは、いくら朴念仁のアキラにとてわかるのだ。かなり曖昧な言い方をした、そのもっと先のことや、否、それ以前の彼女に絡み付くだろう視線までもが、怖い。それは取りも直さず、アキラがヒカルをそのように見ているからで、それを自覚しているアキラは、いつも矛盾に苛まれて彼女に視線を当てられない。

「さわられて?」

「や、その、だから」

「レイプされることよりも、塔矢アキラに男と見られるほうがつらい」

 ぎょっとした体でアキラが視線を戻したヒカルは、静かに笑んで、それはまるで何もかもを許してでもいるかのようだ。昔いちどだけ連れられて行った教会に居たマリア様は、こんなかおをしてはいなかっただろうかと、回らぬ頭でアキラはおもう。

「オマエこそ、何度言えばわかんの? オレはオマエが好きなんだぜ。オマエがオレにハツジョーしてくれるためだったら、どっかの莫迦な男にねちこい目で見られてさわられるのくらい耐えられんの。わかった?」

 彼女の伸びやかな脚はいつも素直で、彼女のかしましい口はいつも嘘吐きだ。アキラはそう思っている。アキラはヒカルが自分を好きだのと欠片も思ってはいない。否、信じてはいるが、それが叶うと彼女が信じて口にしているわけではないと思っている。

 アキラが望んでいるのはもっと、例えば碁を打ち合うことだとか、他愛ない会話に微笑み合うことだとか、肉体にかなりの部分を依存しないと思われることだ。セックスするにしても自然と恋しさから出るようなものであるべきと考えている。挑発などとっくにされているが、発情などは彼女に対してでなくともできることで、そんなことは彼女にしてはならないとアキラは思っている。何よりそんな、肉体の価値でヒカルの価値を定めてしまってはならないとアキラは考えている。定められないと考えている。ヒカルの価値が、肉体などよりもっと尊いとアキラが感じるところの場所に存在すること、即ち碁にあることをアキラは心の奥底から確信している。ヒカルはそんなアキラのことを誰より知っているはずで、知っていると言い切られて、それでなお色々とわめかれる言葉は、アキラにとって現実味がない。

 ボクを発情させたい? ふざけるな。そんなことができると、キミは思ってもいないくせに。アキラの言葉は声にならない。そうは思っていても、それを口にしたら、何処かヒカルを傷付けてしまうような気がアキラにはしてならない。

 彼女の脚を、そして碁を、見ているとまるで喧嘩を売られているかのようで、挑発も実はアキラを蹴落とそうとしている盤外戦にしか見えないのは事実だ。度し難いことに、そこにこそアキラが彼女を愛しいと思う根源がある。まるで生きることすべてが戦いだと主張しているかのような、ヒカルのこころにもからだにもにアキラは恋をしている。アキラにとっても生きることは戦いだ。彼はずっと戦っている。だがこんな戦いは知らない。彼はそんな、自分に真っ正面から斬り込んでくる女性など、今迄もそして多分これからも、知らない。

「ボクはそんなはしたない女性は好まない。無駄だ」

「知ってる。おしとやかーで女らしーくて可愛らしーいオンナノコがお好みなんだろ」

 ほら、これだ。アキラはヒカルに斬り込めなかったことを後悔する。ヒカルがアキラの好みに合わせて本当にアキラを挑発したいと思ってくれることなどないというのに。アキラは傷付いている。傷付く自分にならば、もうとっくに諸手を挙げて降参している。だがそれを彼女に見せることは負けのような気がして、負けたらヒカルが自分への興味を失うような気までして、アキラは未だ意固地になっている。

