Heroanthia

Novel

 鈍く淡く、円を描くようにひかりを反射させた、自分の指に馴染みすぎるほど馴染んでしまっている指輪が、その年月のせいかくすんでしまっているような気がしてラグナは、磨いてやろうと何気無くその指輪を外したのだった。本当に何気無く。

 何気無くと言うには指に馴染みすぎていて、外すのに少々苦労した。だがそれでも僅かばかりの苦労、それだけの感慨で済むはずであった。

 十何年か振りに解放された指は、その一部とも言える銀の輪を失って、その部分だけがひどく細くなっていた。あたかも最初からその太さであったように自然にも不自然に、その部分だけが歪んだように細い。

 不意に涙が溢れた。

 熱いものが次々つぎつぎ、止め処もなく何処かラグナの深いところ、どうしようもなくラグナの根底に根付いているところから湧き出し、溢れかえり、体内で収まりきらなくなったそれは、目からどくどくと心音を伴って流れ出す。ひどい痛みを伴ってラグナの眼から溢れた涙は、我物顔で彼の顔のみならずこころまで蹂躙し、スコールのようにラグナという大地に降り注ぎ、かさついてひび割れきった己の様を、その持ち主に思い知らせたかのようだった。

 記憶にある細い指は、水仕事に荒れた仕事をしている人間の手ではあったが、いつも若々しく張りを持ち、ラグナの肌に吸い付くように瑞々しかった。その細い指が、左薬指に自分の贈った指輪をしている白い手が、笑顔と共に自分に伸びてくる夢を幾度となく見た。

 忘れたことなど片時もなかったと言ったら嘘になる。但しそれは意識していなかったというだけの話で、時折夢に見る以外は意識するといったレベルですらなく、もはやラグナの意識の一部となっている感覚であった。レインが傍らに居る感覚。同時にレインが何処にも居ない感覚。

 指輪の裏に刻印された文字。

 From L. to L. with LOVE....。

 レウァールからロックハートへ。ロックハートからレウァールへ。

 次から次へと流れ出す涙に霞んで、もはやその文字も読むこと叶わずに、ただ心の中で慟哭した。意識もしていなかった無防備なところへ突如襲いかかった喪失の痛み。レインが過去なのだという絶望。深い深い、ラグナの抱える孤独。

 偉大なる英雄が失うべくして失った、卑小な個としてのちいさな、だが切なる望み。

「……ラグナ?」

 どれほど呆けていたものか、気付けばスコールが目の前に立ち、顔を覗き込んでいた。よぅ……と涙に濡れそぼった顔で、それでもラグナの貌は笑みを形作る。意識してやっているようには到底見えぬ、自然な表情の遷移であった。もはや笑うことが彼の生き様でもあった。

 スコールは顔をしかめる。彼の穏やかな笑みが多くの人を救ってきたのは知っている。リノアにいやというほど聴かされた歌の歌詞そのままに、彼はひとりの歌姫だけでなくエスタの人々のこころを守ってきたのだろうが、泣いているときでさえ笑えてしまう彼は、笑えてしまえる強さの故に、誰にも救われることはなかったのではないかと思われた。

 たったひとり。たったひとりを除いては。

「……なに、泣いてるんだ……いい歳した大人が」

「んー、目にゴミが入っちまってな」

 そうして下手な嘘を吐くことにも慣れている。本当に気付けぬ者ばかりだったのだろうか、彼の周りには。彼を英雄と崇めて気付こうともしない者ばかりだったのだろうか、エスタには。そう考えるとスコールは、自分にも馴染みの寂寥が、ひたひたと胸に押し寄せてくるのを感じ、シャツの胸許を握り締めた。

「ん?」

 笑って顔を覗き返してきた、ラグナの顔からすでに涙は拭われている。

「指輪……」

「ああ、これ? 汚れちまってたから、拭こうかと……おい?」

 ラグナの涙の訳はスコールにはすぐに知れた。左手から外され、右手に大事そうに仕舞われたぎんいろの指輪。彼の無骨でおおきな手には不釣り合いとも取れる、細く繊細な意匠のそれは、片割れが嵌められるべき手に合わせてデザインされたものなのだろう。

 スコールはその右手を取り、指輪を取り上げた。ラグナが多少慌てた声を出したのにも構わず、ほぅと息を吹きかけると、壊れ物を扱うようにもそっと、真新しいガンブレードを磨くための布で、その表面を丁寧になぞった。幾度も幾度も丁寧に、大切そうに。

 最後に惜しむようにその端に口吻け、半ば呆然とスコールのふるまいを見守っていたラグナの指に、元のように戻してやる。帰るべき場所に収まったその銀の上に、今一度口唇を落とした。

「レイン。居るだろ」

「……うん?」

「あんたの想い出の中にも。俺の遺伝子の中にも」

 ふれていた、手から口唇を離して、レインに似ていると自覚のある眸で見上げれば、まるで似ているところなど見付からぬ、孔雀石のいろをした眸とぶつかる。驚愕を刷く瞳でさえもが穏やかに笑んでいるのに泣きたいような気持ちになりながら、スコールは何処か必死とも取れる体で言葉を続けた。

「レインは居るよ。俺が、あんたが、憶えてる限り。だから……泣いてもいいんだ、ラグナ」

 彼の望んだささやかな幸せ、レインとエルオーネと世界の片隅で静かに暮らす希望も、零れ落ちるように彼の手から擦り抜けてゆき、時代に要請されて彼は今、英雄としてここに在る。スコールがエルオーネやリノアとの別離を嘆き悲しんだのと同じくらいの強さで彼も哭慟しただろうに、恐らくはどんなときでも、スコールが泣き叫んでいたようなときでも、ラグナは笑って過ごしてきたのだろう、誰にもその絶望を知られずに。或いは自分自身でさえ自覚することのないままに。

 今スコールを救っているのと同じ、その優しい笑顔で。

 彼は確かに英雄だった。誰よりも強い、英雄だった。スコールの知る誰よりも強く、優しく、そしてだからこそ哀しい。

「俺とあんたの間になら、レインは居るから。レインの前でくらい、泣けよ……ラグナ」

「…………。そうだな、スコールも、居るし?」

 一瞬何を言われたのかわからず、スコールが瞠目すれば、見開かれた瞳に、ラグナのひかりを孕んだ眸が映った。彼はお宝を発見した子供のような無邪気な瞳で、うんうんと何事かに得心したような様で、頷きながら笑っている。

「レインも居るし、スコールも居るし。うん、凄ェ幸せだから、幸せすぎて泣けてきちまうな、うん」

「……なんで。俺は」

「だって、おまえは」

 そうしてラグナはこころから、本当にこころからのように、笑う。

「オレが今手にしてる、たったひとつの大切な宝物だから」

 かつてひとりの男の手に在りし、そして今英雄の手に残されしもの。泣き出す瞬間のようにも見える貌で微笑んだもうひとりの英雄の、伽羅色の髪に乗る天使の輪が、あたかもリングのようにまあるく光り、ラグナの目を細めさせた。

 From L. to L.――レウァールからレオンハートへ。レオンハートからレウァールへ。戦い終わってたったひとつ、ふたりの手に残ったもの。

 You're my only LION HEART....

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