ゼロから渡された新規入団員のプロフィールは二人分、そのどちらもがディートハルトを唸らせるには充分だった。
「ジェレミア・ゴットバルト卿とロロ・ランペルージ……ねぇ」
一人は言わずと知れた、ブリタニア軍の純血派筆頭だった。ナンバーズ討伐を「狩り」と称していた男が、何の魔法を使われたものやら、日本人が大半の黒の騎士団に入団してくるとは。尤もディートハルトはゼロの奇跡のようなマジックを何度も見てきた、それが何らかの超常の力であろうことも推測はついている。だからこちらは騎士団内で起こるであろう軋轢さえクリアすれば、特に問題はないだろうと思われた。
問題は、もう一人。
ランペルージ。この苗字に、ディートハルトは厭というほど憶えがあった。
「ルルーシュ・ランペルージ……」
件のジェレミアが、ゼロの協力員ではないかと一年以上前ディートハルトに調査させた、アッシュフォード学園の高等部二年生。否、今は三年生になっているか。
ディートハルトの集めたデータは当時、悉くルルーシュ・ランペルージ自身がゼロであることを示していた。良くぞこの程度のアリバイ工作でブリタニアにバレなかったものだと一瞬笑ったが、ディートハルトとてジェレミア達から情報をもらっていなければ、女子供や学生から、虱潰しに調べてゼロの正体を突き当てられていたとは到底思えない。前提条件の学生という身分、これが彼にとっても隠れ蓑として武器だったのだと知れる。
そして、ゼロがルルーシュ・ランペルージであるというのならば、そして歳若い者も多い騎士団でその正体を隠しているというのならば、もう一つ浮かび上がってくる疑惑があった。
かつてブリタニア皇帝の皇妃に、マリアンヌ・ヴィ・ブリタニアという女性が居た。旧姓マリアンヌ・ランペルージ。彼女の長子を、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアと言った。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、マリアンヌ皇妃逝去後、日本国首相枢木ゲンブの下に送られたが、そのままブリタニアは日本に開戦を宣言し、結果は万人の知るところである。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、及び共に日本に送られていた妹姫のナナリー・ヴィ・ブリタニアがどうなったのはディートハルトとて知るところではなかったが、その時期にブリタニア皇族の間で継承権の繰り上げが行われたところを見ると、恐らく死亡したものとしてブリタニアでは処理されていると推測される。
生きていたのだ、それが。ブリタニアへの憎悪を、胸に秘めて。
確定ではない、だがディートハルトは確信している、あれが亡国の皇子なのだと。そうして同時に、その正体は決して明かしてはならないものだとも理解している。明かすときは完璧にプロデュースして問題のないように全世界に向けて、そう、この自分のプロデュースで放映するのだと。
だから正直、ロロ・ランペルージの名前を見たときは眉をひそめた。ゼロが直接送り込んだランペルージ姓の子供、ゼロに近い年齢、ゼロと同じ学校、幼き頃のシャルル・ジ・ブリタニアに似た容貌。ルルーシュ・ランペルージとの関係は今のところディートハルトも知りはしないが、親戚筋だったりしたら正体に関わる苗字を持つその子供から、ゼロの正体が露見しないかと危ぶんだのだ。
しかし咲世子から聞いた彼の正体は、ディートハルトの予想を超えるものだった。
「私にも良くわからないのですが、ルルーシュ様の弟君だということです」
「はぁ?」
咲世子はランペルージ家を匿っていたアッシュフォード家のメイドだった女である。ブラックリベリオン以前はランペルージ家に定期的に通って彼等の世話をしていたらしいが、ディートハルトが知り合ったのはルルーシュの縁ではない。彼女はディートハルトの知る裏の世界ではちょっとした有名人であり、篠崎流という古武術の使い手だった。所謂忍者というやつだろうか、とディートハルトが訊くと、セキュリティポリスです、と返された。警官でもないのに、良くわからない。
いずれ使える人材だったので、騎士団入りを希望されたとき、ゼロには無断で手許に置いた。実はランペルージ家とも縁が深い人物だと知ったのは引き入れたのちだったが、これにディートハルトが狂喜したのは言うまでもない。