「ならもう止めろ。そんな格好でボクを挑発することはできない、他の人間を煽るだけだ。知り合いがそんな目に遭うことを考えるのは愉快じゃない」

 心配してくれるんだ、とからかわれることを承知で言う。だが予想していた言葉は返らず、彼女は先程と同じ、まるで泣きそうなかおで笑んでいる。

「どうして、だから他の人間を持ち出すんだよ? それでどうなんの? オマエに心配させないような、オマエの好みのような、そんな格好で、そんな態度で、オレはオマエに愛されんの? それはオレ? オマエ、ホントにそんなオレが好き? オレはオマエなんかちっともタイプじゃないよ。でも好きなんだ。ただ好きなんだ。好きなんだ。オマエにもそう思ってほしいだけなんだ。だからなってなんかやんねぇ。オマエの好みになんか合わせてやんねぇ。そんで手に入れるんだ、オマエを。オレはオレのままでオマエを捕まえる。憶えとけ、絶対にそんな言葉にオレは傷付かない。だから、何を言っても無駄だ。誰かに莫迦な恰好した軽いオンナと言われることよりもオマエに好かれないことよりも、オマエにオレを認識してもらえないことのが辛い。オレはこれだ。今オマエの前に居る、これがオレだ。オマエと逢ってなかったらちったぁオンナノコらしくなってたのかもしんないけど、オマエの前で偽るなんて、何よりオレの前で何にも偽ってないオマエの前でそんなことをするなんて、耐えられない。オマエだ。こんなオレを作ったのはオマエだ。オレを諦めず、震えながら怯えながら、立ち向かってきた、オマエがなんにも諦めなかったから、オレは諦めなければ世界のなにもかもを手に入れることができるかもしれないって信じたくなったんだ。だから、無駄だ。諦めない、オレは決して、なにひとつ。オレとオマエのなにひとつ、諦めない。決めたんだ」

 そう、一気に捲し立てると彼女はうつむく。表情が見えなくなる。しかしそれも一瞬で、次の瞬間にはヒカルはキッと眦を上げて碁笥をつかみ、アキラを睨み上げ、アキラはそれをこそ美しいとおもう。

「塔矢。座れ、打つぞ」

 そうしてアキラの視線は彼女の碁石を掴むゆびに釘付けになり、彼が碁だけでなく白旗を揚げる日は近い。

佐為

 初めて夢精したとき、それの正体をヒカルに教えてくれたのも佐為ならば、夢の中での相手も佐為だったというのは、今のヒカルにとっては笑えない事実だ。

 ヒカルがいつから彼女に惹かれていたのか、ヒカル自身も知らない。いつもそばで見守っていてくれた、彼の友であり彼の師であり彼の母であり彼の妹のような存在は、いつしか彼の恋の相手としても存在している。

 ただ、そうはいってもその相手は幽霊で、抱き締めることも口吻けることも如何ともし難く、ただただ少年は想いを散らすよりほかないと思っている。だが雑誌などを使ってみてもまぶたに浮かぶのは彼女の白い衣に秘匿されたしろいからだで、そうして吐精した彼が罪悪感に駆られて佐為ごめんとつぶやくこえは弱々しく痛ましい。

 佐為は手を伸ばす。ヒカルに手を伸ばす、そのゆびはしろく、ヒカルの身体をすり抜けてゆく。佐為も言う。ヒカル、御免なさいと。

 誰がこのうつくしい幽霊を愛さずにいられるのだ。ヒカルはおもう。常日頃からこの美しいたましいにふれていて、誰が彼女を愛さずにいられるのだ。無垢で純粋で残酷で狡猾で、まるで少女のようなふるまいを見せる千年幽霊に、ヒカルのたましいは惹かれてならない。そうだ、惹かれているのはたましいのはずなのに、佐為に比べ自分の肉体のあさましさは何なのだろうと、ヒカルは泣く。自分を哀れむでもなく、佐為に申し訳なく思うでもなく、生の遠さににひたすら泣く。

 すると、佐為は何を思ってか、自分の衣を解き始める。やめろ、佐為。ヒカルの言葉は言葉にならない。少年はなみだの痕を残したうさぎの眸で、彼女のあらわにされてゆく白いはだを見詰める。

