丸い窓に切り取られたまるい空は、雲ひとつなく完璧な青だった。
「きっれー……な、あお」
それは死に向かう人間の言葉として正しかったのかどうかはわからない。ただ、塔矢はそれに面白そうに咽喉を鳴らしていたので、まぁ良いかと思う。
「空の青と雲の白は不思議だね、正反対のものが同居している」
「正反対?」
「うん。あおっていうのは、淡し、つまりはっきりと現れないぼんやりした淡さのことなんだ。逆にしろは顕し、つまりはっきり物事が現れ出ることを示しているから」
「しろし?」
「顕著の顕、だ」
「……ああ。青のがはっきり、雲のがぼんやりしてるのにな。なんだ、なんか空っておまえみてぇ」
「ボク?」
「見掛けと、中身と、表には裏があって、裏には表がある」
「……?」
「なんだっけ、アンバランス? アンチョビバレンス?」
「君は一度中学の先生に謝ってきたほうが良い。アンビバレンスだろう」
窓の外を見遣ると、下に近付く海のあおさえ見なければ、いま落ちているなんてことさえ忘れてしまいそうだ。
国際棋戦の帰りだった。
今時珍しい、真っ直ぐで真っ黒な市松人形の如き塔矢の髪に、大抵の外人は振り向いてまじと見詰め、時には指まで伸ばして恥ずかしげもなく大仰に褒めたりもした。塔矢はそれに曖昧に微笑むだけだが、それがまたアルカイックスマイルとやらで外人には受けが良い。
奴等の髪は色も明るく弱くふわふわと頼りなくうねり、だがそれとは裏腹に意思を伝えようとするちからは真っ直ぐに力強く言葉は厳しい。塔矢はその髪とは裏腹に、現代ではもはや絶滅したかもしれない大和撫子が如くの態で表面上は接する。ふぅん。オレは鼻を鳴らす。そんなものはただの形骸だ。碁を打つ時間を増やすために、模糊と微笑んで曖昧に摩擦を少なくしていたほうが合理的だからだ。塔矢がまだ塔矢行洋の息子だった頃の名残でもある。
もし彼の思惑に誤算があるというのならば、その微笑があまりにも似合ってしまうところだろうか。それが人を惹きつけて、結果時間を割かれることになってしまうことを、塔矢は気付いているのかいないのか。
塔矢の持つ美貌は決して、一般に言う美しいという類のものではないと個人的には思っている。例えば昏い情欲を誘われるような、乱れや崩れといった隙、謂わば色気のようなものはまるでなく、寧ろ戒められるかのような、パーツの組み合わせを他に考えられぬかのような、数式の如き整い方だとオレは思うのだ。
その難問に挑戦したいという征服欲はまた次のステップだ。人は大抵、完璧に設えられたものには恐怖にも近い畏怖を示す。完全円に対するような、非自然的な完璧な無意味に対する敬愛と言っても良い。人間らしさの発露だ。
あり得ない、無駄な、無意味な、そんな塔矢の不自然な姿形は、人間にしか意味のない真円のようなその容姿は、塔矢にとっても本当に無意味なものだ。否、他の人間には価値があるかもしれない無駄だが、塔矢にとってこそ、最も無意味なものだ。
それは塔矢が獣だからだ。数学や音楽などといった記号の集約の規約を、科学の言語と言ったり世界の言語と言ったり、そんなリリカルな感性は人間だけのもので、そんな情緒は塔矢にはない。人間の脳は意味を食べなければ生きてはゆけぬほどに肥大しているが、そしてその意味世界は大概がその人間の生れ落ちる前に存在するが、生憎と塔矢の生まれた先には囲碁という塔矢にとって完璧な世界が存在していて、それ以外の世間様の有象無象の価値観は、碁以上に塔矢を捕らえることができなかったのだろう。
塔矢ほど意味を食べずに生きていられる人間をオレは知らない。常識も礼儀も人並み以上に持ち合わせているくせに、それは単に自覚的に取っている慣習であり摩擦を避けるための手段であり、合理主義の結果であり、その礼式を美しいなどという感覚で無意識に行っているわけでは決してなく、様式美に価値を見出すような所謂人間らしい人間では彼はなかった。他人の評価を必要としない、最たるモデルともオレは思っている。
つまりは塔矢アキラという人間の容貌に最も関心がなく最も価値を見出していない人間が、当の本人だったということだ。尤も塔矢が価値を見出していないもので世界は満たされており、彼が興味を示す事柄はあまりにも少ないのだが。
そういう点で、佐為と塔矢は精神の在り方を異にする。