卜部率いる日本残留組の行った飛燕四号作戦以後、復活したゼロを追って日本に帰ったディートハルトが独自に探った情報によると、ルルーシュ・ランペルージの通うアッシュフォード学園は、皇帝直属の機密情報局トウキョウセクションによる「と或る」作戦の拠点とされていた。「と或る」作戦、何とわかりやすい。ルルーシュ・ランペルージはブリタニアに監視されているのだ、ゼロではないかとの疑いを以て。この一年は、その監視を抜ける手段を講じていた空白だったのだろう。
ディートハルトはゼロの正体を知っていることをルルーシュ・ランペルージに打ち明け、ルルーシュ・ランペルージを知る篠崎咲世子を機情処理班として送り込むことを提案した。それが太平洋奇襲作戦前の話である。ルルーシュはどうやら咲世子が変装術までをも有したくのいちであることまでは知らなかったようで、電話の向こうで忍び笑いを洩らしたが、ディートハルトの案をそのまま受け入れることはなく、ただ咲世子に影武者としての役目だけを頼んでいた。咲世子が仮面や衣装を用意し、準備が整って入れ替わったのは、凍結淡水輸送船でのことだ。その後咲世子とは、騎士団の中華連邦での活動が忙しかったこともあって、ディートハルトも連絡を取れてはいなかった。
影武者を演じていた咲世子が戻ってきたのは、件のロロ、ジェレミアと共にであった。何があったのか、どうやらゼロが日本での生活を切り捨てようとしているらしいことは知れた。機情の処理は済んだということだろうか。ゼロの妹たるナナリー・ヴィ・ブリタニアがエリア11の新総督になった辺りから焦臭さは感じていたが、もしかしたら人質に取られて事を性急に進め始めたのかもしれない。
ゼロは二人を騎士団に預けて、零番隊やナイトメアフレームの指示を出し終わると、また一旦日本へ戻っていった。ディートハルトの調べたルルーシュ・ランペルージのデータの中にもなかったロロ・ランペルージという子供、正体を知るならば咲世子しか居まい。訊くとしたら今しかないと思い、日本での報告も兼ねて訪ねてみたのだったが。
「ゼロには……ルルーシュ・ランペルージには、弟も居たのか?」
「私の記憶にはありませんが。何処かから拾ってきたんでしょうかねぇ?」
「……犬猫じゃあるまいし」
「でもルルーシュ様お好きですよ、ああいうふわふわした可愛い系の歳下の子が」
何の話だ。咲世子の天然に頭を垂れるが、首を傾げられるばかりで尚更疲れを感じた。
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは第十一皇子で、皇帝の実子としては末男に当たる。隠し子が居たという可能性を差し引けば、あの子供が「弟」だという以上、ブリタニア皇族としての二親等以内の親族とは考えにくい。
ではランペルージ家の親戚でも拾ってきた? と考え掛けて眉間を押さえた。咲世子の思考が移っている、全く犬猫でもあるまいし。マリアンヌの血統まではさすがに調べてはいない、これからは調査範囲を広げるべきだろうか、ゼロに直接尋ねるのは無能の証だ、と頭を悩ませていると。
「あ、そういえば一つ。ロロ様に関しては奇妙なことがありました」
「何だ」
大した期待もせずに適当に相槌を打っただけのつもりだったのだが。
「ルルーシュ様の妹君、つまりナナリー様を知ってらっしゃる方々が悉く、ナナリー様のことを憶えてらっしゃらなくて、ロロ様を弟だと思っているのです」
「? どういう意味だ」
「ええとですね……つまり、ルルーシュ様の周囲の方々の記憶から、ナナリー様の情報が奪われて、ロロ様に置き換わっているようなんです」
一瞬のうちに駆け巡った四つの可能性。そのうち最も可能性が高いのは、ルルーシュの持つ例の「奇跡」とやらの力だった。
「ナナリーという妹が初めから居ないことになっていて、ロロという弟が初めから居たことになっている、ということで合っているな?」
「はい、そうですね。ナナリー様を御自分の妹のように可愛がってらしたミレイ様までもが、ナナリー様に対するようにロロ様を可愛がってらっしゃるから、もう不思議で不思議で」
「ゼロは?」
「は?」
「ゼロの態度は、と訊いている。ゼロもミレイ・アッシュフォードと同じように、ナナリーを可愛がるように、あのロロ・ランペルージを可愛がっているのか?」
「ああ……ええと……」
