「オレはそんとき宇宙に行ってたから、エルオーネは追っ掛けてきた。ちっちゃいエルがおっきくなってよぉ……」
親莫迦だ。そう胸の裡で切り捨てる。莫迦だ阿呆だ間抜けだと、その男のことを切り捨てておかないと、この長い長いエルオーネの話は聞いていられそうになかった。まるで愛情と同情に満ちた男の口調、男の表情。エルオーネに与えられるべき心配。
むねがいたい。
少年は聡い。表に出さないだけで、本当のところそこいらの凡俗よりも余程ものを考えてはいる。考えて、考えた結果なにも言わないだけだ。今回も考えていた。考えた結果、誰に言われずとも本当はわかっている。
目の前で喋り続ける男の正体を。その男と自分との関係を。いまここで、本来ならば自分だけに許されるべき呼称で呼んでやったらこの男は果してどんなかおをするだろう、と自嘲に近くおもう。おもって、すぐあきらめる。諦念は、自嘲よりも少年のかおいろを悪くした。
おとうさん。
だが実のところ、今の状況からスコールが判断するに恐らく、それを呼ぶことが許される存在は、世間ではどうであれ、この男にとってはたったひとりなのだろうと、聡い少年は気付いてしまう。気付いてこえはいつものように咽喉に絡まったまま、日の光を見ることはないのだ。
スコールの姉。孤児院の皆の姉、白いふねの皆の姉。イデアの娘、レインの娘。アデルの後継者、アルティミシアの目的。
ラグナの娘。多分にラグナを父と呼ぶに最もふさわしい少女。エルオーネ。
彼女は本当は誰の姉でも誰の娘でもない、けれど誰からも愛され誰からも慕われたひとだった。スコールも愛したひとだった、かつて誰よりも愛したひとだった。今でも愛しているひとだった。だからラグナもエルオーネを愛していて何の不思議がある、と理性はささやくのだが、しかしスコールの中のこどもは泣く。その言葉を知ってしまっているが故に、こどもは泣く。知ってしまったことばを啼く。
おとうさん。
ただのわがままだ、とスコールの中の大人は言う。どうして自分はおとうさんのこどもじゃないんだろう、とスコールの中の子供は言う。なら自分にとってもあの男は父親か? とスコールの中の大人はいじわるげに問う。こどもは黙る。黙るしかない。
実のところ、スコールにとっても夢の中の男は、事実を知ったとて父親とは思えない。思ってはいない。恐らくの事実として自分達の関係を、聡い子供らしく理解はしている、しているがしかし、心情として納得しているわけではない。むこうにしても十七年も存在を知らずに過ごした子供なぞ、もし知っていたとしても子供とは思えまい。それはお互い様だった。
そして果して、この脳天気にも厚顔な男は、スコールを知っていてこの態度なのだ。
「全部終わったらゆっくり話そうな。おまえには色々話さなくちゃならないからな……」
エルオーネの話は嬉々としてするくせに、俺とは義務だから話すのか、と一瞬考えて眉をひそめた。ひそめたのは自分の考え方の卑屈さに、だ。ラグナの言葉にではない。わかっている、この男の求心力には自分も惹かれている。そのくらいは認めても良い、スコールはラグナの言動を嫌っているわけでは決してない。
「まぁ……おまえが聞きたくないって言えば、仕方ないんだけどよ……」
けれど、むこうが「仕方ない」で諦めてしまえるのと同じ程度には、スコールも「聞けなくても仕方ない」と諦められる程度の、相手への興味だった。或いは諦められるほどの、相手への憎悪や嫌悪のなさ、だった。話してもらう必要などなく、既に事実は知っている。知らない些末な事象はそれこそ十七年もの年月分積もり重なって山程あるだろうけれど、それで事実の何が変わるわけでもない。特に話してもらいたいとも思っていない。その程度の好意だった。
そう思う一方で、けれど知りたいと切望できないが故に、切望できないことにスコールは傷付いてもいる。自分がもう、親を必要とはしていないことに傷付いている。無論、ラグナが自分を必要とはしていないことにも、同様に傷付いている。
子は親を、親は子を、必要としてやまないものだと、スコールは信じていたのだ。実際エルオーネをそのように必要としてきたし、エルオーネに誰より愛されていたことも信じていた。家族とはそのようなものだと思ってきた。この十七年、祈るように家族のそれを信じてきた。
家族とは、そのようなものでは、なかったのだ。スコールはそのことに傷付いている。
家族を知らないこどもは、ずっと待つように家族に恋をしていた。ずっと長いこと飽くことなく恋をしていた。それが幻想にしか過ぎなかったことに、父を、そしてかつてのようにエルオーネを、恋うることができなかったことに、こどもは罪悪感のように傷付くのだった。
それは許されることなのだろうか家族が愛し合わなくて良いのだろうか愛し合わないそれは家族と呼ぶべきものなのだろうか。
「スコール」
ほら、自分だって。
ラグナでもエルオーネでもない家族をもう、見付けてしまっているではないか。
幸せという器の中身は簡単に挿げ替えができるもので、そんなことはスコールも充分承知していて、だがそれでも家族だけは取り替えなんか利かないところに存在する特別なもので、そう信じていたのに。否、信じていたかったのに。
「スコール?」
黒髪に顔を埋め、あっさりと挿げ替えられてしまった幸福に酔い痴れて、スコールは長年の郷愁に絶望した。