双子のイルカ

Novel

『危ない!』

 駅で列車に轢かれそうになった小さな女の子の手を、咄嗟に引いて自分の腕に収めたときだった。

(でもそのときに、格好良いお兄さんがさっと手を掴んで助けてくれたの。名前は……確か、レウォールさんって言ったっけ)

 不意に、と或るガルバディア兵に昔助けられたことがあると言った女性のことを憶い出し、スコールは動きを止めた。

 腕の中の少女は、純粋に自分に襲いかかってきた列車に対する恐怖で未だ固まっており、同様に目を見開いて身動ぎもしなくなったスコールに、驚いて声を掛けてきたのは仲間達であった。

「二人共! 大丈夫?」

「おい、スコール?」

「あ……ああ」

 ようやく現実に返ったという体で、抱えていた少女を地に降ろしたスコールの尋常ならざる様子に、仲間達は心配気な表情を見せたが、「ありがとうおにいちゃん」という、これまた正気に返ったらしい少女の明朗な声に、スコールの表情が緩んだのに、ほっと息を吐いたようであった。

 騒ぎを聞きつけて町民達が集まってくる。その中には少女の母親も居たようだ、駆け寄った彼女を抱き締めて頬摺りしたあと、何事かを囁かれて、しきりとスコールに礼を言った。そのまま、わんやわんやとそこに居た全員に礼を言われ煽てられ、SeeD達は一夜の宿を半ば強引に取らされもしたのだった。

「なーんかスコールのお陰で得したっつー感じだな。サンキュー」

「いや……」

「少し意外だったけどね」

「スコールが人助けしたことが?」

「そうそう」

 仲間達は好き勝手言っているが、スコールは委細構わず、シャワーを使おうとタオルを手に取った、そのとき。

「はんちょ。れうぉーるさんとおんなじこと、しちゃったね?」

 セルフィの言葉に振り向いた。振り向けば、驚きに見開いた青い目に、何かを探るようなセルフィの表情が飛び込んでくる。

「……何のことだ」

「ロワールでもロイアでもないんだよ、あれ。レウァールって読むの、知ってた?」

「……何が言いたい」

「ううん、別に。お風呂、いってらっしゃーい」

「おいおい、ホントに何の話だよ」

「命の恩人であっても、さっきの女の子もスコールの名前、忘れちゃうんだろうなぁって話ー」

「……よくわからないけど。まぁ、何年も経てば、そんなものかもね」

 会話に背を向け、スコールはバスルームに入った。

 熱いシャワーを頭からかぶり、セルフィの台詞を憶い出す。彼女も気付いているようであった。

『あの夢は……やはり過去か』

 何十年も経てば、強烈な記憶も薄れ、名前などという記号はただ存在のみが重要性を持ち、輪郭はぼやけても当然だった。レウォール――恐らくレウァールが助けた少女もまた、長い年月を経て、彼の記憶を改竄してきたのだろう。

 ラグナ・レウァール。

 ドッグタグを憶い出し、らしくもなく、はたと思想に耽ってしまったその綴りは、レウァールと変則的に読むのだと、先程知った。カーウェイ大佐夫人、けだしリノアの母親なのだろう女性と、そして自分によく似たレインという女性の、二人と想いを交わした人物。

 彼が過去の人物であろうことは、大分前に気が付いていた。ラグナの視点で感じる、新しすぎるデリングシティの街並みと、流れるノスタルジックな音楽と、街行く人々の野暮ったい服装と。

『ガルバディアがティンバーに侵出したのが十八年前……』

 すなわちラグナが、ジュリアとレインに会ったのも、恐らくは十八年前。

 あまりにも揃いすぎた符号が何を意味するのか、何を意図してスコールに見せられているのか、気付かされたようで、気付きたくないようで、気付きたくて堪らなかったような、己でも整合性のつかぬ感情に、スコールはただ翻弄された。

 両親。

 自分にそんな存在があるのだと、意識したことすらない親という人間。それがラグナとレインだとすれば、自分に彼等の過去を見せているのは一体誰なのか、何のために見せられているのか、わからずスコールは募る苛立ちに、濡れた頭を掻き毟った。

『生きて……いるのか?』

「セルフィ」

 風呂上がり、散歩に出掛けようとしていたセルフィを掴まえ、人目に付かないところに連れ込んで、スコールは問い質した。

「ウィンヒルで、キロスになっていたのはあんたか?」

 セルフィは首を反らしてスコールを見上げ、しばらく何も言葉を発さずに、ただじっと確かめるかのように青い瞳を覗き込んだ。沈黙がどのくらい続いたか、そろそろスコールが何かを言おうと、何を言うかも決めぬままに口を開き掛けたとき、セルフィは諦めたようにも見える体で嘆息し、視線を落とした。

「ちゃうよ。そンときキロスになってたんは、アーヴァイン」

「……あいつか。聞いたのか……」

「何を聞いたて、スコールは思っとるん?」

「え?」

「レインさん。スコールにそっくりやねんて。ホンマ?」

「……黙っておいてくれ。あいつにも、そう伝えてくれ」

「……りょーおかい。なんか……あたしはラグナ様に会えて嬉しねんけど。……怖いよねぇ……」

 怖い、と。ひどく険しい貌でそう呟いたセルフィが、果して何処まで正確に掴んでいたのかは、スコールにはわからない。否、彼女には正確に把握することは不可能だとわかっている、何故なら確かに、スコール以外の人間には把握できぬよう、仕組まれている。