悔しいことに、ゼロのこの一年をディートハルトは知悉していなかった。日本を離れ中華連邦に身を寄せて以来、日本に残った卜部やカレンとはなかなか通信できる機会もなく、必要最低限の情報を遣り取りするだけであったし、何よりディートハルトは彼等に信用されていなかったので、当時の肝心な部分の情報はゼロの戻った今尚、一切知らされていなかった。
そのロロ・ランペルージの正体を突き止めれば、ゼロの空白の一年に迫れるのではないかと思ったのだが。
「えーとですね……ナナリー様より、多分もっと」
「もっと?」
「ルルーシュ様は、ソイヤッな御方ですから、多分」
「そいや?」
それが日本人にとっての祭りの掛け声であることはディートハルトも承知していたが、何故ここで祭りなのだ。
「つまり、しっぽり?」
「しっぽり?」
「ですから、ルルーシュ様の好みだと言いましたでしょう、先程」
「……好み」
「タイプ」
「……ふわふわの?」
「可愛い系の」
「歳下の?」
「そういえばスーさんは歳下じゃありませんでしたねぇ、童顔ではありましたけど」
実のところ、既にディートハルトの思考は停止していた。もはやスーさんが誰かはどうでも良い。叫んだ。
「兄弟ってソッチの意味かー!」
「ンなはずあるかー!」
裏拳一つ。天然のくせにツッコミは鋭い。ディートハルトは思わず涙目で咲世子を睨んだ。
「普通に兄弟です、アッシュフォード学園にある書類上は。だからこそ妙なんです。例のヴィレッタ・ヌゥとも裏の意味で懇意のようですし、機情の施設は掌握してるし、どう考えてもロロ様も機情の人間だとしか思えないんですけど……」
「けど?」
「ですからソイヤッで」
「もうそれは良い」
あのゼロが、機情の人間を、わざわざ周囲の記憶を書き換えてまで弟にして可愛がっている? むしろその弟役の記憶を書き換えて懐柔するのではなく?
いや、ゼロの性的嗜好がどうであろうと関係ないのだ、問題はそんなのを騎士団に入れることであって、いやそもそもC.C.がゼロの愛人として認識されているのだから問題はないのか、いやそんなことじゃなくてランペルージ姓からゼロの正体が露見するかもしれないことが問題なのであってそもそも。
ディートハルトの思考は回っている。もはやまともな回路として働いていない頭を動かすために、身体を動かすことにした。斑鳩内をひたすら目的もなく歩き、目的もなかったはずなのに、艦内の人員の働き振りを見て、次の人事に備えてしまう。職業病のようなものだった。
尤も今、艦内にはブリッジか弐號格納庫くらいしか人は集まっていない。ゼロの指示した急な零番隊の出動にほぼ総員が駆り出されて、てんやわんやの状態である。何の作戦だかは、ゼロのすぐそばに居たはずの咲世子ですらも知らされてはいなかったようだ。ゼロの独断による単独行動は今に始まったことではないが、零番隊すべてを駆り出す隠密行動は珍しい。ゼロの裏事情を理解しているつもりのディートハルトにしても多少、不審が残らないでもないのは確かだった。またナナリー総督関連だろうか。ゼロが恐らく身内に甘いのだろうことはロロ・ランペルージのことからも窺い知れたが、ディートハルトがそれに納得できるかというと話はまた別だ。「想いの力」などと。伝説を作るのには邪魔な資質だ。
しかも今回、その零番隊の作戦には、件のロロとジェレミアが参加するという。わざわざサザーランドを純血派仕様にさせたりパイロットスーツを新しく作らせたり、内部に混乱が起きるだろうと簡単に予測されることをゼロが行っているのが、一番の不審だった。
ゼロが必要だと判断したのなら必要だったのだろう、と感情では思いはするのだが、理性がそれは理屈に叶っていないと反論する。噛み合わない状態に、単純に気分が悪かった。
そんな苛ついた気分のまま足を運び入れた肆號格納庫で、だから元凶とも言える子供に出逢ったのは、本当に偶然だった。
「あ……」
蜃気楼のコックピットを開いて、中で何やら作業をしていた件のロロ・ランペルージと視線が合う。むこうはディートハルトを知らないはずだ、だから一般団員用ではない騎士団員服を着ている幹部に挨拶したつもりなのだろう、会釈を向けてきた。
蜃気楼は起動している。あれはドルイドシステムとハドロン砲を組み込んで斑鳩を設計する際、副産物としてラクシャータが生み出した実質ゼロ専用のワンオフ機で、識別ナンバはラクシャータとゼロしか知らないし、起動キィの所有も無論同様である。それを動かせているのは、そういうことなのだ。何故を問う愚はさすがにディートハルトは犯さない。笑顔を浮かべて声を掛けた。