 上も、下もはだけられたからだを、佐為はヒカルに重ねる。それはヒカルを通り抜けて、ヒカルは今まさに佐為の中につつまれている。そのまま彼の手に自分の手を重ねるのは、卑怯ではないかとヒカルは思うのだ。泣きながら、そうつぶやいてヒカルはゆびを動かす。彼女に教わった碁石を持つゆびを動かす。

 てのひらに吐き出したにがい生のいろは、佐為の衣にも似た白いしろいミルク色。指先から垂れる残滓は粘性を以て玉のように丸まり、白石のようだとヒカルはおもう。

アキラ

 ヒカルは泣きたい気分になっている。どうにも泣きたい気分である。

 午後の十一時。同じビル内の上下のフロア何処を見渡してもあかりは灯っておらず、ここ、囲碁サロンのみに灯った皓々とした蛍光灯のひかりが目に眩しくて泣きたいのだ、とヒカルは自分に言い聞かせる。

 彼の目の前には、彼が永遠のライバルと定めた塔矢アキラが姿勢良く座っている。背筋をしゃんと伸ばし、脚をきちりと合わせ、ヒカルもつられて姿勢が良くなる。それは良い。

 良くないのは、自分のこころだとヒカルは思う。ヒカルは彼女をうつくしいと思っている。こころもからだも何よりも美しいものだと思っている。そしてそれを汚してはならないと思っている。

 要は、この夜中に二人きりという状況が、若いヒカルには辛いのである。辛いと思う自分を許せなくて、それこそが辛いのである。

「塔……矢さん」

「はい」

「あの、そろそろ終わりにしませんか」

「疲れましたか?」

「いえ、そういうわけではないのですが」

「もう少し、検討を続けたいのですけれども、駄目でしょうか」

 礼儀知らずの無法者と、棋院関係者に悪名も高いヒカルが、アキラにだけは敬語を欠かさないことは有名な話だ。彼女が万人に対して使うように、ヒカルは彼女に対してだけ敬語を使う。それはヒカルにとっての仁義である。生涯のライバルと定めた人への、ヒカルなりの表敬だ。

 彼女は慎ましやかで礼節に深く、碁に関すること以外で強く己を主張するような真似がない。他人に対して、特に男性に対して呼び捨てにしたり言葉を崩したりが、できない。そのように躾られているし、何より、もしそれから外れようものなら、彼女はその強さと環境と外見故に、あまりに身に降り掛かる雑事が多くなりすぎる。ねたみ、そねみ、期待、今でさえ多大に受けている彼女にとって煩わしい以外の何物でもない願意外の外部からの要求が、たかが言葉遣いや恰好程度で増して碁の勉強の時間が削られることを、彼女は全く以て好まない。

 それは或いはおとこであってもそうだったのかもしれないとヒカルは思わないでもないのだが、ただ一度、彼女がヒカルを呼び捨てにしたときのことを憶い出すと、必ずしもそれだけではないのだろうと哀しくなる。

 何の拍子にだったか、もはやその前後を憶えてはおらぬのだが、とにかくも出逢って間も無い頃、アキラはヒカルを呼んだのだ。進藤、と呼び捨てにしたのだ。

 そのとき、ヒカルはおや? と首を傾げたに留まったが、そばに居た同級生がそれを聞き咎め、去ってゆく彼女の後ろ姿に、わざと聞こえるようにとしか思えないこえで、こう言ったのだ。なんだあれ、美人のくせに生意気でー、進藤なんで莫迦にされて黙ってんの?