 ジュリアを知る人間はレインを知らぬ。レインを知る人間はジュリアを知らぬ。そのように過去に送り込まれていた。ジュリアとラグナが恋仲であったことを知るゼルとセルフィは、ジュリアがリノアの母親であることをウィンヒルで聞かず、また同時にラグナがスコールの父親であるかもしれないことを知らない。逆にウィンヒルでスコールの両親かもしれぬ二人を知ったアーヴァインは、ラグナとジュリアの仲を知らないということであった。彼等が夢の詳細を話し合っていない限り、全貌を知る者はスコール本人ただ一人となる。

 ここまで巧妙に他の人間に隠されていなければ、逆にここまで奇抜な考えなど起こさなかったかもしれない。しれない、が、この現象を企んだ人物はあまりにも巧くやりすぎていて、スコールの不審を煽った。

 スコールにだけは気付かれなければならないかのような振る舞いは、何を求めての行動なのか。

「リノア」

「んー? スコールから話しかけてくるなんて珍しいな。なぁにん?」

 明るい笑顔と艶やかな黒髪は、夢の中で窓に映った自分に確かに似ているような気もして眩暈を覚えながら、スコールは口を開く。

「あんたの誕生日、いつだ?」

「……うわ。どうしましたオニーサン、熱でもある?」

 眼もまんまると、まさに驚いた様子で額に伸ばされたリノアのてのひらがとても暖かく、何処か泣きたいような気分になり、堪えるようにスコールは瞳を瞑った。

「なんだよ……おかしいか?」

「……ううん。嬉しい。えっとね、もしプレゼントとかだったら過ぎちゃってるけど、一年中受け付けてるから!」

「おい……」

「うそ、嘘でーす。三月三日、だよ。憶えやすいでしょ?」

 逆算すれば、五月か六月。十八年前だとしたら。

「……十七歳?」

「そう。あれ? 同い年だよね?」

『……十六。次で十七』

「多分……次で十八」

 何故嘘を吐いたのか。

「多分? 誕生日、いつ?」

「知らない」

「え」

「孤児だったからな。小さい頃孤児院では誕生会なんてのもやっていたような気もするが、よく憶えていない。けど、夏だったような気はする……」

「……じゃあ、もうすぐだね」

「まだ大分先って言わないか……?」

「言わない、言わない。すぐだって! ね、ね。パーティ、やろう?」

「……する歳でもないだろ」

「セルフィに話すから、もう決定決定ー!」

「……あんたな」

 朗らかに笑う、この少女とあの二人が、たとえ言い出せなかったとしても出逢えなかったとしても、自分の家族かもしれないなどとは望みに過ぎて、スコールには信じられず、困ったように苦笑めいた表情を浮かべるしかなかった。

 随分と長いこと、忘れていた感情だったような気もする、今胸に去来している、こころを粟立たせるこの仄かな感情が、郷愁と呼べるものなのかもしれないと、ぼんやり思った。懐かしさ。何かを懐かしむことなど、長い間なかった。

 そういえば、と憶い出す。

「そういえばあんた、母親のほうの姓を名乗ってたな」

「うん? あ、そういえばそういうのって珍しいんだっけ」

「ガルバディアの決り事だったか」

「んー。決まりってほどじゃないけど、慣習みたいなものかな。かつての母系社会の名残みたいなもの」

「母親の系統のみを血縁と定め、父親の系統は血族じゃないとするんだったな……」

「そうなの。詳しいね、さっすが天下のSeeD様!」

「いや……昔、誰かに聞いた気がする……」

(ウィンヒルではね、同じおかあさんから生まれた子だけが、姉弟って言うの。だから私とスコールは姉弟じゃないけど)

 いつも自分の手を引いていてくれた、肩先で揺れる髪の少女が、いつかスコールに話していた。

(姉弟じゃないから、スコールが私を)

 リノアが首を傾げる。

「ふぅん?」

「……異母姉弟は、姉弟とは思わないのか?」

「どうなんだろうね、わたしは兄弟だと思うけど。逆に異父兄弟を兄弟って思わないほうが、わたしには不思議かも。だって近代化が進められたのなんて、わたしが生まれる前のことじゃない、そんな意識なんて若い世代には残ってないと思うな」

「……ふぅん?」

 スコールの相槌に、リノアは首を振って髪を揺らした。

「スコールがそんなことに興味あるなんて、やっぱり意外かも」

「興味……?」

「違うの?」

「…………」

 家族、血縁、血族。

 意味を考えるのも莫迦らしいとさえ思うほどに縁のなかったそれらの単語が、にわかに自分に近付き現実味を帯びてきている現状に、興味を抱いたと言えばそうなのかもしれないと、スコールは思った。

 それらの定義をどこで線引いて良いのかもわからず、それでも心浮き足立つ自分を止めることがスコールにはできなかったようであった。怖いよねぇ、と言った少女を憶い出す。何処が? と自問した。

 その恐怖は、喪失のない形だった。

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