醜悪な魔女が何故か嬉しそうに、仲間と笑い合うソラを俺に見せた。
明りの眩しい小部屋で、理想の家庭を手に入れたかのようにソラは、島でよりももっと子供っぽく、伸び伸びと振る舞っている。
否、ソラが子供っぽくなったのではない。ソラの周りに大人が増えたから、比較されてそう見えてしまうだけなのだと、すぐに気が付いた。
アイツは大人が苦手だったはずなのに。
その中でも、特に苦手意識を持ちそうなひとりの無愛想な男に、だが意外にもソラが懐いていることに、俺はひどい違和感を覚えた。
懐いているとは言っても、子犬のようにじゃれ回っているわけではない。ただ落ち着いた様子でそばに居る。報告などをしている。気負いがまるで見られなかった。男に対する緊張も警戒もなく、ソラは無造作に自然に彼の名を呼んでいた。
「レオン。……リクに、会えたんだ」
街外れ。相も変わらず人の輪から外れて、壁にもたれて何処か遠い世界を見詰めている眸で、夜空を見上げていたレオンは、俺に話しかけられて驚いたようにこちらを見た。
俺に気付いていなかったわけじゃない、レオンなら人の気配に気付かないわけがない。ただ、俺の存在がそばに来ることを、何故かいつも許してくれていた。それは多分、俺が鍵を持つ人間だからなのだろうけど。好んで許されているわけじゃないことがわかっていたから、俺もレオンの静寂を好む質を敢えて邪魔したことはなかった。だから驚いたのだろうと思う。
「リクに、会ったんだ。さっき」
それでも、煙たがられるかもしれないと思いつつも、俺は繰り返した。
「…………」
レオンは言葉を返さない。俯いていた俺は、気分を害してしまったかと探るように顔を上げる。
と、頭にてのひらを乗せられた。ぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜられる。乱暴にも取れる仕種だったが、指先が遠慮がちに力を抜かれているのに、これがレオンの不器用な撫で方なのだと知る。
掻き乱された髪のむこうには、優しげだが何処か泣き出しそうな瞬間にも見える表情の、レオンが見えた。
「レオン……?」
「守れ。その子を」
意味がわからなかった。リクは俺より強い。確かにそのことをレオンに話したことはなかったけれど、いきなり人に言う台詞ではないような気がした。何か意味があると思った。
「……どうして?」
本当は、理由など問うてはならなかったのかもしれない。レオンの表情を、俺は見ていたのに。彼が何かの痛みを抱えて、だからこそあの言葉を発したのだと、ちょっと考えればわかったことなのに。
「……おまえの、友達だからだ。きっと、狙われる」
眉根を寄せて視線を逸らしてしまったレオンは、多分レオンじゃない。きっとスコールだ。彼が決別したかったという、何もできなかった自分。レオンはきっと、そのときの自分を憶い出している。
レオンは強い。それも昨日今日で身に付けた強さじゃない、ひどく訓練された匂いのする強さだ。自分が強くなってきて、段々とそういうこともわかるようになった。レオンは恐らくこの世界に来る前から強かったのだ、それなのに、それでもきっと彼は守れなかったものがある。
俺は思わず、逸らされ露わになったレオンの頬に、指を伸ばしていた。ふれたそこはひいやりと冷たく、意外なほどに柔らかかった。レオンが今度こそ本当に驚いた表情で俺を見る。彼の頬に手を添えたまま、見上げたレオンの瞳に映っていた俺の顔は、泣きそうに歪んでいた。
「強くなるよ。俺。強くならなきゃ、ならないんだろ?」
多分、強くなればなるほど、俺の大事なものは危険になるんだろうけど。きっと、レオンの大事なもののように。
でも、だから俺は強くならなきゃならない。レオンが俺に自分を重ねるようなことになってしまってはならない。守れなかったものなどを俺が作ってしまっては、レオンにとっては俺に協力した意味がなくなってしまうのだろう。そのときレオンが感じるのは、恐らく失望ではなく絶望。レオンが責めるだろう相手は、俺じゃなくて自分。
何故かそれが容易に想像できてしまった。レオンの泣き顔が想像できてしまった。
それはきっと、リクに会えたことをドナルドでもグーフィーでもなく、スコールに話してしまった理由と同じ理由からだろう。
レオンは黙っている。黙り込むのは厭っているからでも何でもなく、何と言葉にして良いのかわからないときだと、もう知ってしまっていた。
「なぁ。誰にそうやって頭撫でられてたのか、訊いてもいい?」
俺が部屋に入った瞬間から、その男が気配を察して目を覚ましていることには気が付いていた。気付いて、だが自棄にも似た気持ちで殺気を無視して、無造作に近付いてゆく。
俺があまりにもぞんざいに近付いたせいだろうか、その男は殺気を納め、かわりに起きあがってランプに火を点けた。ソラも使えるようになっていた、魔法とかいう不思議な力。選ばれし者でもハートレスでも魔女でもないくせに、本当に得体の知れない男だ。だがその眸は、俺達の故郷の海のように蒼く澄んでいた。その目が、今は探るように俺を見ている。
「何者だ?」
誰何の声は予測していた。答えるつもりなど毛頭なかったが、続く言葉に驚いてつい反応してしまう。
「……もしかして、リク、か?」
びくりと震えた身体が、黙り込む口とは裏腹に、雄弁に真実を相手に伝えてしまっていた。悔しさで睨み付けると、だが男は逆に視線を和らげて俺を見詰める。子供を宥めるような視線だった。カッと血が上る。
「……どうした。ソラならもう、ここには居ないぞ」