 ヒカルはその言葉に吃驚して同級生を振り返る。今のヒカルの言葉で言うならば明盲たるその彼は、勝ち誇ったようなかおで彼女の背中を見ており、ヒカルが視線を移した彼女の背中はまるで何も聞こえてでもいないかのように頑なで、それ以来ただの一度もヒカルに対して言葉を崩すことなどなかった、それがすべてだ。

 だからヒカルも呼んだ。塔矢さん、と。

 そのとき彼女はと言えば、消え入りそうに儚く、哀しいのか嬉しいのか自分でもわからないといった風に微笑み、ヒカルはそんなかおを見たくなくて、以来ずっと敬語を使っている。彼女と対等でありたいと、思っているのはアキラよりもアキラを追っている自分であるはずだとヒカルは思い、ならばそれにふさわしく振る舞わなければならないとおもう。その表明である。

 彼女は強い。彼女の碁はヒカルの知るだれよりも力強く強情で粘り強く強引で、それでいて無理がなく冷静で冷徹だ。彼女の何処が控えめなものかとおもう。彼女の本性は決して慎ましやかなどではなく、鬼にもなれる激しさを秘めており、実際強い。なのに、ただ女というだけで何故自分より弱い者を呼び捨てることすら我慢して何も感じないように微笑まざるを得ないのか。それが如何にアキラにとっては取るに足りないことだから唯々として従う振りをしているのだとしても、そもそも何故そのようなセクシャリティが存在するのか。彼女が付ける現実との折り合いは、ヒカルにとって痛ましい。

 思えばヒカルのクラスの女子達もそうである。小学生の頃はたくさん居たような男子を呼び捨てにするおんなは、今では殆ど居ないとヒカルは思う。名前で呼び合っていた時期が過ぎると苗字で呼び合う中に、それが過ぎると男子は呼び捨てのまま、女子は君付けで呼ぶようになった、その変化がヒカルには未だに理解できない。いままで箒でぶっ叩きながら進藤! と怒鳴っていたおんなたちは、一体どこに行ったというのだ。彼女達に進藤君と呼ばれる度、ヒカルは居た堪れない思いに捕らわれる。

 ヒカルにはよくわからない。ヒカルはおんなになったことはない。ただ、女が男を呼び捨てることが男を莫迦にしていることなのだというのなら、逆もまた然りではないのかと思ったのだ。ヒカルはアキラを莫迦にしたくなどない。アキラを尊敬している。アキラができないのならばと、逆にアキラに合わせて敬語を使い、彼女を塔矢さんと呼ぶ。

 だから、ヒカルは今、困っている。アキラに対し礼節を欠いた行為をしたいと思っている自分を、心から恥じている。

 世の中のカップルを見ると、あれほど自分とアキラに似合わぬものもない、とヒカルはおもう。おんなに母親を求めるおとこ、おとこに父親を求めるおんな。あんな依存関係は自分達に似合わない、なのに自分はアキラとそういうことがしたくて堪らない。ヒカルはただ自分の矛盾に困惑するばかりである。

 こんな夜中に、ふたりきりで。ヒカルは自分が怖い。アキラが自分を好いていることぐらいは知っている、自分がアキラを好いていることぐらいは疾うに自覚している。だがそれでどうしろというのだ。ヒカルはいつもそこで思考を止める。それはヒカルの意志のちからだ。本当はだから、ヒカルが恐れるヒカルなどはヒカルのちからで容易く征服できるもので、彼が恐れるような事態など起こりようはずもない。ヒカルはアキラにおんなの真似事をしてほしいわけではないのだ。そんなことをさせて、あのときのように傷付けたくなどない。

 寧ろ正反対の彼女の碁が、表面上の彼女の態度とは真逆に存在する彼女の本心が、ヒカルにとって何より大事なものだ。世間の有象無象に無責任に振り掛けられる賞賛と期待と誹謗とに、柔軟に折れる姿勢を見せる振りをしながらも、自らの最も大事なものを自覚し強固にそれに邁進し、孤高として何物にも属さない気高い彼女のたましい。ヒカルが愛してやまない、濁世にまみれぬ不可思議そのもの。ヒカルが俗受けする自我を自らに認めることなどできようはずもない。それが如何にヒカルの心底の本心から出たものであろうと、それにかまける暇はヒカルにもアキラにも、ない。彼等の間にはもっと心を砕くべき何より輝くものが横たわっている。

