ヒトに非ず、神に非ず。

Comic

  1. 「僕には人と同じように見えるけど」
  2. 「何てこと言うの、ケイオス君!」「あ、ごめ……え?」「コスモスがヒトと同じはずないでしょう!」
  3. 「人間が敵うはずないじゃない!

Comment

 このゲームってシオン×KOS-MOSなのね。

 という阿呆な結論から出しておいて、こんなお莫迦な漫画のあとに、物凄く真面目にシオン×KOS-MOSを語ってみる(おい)。

 シオンという女性は、KOS-MOSを愛している。その執着振りが、自分の製造物に対するものとしては破格の態度であることは御理解頂ける範囲かと思われるが、何故彼女はあそこまでKOS-MOSに執着するのだろうか。

 それは彼女のこの台詞に現れているだろう。

 「彼等のこと、もっと理解したいんです」。

 レアリエンを対象として発せられた台詞ではあるが、この場合、レアリエンがKOS-MOSと同様人間の製造物であるという事実と同時に、シオンにとってはレアリエンとKOS-MOS両方共が彼女の大事な人物達を奪った、という点でも、シオンにとっての「レアリエンに対する執着」≒「KOS-MOSに対する執着」と見て良いだろう。

 シオンはKOS-MOSのことを理解したいのだ。自分の作ったアルゴリズムを理解したいとは何事か。それは無論、基礎理論を組み立てたかつての恋人、ケビンの遺志を理解することと同義でもあろう。また、KOS-MOSというシステムの大きさ、複雑さから、製作者でも理解しきれぬカオス的な挙動を以て理解の対象としたいという意味も含まれよう。或いは夢を現実に変えるヒルベルトエフェクトに対する藁にもすがる思いが如きの淡い期待。

 しかし、それだけではないとわたしは推測する。何故なら彼女はKOS-MOS同様、レアリエンのことも理解したいと言っているのだから。ここでわたしは、シオンにとってのレアリエンとKOS-MOSの共通項、「彼女の大事な人物、故郷を奪った」という観点から、彼女の執着を考えるべきと思うわけである。

 自分の大事な物事を奪った人物に対する理解の希望。それは「何故わたしの大事なものを奪ったのか」を理解することで、つまり犯罪者を自分の理解の範疇に加えようとすることで、2度と奪われない防護策を打ち立てたい、というそれに他ならないのではなかろうか。理解できない動機による殺人、犯罪は防ぎようがない。理由なき犯罪は忌避され、理由を求められ、理由ありし犯罪は情状酌量まで認められる。つまりはその犯罪者が、大勢に理解される理由あって犯罪を犯したのならば、その理由が排除された犯罪後、再度の犯罪は起こらないだろうという、人民の安心感がそこには見て取れる。

 つまりはそういうことである。シオンは本当のところ、KOS-MOSやレアリエンを恐れているのだ。目の前で大量殺人を犯されて、恐れないほうが一般的な感覚ではあるまい。恐れているのだ、憎んでいるのだ。だからこそ「彼等を理解したい」と言う。

 彼等の行動原理を理解し、彼等を人間であると言い切り、彼等の行動原理を人間に近付け、彼等が人間に理解しがたい行動原理で人間を殺したりなどしないように。

 その心理を以て、シオンのKOS-MOSやレアリエンに対する感情を愛情だと言うのはおかしいと言う方もおられるかもしれないが、彼女の一見前向きな物事を諦めない性格を見ていると、愛せない者ほど愛そうとする心理は極自然なものとしてわたしの目には映る。

 度重なる別れという絶望を抱え、それを諦観しているにも拘わらず、表面上は非常に前向きに能天気に絶望など見えないかのように振舞う性格。それがシオンの表面に表れ出る行動である。つまり、絶望を絶望のまま表面化させず、苦しいのは苦しいと自分が感じるためである、と自らに言い聞かせる性格。自ら知覚すればこその世界であると説かれているこのゲームで、主人公が自らの絶望を表面上自分で知覚しないという逃避行動に出ることは必然性のないことではない。それを乗り越えることこそが、ゲームの進行上意味を持つことは充分に考え得ることだからである。

 即ち、他人を愛せないことは自分が愛そうとはしていないためだ、という発想の転換或いは転換の発想。自らの裡に憎悪の根本を見たくないが故に、別の軽度な理由を構築し、精神を守る。KOS-MOSを憎んでいる根本原因を見詰めたくないが故にシオンは、愛せないのは自分が他人の裡に愛すべき要因を見付けられないためなのだ、と嘯き、理解しようとし、そこにシオンが愛せる箇所を必死になって探す。

 シオンのKOS-MOSに対する愛情は、わたしにはそう見えたのである。その感情が本当の「他人に対する」愛情になったとき、物語は如何に変化するのか。それはまだわからない。

 ただそのとき、このゲームのテーマの一つであろう「造物主と被造物」の関係は崩れる。被造物の未来、のちいさな縮小図がシオンとKOS-MOSなのではなかろうか。

 レアリエンは人に、ヒトは神になりたがる。パラダイムのシフトは、だが決して起こらないからこその「造物主と被造物」である(シオンの名からも確実にシオニズムの思想を基に構築されているゲームなので、ここでは神道のような「神になる」可能性は排除する)。

 果してKOS-MOSも人になりたいと望むのだろうか。あの蒼い眸の少女ならば、或いは。

 だが「なれない」。それでも「神が人になりたい」と思うときがきたら、そのときは。

 ……物凄くどうでも良いが、ワシの好みだとシオコス以外だと、ケイオス×KOS-MOS(機械の方)やモモ×ジギーやアンドリュー×シオンなんかがとてもツボ。

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