「整備ですか」
「……いえ……」
ディートハルトの頭上で気弱そうに視線を揺らして、ロロ・ランペルージは手許の紙の束と思しき物体を抱き締めた。俯いているが、逆にそのせいで地上のディートハルトには表情が良く見える。眉の下がった幼い表情、想像していた性格とは違うようだ。これでは本当にただの子供ではないか。苛立ちは募る。
「それ、マニュアルですよね。操縦する御予定ですか」
「操縦は基本的にどれでも変わりませんから……ただドルイドシステムは、これと斑鳩にしかないそうなので……斑鳩のほうを借りると、迷惑かと思いまして……」
いまいち要領を得ない答えだ。対人の会話に慣れていないのだろう、弁舌を振るうゼロの姿を憶い出して笑い出したいくらいだった。成程、彼等は正反対だ。
ロロの返答ではっきりしたことは、彼がナイトメアフレームの操縦に慣れていること、ゼロが彼に何らかの目的でドルイドシステムを任せようとしていること、くらいだった。ひょっとしたら実戦経験のあることを強みにメカニカルスタッフとしてラクシャータの科学部門にでも入れるつもりなのかもしれない、何しろ「大事な弟君」だそうだから。
厭味たらしくなってしまった内心に自分で舌を打ち、更に笑みを深くした。ゼロの行っているこれは戦争だ、平和な場所など何処にもない。そのくらいもゼロが理解していないとは、さすがに思いたくはない。
「斑鳩のほうでも大丈夫ですよ」
「え」
「今はブリッジも空いていますから、好きに使ってくださって結構です。人出もありませんよ、出払っていますので繋ぎ役だけです。キーボードは大きいほうが使いやすいかと思いますが、どうしますか」
こどもは弱り切ったように視線を泳がせている。まさか助けに入ってくれる「兄」でも探しているのだろうか、と埒もないことを考えた。全く以てらしくない。らしくないのは、自分がだ。
「え、と……じゃあ……お願いします、ディートハルトさん」
ほら、らしくもない思惟に耽っているから、このように足下を掬われるのだ。
「ではこちらへ」
まさか自分の名前を把握されているとは思わなかった。情報源は言うまでもない、咲世子は天然だが、殊そのような機密保持については信用できる。つまり、そういうことだ。
蜃気楼の起動を示すLEDが消灯し、降りてきたタラップのワイヤに絡む細い身体は、まさに子供のものだった。ゼロも大概細いとは思うが、それ以上だ。骨格の出来上がっていない子供を重力加速度の強い機体に乗せることは、そういえばラクシャータも懸念していた。そういう点では、反応速度と機動性の高さが売りのヴィンセントよりも蜃気楼のほうが安全ではあるのは確かだ。
「ついでに斑鳩内の案内もしましょうか」
「……もう頭には、入ってます」
「頭には。実際に歩き回ってみますか?」
「必要ありません」
にべもない。本人に騎士団と関わる気はないということならば、騎士団入りはゼロの意向ということだろうか。先程までの推測と矛盾するような気がした。迷乱状態の展開はディートハルトの好むところだが、果して。
「あなたは」
並んで歩く。こどもの足音は、しかし軽いと言うよりは無音だった。その割には左右の足の運びに規則性がなくずれがあり、少なくとも軍人としての鍛えられ方はされていないことが知れた。そう、軍人というよりはむしろ。
「あなたは、ゼロの護衛ですか?」
「答える必要はありません」
「あなたは、ゼロを守りたいですか?」
靴を慣らして立ち止まったこどもを、口許を歪めて見遣りディートハルトも足を止めた。視線の先で、対照的にこどもは透徹した無表情だ。成程「ゼロ」の弟か、なかなか皮肉が効いている。
「だからといって騎士団の人間を殺してはなりませんよ」
「ゼロを護るのは僕です」
「彼等は単なるゼロの手駒です、殺しても益にはならない」
「幾らでも換えは利くでしょう」
「あなたも?」
ふ、と気付けば目の前からこどもの姿が消えていた。首筋に当たるつめたい感触と共に軽い痛みが走った。首筋に吐息めいたこどものこえが掛かる。成程、カオスの権化の弟か。
「あなたも?」
「ええ、あなたのお兄さん以外はすべて」
やっと噛み合った現状に、実に楽しげな笑い声を零すディートハルトの背後で、諦めたようにナイフの刃を仕舞う音が聞こえた。