「駄目……ではないのですけど」

「じゃあ、お厭ですか」

 厭なはずもない。厭であろうはずもない。

 そう言い、ヒカルは困って、ただ泣きそうにかおが崩れる。彼女はもうずっと泣きそうなかおをしている。

 御免なさい、というちいさなつぶやきが聞こえて、ヒカルの碁石を挟んだひとさしゆびとなかゆびに、彼女のリップひとつ纏ってはいないはだかの口唇が触れ、ヒカルの口唇から洩れたのは諦めにも似たあつい吐息。御免なさい、と彼も呟く。

 だが誰に謝ろうとも、何に泪しようとも、彼等は自ら欲するところのものを決して違えないことを互いのゆびに誓う。誰に理解されることなどなくとも、時に弱った自分にさえ疑われようとも、それは決して指輪を嵌めるくすりゆびなどではなく、彼等にとってなにより真実となり得る、輝かしい未来を伴ったゆび。薬指から繋がる心臓よりもいのちに直結したゆびが、彼等には存在することを、彼等自身が誰より知っている。

あかり

「ふざけんなよコラァ!」

 あかりがヒカルを殴る。ふたりは幼馴染みだ。相手の沸点など厭と言うほど知り尽くしている。こういうとき、あかりのこぶしには本当に容赦がない。

「ってーな! いきなり殴ることはないだろッ?」

「いきなりじゃなきゃ逃げるだろうが!」

「当り前だ!」

 先にヒカルに対して怒り出していたはずの三谷は、ふたりを見てぽかんとなっている。無理もあるまい。あかりの怒鳴り方は尋常を逸している。そしてその怒りの根元は三谷と対極の位置にある。

「塔矢を追っかけるってーのに、落ちたら大会に、だぁ? ふざけんな! 落ちたってもうここにゃおまえの居場所なんかねーよ! トップを目指すってのに、ここにぬくぬくと逃げ場を作って追いつけるはずないだろが!」

 ヒカルは傷付いたかおをしている。だがそれは甘えだ。真実を突かれたからだ。あかりの指摘は正しい。逃げ場を用意して塔矢アキラに追いつける道なぞ存在するはずもない。本当はそんなことぐらい、ヒカルも疾うに承知している。ただそれでもこの場所を愛しいと思うヒカルのこころを責めることは今のヒカルにはできない。だから代わりにあかりがなじる。それがヒカルにとって必要なことだとわかっているからだ。

 三谷も傷付いたかおをしている。あかりの言葉に、事の本質を見抜いたからだ。ヒカルを引き留める術は既にして存在しないと悟ったからだ。そしてヒカルを言い訳にして部活を楽しむことを許していた自分を知ったからである。

 誰彼や何某かを逃げ場にせずとも言い訳にせずとも、真っ直ぐ自分の希みに恐れることなく立っていられる強靱さを、ヒカルはアキラに見て知ったし、三谷はヒカルに見て、もはや知っている。

 あかりはそんな三谷を見ても、彼に頓着することなどない。三谷を気に掛けヒカルへの糾弾を緩めたらそれは、ヒカルを腐らせるのみならず、三谷をも腐らせることだとあかりは知っている。だから無視する。傷付いた子供など放っておけば自分で立ち上がれるものだとあかりは知っている。

 部室にある碁盤をすべて引っ張り出しても数はたったのみっつ。ヒカルとあかりと、皆の手垢にまみれた安っぽい碁盤。ヒカルにとっても宝物だろうこれらを、あかりはこれからヒカルに捨てさせなければならない。

「ほら。打てよ」

「あ、あかり?」

「筒井さんも、三谷も。座って。三面打ちだ。やれ、ヒカル」

「あか――」

「おまえはオレ達に力を見せ付けて出てかなきゃならないんだ、ヒカル」

 そうしてヒカルは戻れる場所など失い、アキラを追い掛けてゆくしかないのだ。三谷はヒカルを言い訳に部活に来ることなど許されなくなり、ただ自分の心に楽しいことが何かを問わなければならなくなるのだ。

