自由の女神 あくまで15話時点での妄想

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「も、申し訳ありません!」

 手を伸ばしただけだった。慣れ親しんだ長い髪を指に絡めようとしただけだった。

「お許しください御主人様、ぶたないで、何でもしますからお願いぶたないでぇ……ッ!」

 C.C.は――否、ルルーシュの知らないその少女は、ルルーシュの手に息を呑んで身を竦めると、頭を抱えて震えながら泣き出した。ごめんなさい、ぶたないで、と繰り返しながら。

 誰だこれは。ルルーシュを尊大に顎で扱き使い、ルルーシュの弁舌に負けぬ毒舌を繰り出し、ルルーシュの部屋を盛大に汚してルルーシュに家政夫をさせる、そんなC.C.をしか、ルルーシュは知らない。

 彼女がかつて奴隷であったことはCの世界で垣間見た。彼女が当時の記憶を一切失っていることも聞いてはいた。だが、ヒトであった時代の記憶を取り戻した結果が、これだとは!

 永の時を生きることが辛いのだと、地獄なのだと、死ぬことが望みなのだと、言いながらもだが、彼女が何の力も持たずに普通に生きていた時代ですらも、彼女は全く幸せなどではなかったのだと。

 思い知る。どうしたら良い。彼女を失うまいと伸ばした手は、結局彼女を昔の苦しみに戻しただけだった。

 震える幼子を前に、ルルーシュは固まったままだった伸ばしかけの指を下ろした。そんな些細な動作にすら彼女は怯えた目で身体をおののかせ、ルルーシュにはもう彼女にしてやれることが思い浮かばない。愛してやる、あのとき本当にそう思った心からの気持ちは、だが主人にいたぶられる記憶の染み着いた彼女には届かない。

 せめて、愛の中で笑顔で死なせてやれたら、と。

 もはやその望みも叶わない。笑顔どころか! 自分はゆびさき一つで彼女を怯えさせるばかりではないか! ルルーシュは壁に手を叩き付けたくなったが、ぐっとこぶしを握り込んで衝動を堪える。ここで彼女を更に脅すような真似をしてはならない、今はたった十歳にも満たないだろう精神の彼女を脅かすような真似は。でも、ではどうしたら。愛してやらなければならないのに、それは彼女との契約なのに、どうしたら。

 涙を流す彼女の前で、彼女よりも更に泣きそうなかおでルルーシュは、眉を下げて絶望した。結局自分は未だ何の力も持ってなどいない、ギアスなぞあったって大切な人は誰一人として守れなかった、だれひとり。

 誰一人。ユフィも、ナナリーも、カレンも、シャーリーも、……C.C.も。

 こうべを垂れた。奴隷の前に、主人が頭を。あり得ぬ事態にC.C.が混乱してか更に涙を溢れさせたとき、間に割って入ったのはロロだった。

「ゼロ、シーツーの食事を……あれ?」

 しゅんと軽い音を立てて開いた自動ドアの中、ルルーシュとC.C.が妙な格好で対峙していた。項垂れて顔も上げないルルーシュと、涙を零しながら後退ろうとしているC.C.と。

 二人を交互に見遣って、しばし首を傾げて逡巡すると、やがて神妙なかおでロロが尋ねた。

「……兄さん?」

「……ああ、食事ならそこに置いといてくれ、俺が」

「にいさん」

 こんなときにどうしてコイツなのだ、とルルーシュが考えたのは一瞬で、C.C.の現状とルルーシュの素顔を晒せる相手が殆ど居ないための消去法で仕方ないのだ、とすぐに気が付いた。誰も居ない。もう、誰も。そんなことは確認し続けているではないか、ギアスを手に入れてから、もうずっと。

 更に項垂れ返事も返さないルルーシュに、ロロは諦めてかC.C.に向き直った。

「シーツー」

 ひっ、と息を呑んだ彼女に、だが近付くことはせず、ロロは続けた。

「ごはん。食べたい?」

「あ、あの……わたしっ」

「食べたいよね?」

 何故か有無を言わせぬロロの口調で、ルルーシュはやっと顔を上げた。C.C.は更にロロからも後退り、もはや後ろは白い壁だ、進みようもない。それでも尚、身じろぎして逃げ場所を探している少女から、ロロは視線を外さずに、逃すことなど決して許さずに、続けた。

「答えは?」

「は、はいっ、答えました、答えましたからどうかぶた――」

「うん、食べて良いよ」

 また殴られるのかと、頭を抱え込んだ少女が、だが予想外の言葉に呆然とした体で視線だけを動かしてロロを見た。ルルーシュも見遣る、そのかおには見知った弟の表情ではなく、かつて映像で見ただけの、無表情な暗殺者の表情が浮かんでいる。

 無表情な、冷たささえもないほどの、空虚。

「食べて良いよ。但し対価はもらう」

「も、もちろんです御主人様、私にできることでしたら何でも……」

「じゃあ頭を撫でさせて」

 今度こそC.C.は固まっている。ルルーシュも硬直して、ロロとC.C.を見詰めている。ロロは急くことなく、しゃくりあげるこえも止まったC.C.の涙が、やがて乾いてしろい塩の痕を見せるようになって漸く、C.C.から視線を外して身体を動かした。

 動いた彼の視線の先、そこには皆に忘れ去られた食事のトレイが置かれている。トレイを持ってゆっくりと彼女の前に移動するC.C.よりも細い身体、幼い顔。ロールパンを手に取り、一口サイズに切り取るとロロは、C.C.の視線が追いつかないことのないように、緩慢な動作でそれを彼女の口許に差し出す。C.C.の視線は、パンを摘んだロロのゆびさきから離れることはなかった。

 先程あんなにも、俺のゆびには怯えたくせに! 何故! 何故!