一括りで言うならば、確かに彼等は碁莫迦の一言で済ませられるのだが、佐為が様々な興味の中から囲碁を最も大事にしていたことに比べ、塔矢は囲碁だけがすべてと言って良い。これは囲碁に喰われているイキモノだ。喰われて、そして喰らい尽くすために存在する。
佐為は美しかった。綺麗、という雑多なものを含んだ芸術的な曖昧さで表現するならば、確かに塔矢よりも佐為の容貌や精神のほうがずっと不純で綺麗だった。それは幽霊のくせに、生命としての美しさだったとオレは思う。
あんな、死を恐れる幽霊なんて、オレは知らない。
こんな、死を恐れぬ人間なんて、オレは知らない。
塔矢は咽喉許に銃口を押し付けられても、その眼差しを、態度を、変えることはなかった。そんな態度がテロリストを煽ろうことは聡い彼のことだ、重々承知はしていようが、それでも彼は変われまい。変わるまい。どちらにしろ、死ぬときは死ぬし、死なないときは死なないのだ。
それはもはやプライドですらない。そう在らんと自ら欲する矜持ではなく、単にそういう生き様であるところの生き物が塔矢アキラというだけの話だ。何故ヒマラヤを越えるのか、何故地上に卵を産むのか、問うてももはや鶴が、亀が答えられぬであろう次元と同じレベルで、塔矢アキラとはそういう生き物なのだろうとオレには推測されるばかりだ。
それを哀れむ資格はオレにはあるまいとおもう。ただ愛しい。切ない。人で在れないヒトに対する愛情は、赤子に対する愛情にも似て、あまりにも哀憐と区別が付かない。
今この航空機をスカイジャックしているテロリスト達の要求は、投獄されている彼等のボスの解放ということらしかった。少なくとも彼等のボスは、塔矢よりもオレや佐為に近いようだ。意味ある生を請う、それは死にゆく生への恐怖に他ならない。
ただよくわからないのは、生きていなくては残せないものがあると、オレは佐為を見てよく存知しているが、死後の世界も知らず、ただ死に向かうことをひたすら恐れる人々の心境だ。己が確かにここに生きているのだと、叫び自己主張する人々の存在だ。何故そこまで躍起になる。死を知らぬ生き物としては、塔矢のほうが正しくさえ思えてくるほど、人間の悲痛な生への渇望は痛ましい。その不自然なまでの生きたがり、或いは活きたがり、それは塔矢にはないものだ。
生きなければならないとか。愛されなければならないとか。幸せでなければならないとか。
そんな思い込みから自由で在る塔矢は結局、誰を愛そうとも誰に生きろと言われようとも、誰からも愛されることはできないし、誰のために生きることもできないのかもしれない。ごく端的に言えばオレや佐為が打つために、碁のために生きているということならば、塔矢の碁莫迦は結局、誰と打てなくとも誰に認められなくとも、もし自分ひとりのたましいで完結できるものならば、命さえも必要とはしていないものだと思う。
もしオレが居なかったのならば。
それを考えるとぞっとしない。オレと佐為の集合体が塔矢を掻き混ぜていなかったら、塔矢はただひとりその世界の頂点で、何もかもに飽いて、それこそ生きることに生かすことに、飽いて活きてはいなかったろう。生命こそ繋いでいたかもしれないが、碁は生よりも塔矢を早くに連れ去っていたことだろう。
あまりにも雑事だった。彼にとっては碁以外のすべてが瑣末事だった。周囲の阿鼻叫喚も、先程塔矢の命を狙っていたテロリスト達の仲間割れも、突如高度を下げ始めた飛行機も。テロは失敗したらしい、運転技術を持った人間を殺してしまって何とする。
そうして淡々と非現実的な物事を考えることに、オレはあの幽霊で慣れている。塔矢にとって無意味であったはずの事象は、今オレにとってもトゥリビアルで、なんだ結局そうなのかとボタンでも押したくなる。現実に起きる非現実は、日常で想像する非日常よりもずっとリアルにヒトに浸透し、佐為の存在をオレひとりで抱え込んでいたように、騒ぎ立てるほどの大事でもなく、すぐにただの現実となる。
「塔矢塔矢」
「なんだい」
「おまえ、トリビアの泉って知ってる?」
「それを言うならトレビの泉だろう」
トレビの泉って何だろう。窓の外に目を遣った。
そのあおは周囲の焦燥と対照的な静謐のあおだ。自分の乗っている飛行機が落ちるという非現実は、まだ乗客にとって現実になってはいないらしい。騒いでいる。
死に向かうのは毎日のことなのに、どうして人間はそれを忘れていられるのだろう。