 そうしてあかりは、ヒカルと同じ道を歩むことなどできなくなり、自分の道を見付けるよりほかなくなるのだ。

 どれほどヒカルのその輝くゆびさきに憧れようとも、そこにあかりの生きがないことは、あかりにしても当然にしてヨめる死活である。ならば決心は容易い、と彼はその伸びやかな精神でヒカルを捨てることを明るくおもうのだ。

 生きるよりも死んだほうが勝ちを得ることもある。それは彼がヒカルに教わった碁から学んだものであり、今まさにヒカルからそれを学び、教えさえできるのだ。

塔矢夫妻

 明子は腹を立てている。心底腹を立てている。その怒りはのちの勝利に繋がるものだという自身の気質を理解している彼女は、その怒りを敢えてそのままにしている。強い。強さは彼女の誇りだ。それは碁に於いても性格に於いても同様であり、自ら課すことに何ら吝かではない。

 だから彼女は、強さそのものを否定されることに多大な怒りを感じる。今回もそれだ。いつものようにリーグ入りし、タイトルへの挑戦権までをも得た直後、誰のくちから出た言葉か、彼女の耳は高性能な集音器の如き過敏さを以てその音を捉え、それは彼女がその言葉に傷付いた証拠である。

 おんな相手に本気で戦えるはずないじゃん、卑怯だよなー。

 どちらが卑怯と言うのか、と明子は肩を怒らせる。言い返せば良かったと思う。気を遣って負けてくだすって有難う御座居ます、またひとつタイトルを手に入れられますわ。

 だがそれを言える類の強さは彼女にはない。またそれを手に入れたいとも思っていない。嫌味のひとつも言う暇があるのならば、もっと腕を磨けば良いと彼女はおもっている。それが彼女の強さの所以だ。そんな誹謗で沸き立つ反動力があるのならば、やっかまれるのもあながち意味がないわけではないと彼女は思う。

 ただ、だからとてあれが良いはずないのだ。後進のためにも、女流嫌悪の風潮はなくすべきと思うし、何より明子とて、傷付かぬはずはない。傷付くことを唯々として受諾するつもりはない。

 勝って当然、負けたら恥。言葉にはならずともそのような無言の圧力を浴びせかけられることに慣れてしまったたましいが、どれほどの精神的自由を維持したままで日々を過ごせるというのだろう。傷付くことに慣れぬ精神は脆い。だが傷付くことに慣れすぎた精神もまた、均衡を失うものだ。自らの輝ける産声を閉じ込めてしまうものである。

 そうして閉じ込められたたくさんの産声は、更なる構造の再構築を促す。おおきなこえをより大きくしてしまう。悪循環だ。

 だから自分は叫びをやめるわけにはいかないと明子は思う。そしてそれは明子の何よりの希みである。彼女にとっての咆哮は、碁を打つこと、そのものだ。それは彼女の生き様だ。戦いそのものだ。

 だがそんな自分の精神が、果して赤子にどれほどの影響を与えてしまうのかと考えると、彼女の覇気は途端に標準以下にまで落ち込む。下腹部を押さえる。自分のここに宿った別のイキモノが、自分の何を吸い取って大きくなるのかを考えると、明子はこんな闘争本能剥き出しの自分が恐ろしくて堪らなくなる。

 医者には心穏やかであれと言われている。怒りは子供によくないと教わっている。

 それは戦いを止めろと言われているも同然だ。どうしろというのだ。明子は困惑する。それを止めろということは、明子に生きるなということと同義だ。明子が生きずして、どうして赤ん坊を生かすことができるというのだ。