困ったような声色だった。言葉を詰まらせ、どう続けたら良いのか思案しているような様子だった。ソラの居ないことに、俺が肯んじずに駄々を捏ねているとでも思っているのだろうか。
何も言わない俺に、その男も何を言って良いのかわからぬ体で、しばしの沈黙が流れた。やがて思い付いたように、ぼそりと吐いた言葉が、だが益々俺の苛立ちを煽る。
「また戻ってはくるだろうが」
戻ってくる、というその言葉に、嫉妬にも似た激情が渦巻く。
恐らくは俺のためを思って言ってくれたのだろう言葉も、逆効果にしかならなかった。相手もそれがわかったのか、しまったとでも言いたげに眉をひそめる。悪かった、とちいさな声で謝罪が聞こえた。
「ソラの帰る場所は、おまえたちの故郷だな……」
だからどうしてそれをあんたが言わなきゃならないんだ、と腹立たしさは募るばかりだ。それはソラが言わなきゃならない言葉のはずだった。だがソラはキーブレードを片手に、英雄気取りで世界を回っている。それこそ、俺やカイリよりも世界のほうが大事だとでも言うかのように。
「……ソラに、剣の使い方を教えたのはあんたか?」
「……?」
初めて発した俺の言葉がそれだったことに、男は首を傾げた。だがそれでも不審より、ソラの友人であるという俺の立場が、彼をして俺に返答せしめるらしい。そんな彼等の慣れさえ、感じる俺を苛立たせる。
「訓練は……つけてはやったが、元々あいつは使えたぞ……?」
おまえも知っているだろう、と続いた言葉は、紛れもない事実だった。そうだ、訊きたいのはこんなことじゃない。言いたかったのはこんなことではなかった。
「……あんたを殺しにきたんだ」
男は何も言わなかった。ただ静謐な眸で、俺の大好きな蒼い海の色で、見返すばかり。
俺は眉を引き絞って目を瞑った。海と空の境のはっきりしない、青い蒼い俺達の故郷が思い起こさせられる。海に光が反射して、ソラとカイリの姿を眩ませる。
「おまえを殺しにきたんだ……」
「……ソラは、おまえに会えたと、言っていた」
開けた瞳に入ってきた海色に、映った俺の貌は、泣きそうな表情をしていた。
「俺は死ぬわけにはいかない。殺されそうになったらおまえを殺す。……だが」
頼む、生きていてくれ。
その言葉に、俺は耐えられず逃げ出した。
「……あれは。父と、姉が」
黙り込んでしまったレオンに、諦めて天を見上げ、ふたりでぼんやりと星空を眺めてしばらく経ったときだった。
ぽつりと洩れた彼の言葉に一瞬首を捻ってしまったが、それがすぐに先程の自分の問いに対するいらえなのだと気付く。
「あ! 頭撫でてくれた人!」
「……そうだ」
怒っているようにも見える表情で、視線を空に置いたまま、レオンは応じていた。
思わず笑みが零れた。下手をしなくてもリクより余程表情が読みやすい。彼は怒っているのではない、照れているのだ。声を上げて笑い出しそうになってしまった口を押さえたが、こちらを見ていなかったレオンは気付いた様子もない。
「ふーん、そっかぁ。なんか想像付かないな」
「……何がだ」
「レオンのちっちゃな頃」
「?」
「その頃は、強くなかったの?」
答えずこちらを向いたレオンは、本当にわからないといった貌をしていた。俺は首を傾げる。
「頭撫でてもらってた頃は、まだ強くはなかったの?」
その言葉に、ようやっと得心した体で頷いたレオンは、次の瞬間には溜息を吐いた。今度は俺がわからない。
「違う。幼い頃じゃない。弱くはなかった」
「?」
「……そうか。頭を撫でてもらうのは、普通ちいさな頃なんだな……」
彼の口から零れ出た言葉に、思わず息を飲む。レオンの強さの深淵を覗いた気分だった。
守りたいものがない強さとは、一体どのようなものなのか。強さが守る相手を求めたとき、その強さはどう変わるのか。
彼はどんな思いでハートレスを討っているのか。
「……ごめん」
「? 何がだ」
「だけど、ごめん」
応えず、俺は尋ねた。
「レオン。その人達のこと、守りたかった?」
傷付ける問いだとはわかってはいた。それでも、彼が傷付いていなくてはならない生き物だと、知ってしまった。
ひどく傷付いた獣の眸で、彼は俺を見詰めている。だが俺が抉ったわけではない、恐らく彼の傷口はぱっかりと開いて常に血を流し続けているからこそ、ハートレスが近寄ってはこられないのだ。
誰の心にも闇はある。それは確かなんだろう、それが実感できるほどには俺は子供ではなかった。そしてレオンの闇は、多分俺なんかが想像もできないほど深く、昏い。
ハートレスは人の闇に付け込む。だがレオンの闇は深すぎて、レオンを傷付け続けているからこそ、多分にその流れ出る赤がレオンを闇色に染まらせず、ハートレスを寄せ付けない。傷付いたその心こそが、彼をしてハートレス討伐に向かわせる。死にそうなほどに重い痛みが、彼の心を生に繋ぎ止めている。
「……守りたかった」
「そう……」
「……守れなかった」
「……そう」
「……おまえは、そうなるな」
「うん……絶対」
誰にも何とも言えないことだ。リクとカイリの行方を、生死を、レオンはそう言った。
肯定ではないというだけであって、決して否定ではなかった。きっとスコールも、まだ一縷の望みを抱いて探しているのだ、彼の大事な人達を。
「リクとカイリを必ず守るから、俺」
必死に言い募る俺の頭に、ふたたび手が置かれた。今度は撫ぜるでもなく。
「必ず強くなるから、レオンよりもきっと、それで世界を救うから、だから」
そうして、彼は微笑む。俺を泣きたい気分にさせる、あの美しい眸で。
「だから」
だからお願い、生きていて。