佐為でさえ忘れていた。死しているはずの幽霊にさえ、死は現実的ではなかったようだった。ましてやあの頃のオレにとって全く現実味のない現実だったろうに、佐為が消えてからこっち、自らの死まで含めてそれはひどく当り前のようにオレの思考の前に横たわっている。
今のオレにとっては、死を考えることが生きることにも近かった。
「落ちるかな」
「落ちるだろうね」
「もっと、ジェットコースタみたいに落ちるのかと思ってた」
「紙飛行機と同じだよ」
「あー……フラミンゴ左手の法則とか何とか。なぁ、自殺防止のアイディアを募集したらさ、すんごい応募があったんだってさ」
「……へぇ」
「うんそれがトリビアの泉。んでさ、だとしたら今オレ達も、防止されるほうなのかなぁ」
塔矢は凝っとオレを見詰めていて、それは何処までも穏やかだった。オレ達の周りは死に対する生の恐怖に満ち溢れていて、もしこの喧噪が生物としての正しい在り方なのだとしたら、確かにこの静穏は正しくない、糾弾されるべきものだ。
「自分の意思で望んで生まれ出る赤ん坊は居ない。なのに自分の意思で死ぬことさえも、許されないというのか。自分の意思で生きることは推奨されるのに」
「誰かが死ぬと哀しいからじゃねぇの、自分の身勝手のためにさ」
「そうしてその恐怖で、想像上の殺人者を殺しに行くんだ」
オレが佐為を殺した自分を殺したいと思ったように、だろうか。
「……進藤」
「なに?」
「怖い?」
「何が?」
「生きることが」
「それはおまえじゃ……ってそっか、おまえなら生きることも怖くはないのか……。死ぬのは、怖くない?」
「……良く、テレビとかで動物愛護の番組をやっているだろう?」
「ああ」
「ボクはああいう感情に、共感できたことがない。自分が怪我をしたらすぐに病院に駆け込むくせに、ペットが怪我をしてどうして放っておけるのかと。そう、怒り狂う人達の気持ちがまるでわからない」
「だっておまえ、それはおまえが、おまえは自分が怪我したって気付かないじゃんか……」
もし、動物愛護精神の根底が、人間と動物の命の同列化なのだとしたら、塔矢は思想上、正しく人間と動物を対等に扱っている。自分と他者を等しく扱っている。最たる動物愛護者で弱者の味方のヒーローだ。
「気付かない、わけではないんだけど。気付いてもどうでも良いんだ、動物の命が重く感じられないのと同様に、人間の命も尊くは感じられない」
「だけどそれでも、例え大勢の人間の命を大事と思えない人達でも、自分まで含めてどうでも良いとおまえみたいに思える人は少ないんだ、きっと」
大人がよく子供に言う、自分のされたくないことは人にしてはなりませんという理屈は、ならば自分が殴られても蹴られても何とも思わないのならば、人にはして良いことになってしまうのだろうか。
それは塔矢が何の意味もなくただ人を殺せるということだ。殺される今に際しても動じないのは、それと同様に殺されることに意味を見出せないでいるからだろう。
それなのに塔矢は、常識を良く弁えている非常識なこのお人好しは、弱者も子供も動物も、それはそれは大事そうに、扱って見せるのだ。どうでも良いからこそ、己さえどうでも良いから、見返りなど求めることさえ知らぬげに、それこそ無償と評される体で。
矛盾はない。自分の命がどうでも良いのと同様に、他者の命もどうでも良く、どうでも良い自分の命を生かしているのと同様に、どうでも良い命にとても優しい。
それをお人好しと言わずして、何をお人好しと言うのだろう。
これを優しさと言わずして、何と彼の冷酷を表現するのか。
「そうなんだろうね。多分、他人の命を大事だと言える人は、自分の命が大切だからだ。でもどうして、そんなにも大事なんだろう。それがボクにはわからない。ボクには、こんな脆い生命なんかよりも、そんな死への道程で生まれ彼等の死後も残った、棋譜のほうが余程重い。名局が残ることと、自分の命が残ること、そんな二択、考えるまでもない。ただ、生きている過程でしかそれが残せないことに、理不尽を覚えるだけだ」
そうして塔矢がオレに口吻けた、その意味が痛いほどわかった。こんな部品の接触に意味を見出すことができる存在が、命の短い生命だけという不合理さは、一体何なのだろう。
生命などなくても、情報はそこかしこに溢れていて、だがそれに意味を付与できるのは、生命しか居ないのだ。佐為がオレなど居なくともただ佐為のみで存在していたように、そして佐為がただオレの肉体によってのみ価値を世に示せたように……?