 ルルーシュの憤りなど知らぬげに、C.C.はもう濡れてもいない眸でロロのゆびとかおとを交互に見、おずおずと口を開いた。

「あ、の……」

「食べないんだったら、……」

「た、食べますすぐに、はい……ッ」

 ロロのゆびにむしゃぶりつくようにしてパンの切れ端を食んだC.C.の、くちが止まるとまたロロはパンを与え、スープを与え、まるで餌付けのような風景に、ルルーシュは眩暈を覚えた。なんだこれは。

 いつか見た風景だった。外側から見た、というよりは、自分が演じていた役だった。ロロの兄という自分の役、ルルーシュの弟というロロの役、ルルーシュは幾度となく弟のくちに親鳥のように食べ物を運んでやって、ロロのその幼い仕種に、否、目も見えないナナリーが或いは仕方なく甘んじていたのかもしれない仕種に、どれだけ癒されてきただろう。くちびるを噛む。憶い出したくもない偽りの過去。

 今はC.C.の不死を移譲させるためだけに生かしている偽りの弟。

 その弟は、

「じゃあ対価をもらうね」

と、一息吐いたC.C.の頭を撫でている。ルルーシュがふれることも許されなかったC.C.の髪に、C.C.のための偽りの命が! それはおまえのものではない、おまえたちは二人共俺のものなのに俺を差し置いて何を勝手に!

 C.C.は、幼子のように、記憶の退化している今、まさに幼子のかおで、きょとりとその対価とやらを甘んじて受け入れていたが、やがてロロの表情のないかおに安心したように、ふうわりと微笑んだ。

「……ッ」

 限界だった。

 わかっていたはずだった、最初から。何一つ手に入れてなどいない、C.C.もロロも自分のものなどではなく確固たる意志を持った自分とは別の存在だった、ユフィもシャーリーもカレンも、そしてナナリーでさえも。自分の思い通りになどなる人は誰一人として居ないのはわかっていた。自分がただの傲慢な支配者でしかないことをなど、ギアスを手に入れたときから自覚はしていた。

 まるで仲睦まじいかのような二人を前に、なのに実際には命令を下す者と従う者でしかない二人に、ルルーシュは頭を抱えてくずおれ、その様は先程のC.C.に良く似ていた。ロロが一瞬ルルーシュに視線を向けたようであったが、今は自分の知らない弟の眸など見たくはなかった。己を鏡のように映す姿をなど、見たくはなかった。尚のこと俯く。

「……ひとりで食べられる?」

「はい」

「じゃ、あとは全部食べて良いよ」

「はい、御主人様。……有難うございます」

 もはやC.C.の声に怖じ気は感じられかった。寧ろ何某かの信頼、ロロの何かに対する信服、同じ「御主人様」でも自分とは全く違う反応、……或いは奴隷同志の共感。

 ロロがゼロの仮面を取って自分の頭に被せてくるのに逆らわず、ルルーシュは頭を抱えていた腕を外した。金具を止める音が聞こえる、これでルルーシュは完璧なゼロだ。内面がどうであれ、ゼロの真贋は行動によってのみ量られる。記号化されたゼロという仮面は、この場合有難かったが、ロロがそこまで意識していたのかどうかはルルーシュには知れない。

 掌握し尽くしたと思っていた、馴染んだ弟と明快な暗殺者の思考は、だがルルーシュの無力な掌に収まるものでは決してなかった。C.C.がまたそうであったように。

 ロロに与えられた食事を続けるC.C.を置いて、二人は部屋を出た。藤堂が出払っていてカレンは捕虜、そして扇までもが行方不明の現在、この総督エリアには人気はなく、多少不揃いな二人の足音だけが響く。

「……手慣れてるんだな」

 口を開いたのはルルーシュのほうだった。

「え、兄さん、何?」

「シーツーの扱い」

「ああ」

 言葉を濁したルルーシュの端的な言葉に、だが合点がいったとばかりにロロは頷いた。

「実際慣れてるから、ああいう子供の扱いは」

「子供? 嚮団のか」

「うん。大抵の子供は、最初みんな、あんな感じ。新人の躾を任されるのも、同じギアス能力者の子供達だったから。って、話したよね?」

「……ああ」

 その話は以前ロロから聞いたことがある。

 自分達の処理は、自分達で。それが嚮団の方針だったから。食事の世話も、任務に失敗した場合の仲間の始末も、命令に背いた罰を与えるのも、すべて自分達で。連帯感など決して生まれないように。

 そのように淡々とロロが語ってみせた嚮団の実態は、要するに奴隷育成場だったということなのだろう。

 慣れてるから。そんな言葉にくちびるを噛む。

「……資料からだと、兄さん、大分酷い生活を強いられてたと思ってたんだけど」

「アッシュフォードに引き取られる前の話か?」

「皇子様だったんだよね、兄さん。忘れてた、貧乏性で家計簿なんて付けてるから」

 ロロは苦笑してルルーシュに向いた。足は既にして止まっている。

「兄さんは、慣れてなかったんだね」

 ロロの口調にも表情にも、責めている気配はなかった。ただ淡々と事実を述べているだけだった。

 だからこそ、痛い。

「皇子様のようなプライドは僕達には、ないから……」

 だから、生きるためならどんな命令でも盲目的に聞くと?

 その従順を自分への愛情だと、盲目的に信じていた時期もあったのだ、かつては。項垂れることの許されない仮面の下で、ルルーシュは更に口唇を噛みしめ、C.C.が「愛される力ギアス」に飽いた理由を噛みしめるのだった。

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