 子供を大事にという言葉の意味は良くわかる。子供が大事ということは実感として良くわかる。腹の中の子は明子にとってもこれほどに愛しい。だがそのために平気で母親の精神を殺そうとする者達は、一体何様だというのだろう。

 そもそも子供を産む身なれば、慈愛だけで存在していろとでも言うのか。闘争心など抱いてはならぬ生き物だとでも言う気か。それを正しいのかもしれないと思ってしまう自分に明子は落ち込む。果てしなく肩身の狭い思いを抱く。

 産むか堕ろすかは明子が決めてくれ。そう言った夫のかおを明子はおもう。行洋が選択権を全面明子のものと言っていなければ、自分は堕ろしていた可能性もあったと明子は思っている。産めにしろ堕ろせにしろ、もし行洋が明子を産める性ではなく産む性として見て、子供のあるないに女の価値を求めたとしたならば、それを言い訳に自分は、他人の判断に従うにしろ逆らうにしろ、どちらにしろ自分の価値観のみを頼りとして判断を下せなかっただろうと思う。

 わかっている。世間の判断に責任を委ねれば楽なことはとっくにわかっているのだ。勤勉で慎ましやかで自愛に満ち妻として母として生きる。明子が結婚したとき、両親は喜びもあらわにしたものだが、明子が外で働き行洋が家で働くことを告げたときの嬉色の変化ときたら、明子でも流石に申し訳ないと思ったものだ。彼等は言う。女なのだから無理してそんな戦場のような職場に行かなくても、と。明子は戸惑う。明子にとって碁を打つことは営みというよりは生き様そのものである。無理など勝負ではして当り前、無理のない人生など何処に存在しよう。もし無理をするというのならば、碁をやめることのほうが余程明子にとっては無理である。女だからと自分に負けてくださるような男性棋士のように慈悲深い性格になれというほうが土台無理である。

 わかっている。他人の判断に責任を委ねれば、自分を傷付ける言葉が減る変わり、明子は多大な無理を強いられるのだ。明子が明子らしく在ること、それだけがどうしてここまで世間との摩擦を引き起こさねばならぬのか、明子にはわからない。行洋とて同じだ。彼も無理をせず自分にとっての楽な選択をしただけなのに、男性であるというだけで両親その他には白い目で見られている。家庭に入るなんて負け犬とまで言われている。ならばそもそも家事をすること自体が敗北宣言だというのか。それを娘にはさせようとしているのか。明子には彼等の言い分がわからない。わからず、ただ言い様のない哀しみが弥増すばかり。

 ただそれにしろ、両親のことならば明子も割り切れる。問題は、この子供だ。いま明子のお腹にいる、ちいさな命だ。

 明子は胎児よりも母体に重きを置く人間だ。人間の価値はハードでなくソフトにあると思っている。だから精神の成立していない子供には、慈しみを抱くという感情とは別の観点から冷徹であるべきとも考えている。

 しかしそれと、相手の生殺与奪の権利のすべてを有することに対する恐怖とは別物である。その恐怖は、子供を産むこと以上の価値観を当の女が有していても何ら損なわれるものではない。寧ろだからこそ惑い怯える。無条件に赤子を尊重し、母親を軽視して堕胎を否定する輩と、ただ自分の意思だけで赤子を殺せる立場にある自分との違いのなさに、明子は震える。嘔吐感に口許を抑える。

 ああ、今日こんなにも機嫌が悪かったのは、つわりのせいもあったのだ。そう気付く。いのちの場所を撫でる、いつもは碁石を挟む、そのしろいゆび。闘争心を吐き出すそのゆびを、今はやさしく撫でるゆびにしている。

 明子はこれからもずっと惑うだろう。世間と自分の価値観の間で揺れ惑うだろう。それがこの子の揺り籠になれば良いと切におもう。それこそがこの子に与えられる、明子の持ついちばんのものだ。明子という人間そのものだ。それが明子の誇る強さである。傷付き惑い怯え、揺れながら高みを目指す、それは可能性の輝ける一端。

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