「どうしてこんな生きているなんて不安定な状態でないと、人間は歴史も残すことができないのだろうか。親を苦しめて望んでもないのに生まれてきて、自分の存在を歴史に刻み付けようと躍起になり醜い争いを続けて。生きている状態なんかなければ、完璧に自由な思考が存在するかもしれないのに、何処までも美しい名局が生まれるかもしれないのに」
「でも死んだら、たとえできたとしても、誰も生きている人間にそれを証明できねえから、その問いに答えられる人間は居ないよ、塔矢」
嘘。本当はオレは知っている。生にどれほどの意味もないことを。そして死にも、塔矢が憧れる完璧などないことを。
あの不安定で美しい、幽霊がオレに残した生の痛み。
この、肉体がなくてはできない口吻けと同じほどの意味のない生きるという行為。佐為はオレの裡に居り、佐為はオレの裡に居らず、その効率の悪い模倣の繰り返しが生命の営み。死しても逃れられない、などと塔矢に言ったら、本当にこの生き物は何にも執着を持たなくなるのかもしれない。
多分に死に対する憧憬が、塔矢を生に留めている。完璧なる彼の想像上の死は、塔矢が死ぬことよりも、オレと打っているときのほうが、近い。
「でも」
「でも?」
「もし、本当に生まれなくても生まなくても後世に情報を残せるシステム、そんな永遠の命ができてしまったとしたら、きっとその人は、何にも生み出そうとはしなくなると思うんだ」
「何にも……次の代に、伝える必要性さえなくなってしまうからか? 自己完結してしまうから?」
「……いつまでも完結などせず、完璧な生命などなく、そうして君がsaiから受け継いだように」
だから、佐為は生きたがっていたなどと言うつもりだろうか。
それは、オレが受け継いだから佐為が死んだということと表裏一体だ。塔矢には未だ何も教えてはいない。ただ、オレの決意と佐為の消失に、何らかの繋がりがあることくらいは勘の良いこいつのことだ、気付いていることだろう。
「……あいつは」
「……別に今でなくても良い、そんなまるで今が」
自分で持ち出した話なのに、何をそんなに焦っているのだ、この男は。笑った。
「あいつは生きて打ちたいと言うような奴だったよ」
「そう、……それは」
一呼吸入った。
「それは、綺麗な人だね」
それなのに、佐為とはこんなにも正反対の生き物なのに、どうしてこの生き物は、こんなにも生命を愛しているのだろう。
「打ちたいね」
塔矢が言う。
「ああ、そうだな」
「でもそのためには、生きてなくてはならないのなら、仕方がない」
逆ではないか、と思った。
恐らく、生きているから打ちたいなどと思うのだ。自己主張して自分を後世に残したいなどと思うのだ。そう思うから生きるのではない、生きるからそう思うのだ。
だがそれを塔矢に言うのは憚られた。ただ生きるということが、多分できない人間という生き物の中で、もしかしたら塔矢は、ただ意味なく生きることの、できてしまう稀有な存在なのかもしれないと思っているからだ。それは、ただ意味もなく死ねてしまう生き物が塔矢だと思っている、ということに等しい。
「うん。仕方ないから、なら生きてて」
そんなことを言いながら口吻けてしまう、オレは塔矢のようにはなれない。
死にたい人間を死なせてもやれない、それはとても不純な動機だ。不純だから、多分綺麗で尊い。オパールのようなものだろう。
「十七の三」
代わりに一手を差し出す。こんなもので彼の命を購えるのならば、そう、オレは碁さえこんなものと言えてしまう。命あってのものだと思っている。不純だ。
塔矢は少し目を見開いて、だがすぐにそれは笑みに変わると、二手目を口にする。
「四の四」
「十七の十七」
口吻けの合間に交わす、応手こそが或いは唯一、完璧に最も近いもので、この不完全なキスと完璧な棋譜は、オレ達の生に対する或いは唯一の反乱だった。
「四の十六」
「十の十」
「十六の十」
突如、塔矢がオレのシートベルトに手を伸ばす。なに、と問うたら、椅子の上で正座をしろなどと言いやがる。
「なんか意味あんの?」
「胴体着陸なら、そのほうが生存確率が高いからな」
そうして正座の上に再びシートベルトを着けさせ、自らもその格好を取る塔矢は、本当に迷いなく矛盾を孕んでいる。
綺麗だった。
「進藤。生きよう」
そうしてオレ達は、神の一手になど決して辿り着くことはできないのだろう。それはこの雲ひとつない紺碧に、今まさに生まれゆく、飛行機雲にも似た軌跡。
「塔矢」
「ん?」
「帰ったら、セックスしてみようか」
それは或いは奇跡。