監視対象たるルルーシュ・ランペルージが、収容された病院を抜け出して、与えられた弟役の許に駆けつけてから数日。対象を飼育する鳥籠として使用が予定されていたアッシュフォード学園を再開させた、との報告がロロに入った。
元々ロロの入院予定をルルーシュより長く設定してあったのは、その期間にロロの教育を行うためであった。ルルーシュと二人きりの通常生活にいきなり放り込むには、ロロには知識が足りなさすぎた。ルルーシュを先に退院させ、見舞いに来るだろうルルーシュとの会話で齟齬が出たら機情職員にフォローさせ、ルルーシュの居ない間にエリア11とナナリー・ランペルージの情報を学習する、そんな予定ではあったのだが。
覚醒してすぐ、いきなりの脱走を企てて弟の病院に駆け込んだ対象は、見舞いどころか病院に泊まり込んで、弟のそばを離れようとはしなかった。要するに学習どころではない。おまけにナナリーの真似をする必要も、どうやらなくなったようであった。
ロロを入院させておくメリットが殆どなくなったことを受けて、アッシュフォード理事長と交渉中であったブリタニア本国の機密情報局のほうで、ブリックリベリオン以降休校となっていた学園の再開を、早めさせたとのことだった。
「学年が違えば、ルルーシュの授業中に学習できるから、ですか」
検査と称してルルーシュからロロを引き離した医師役の機情職員は、実際に疵の付いたロロの身体に巻かれた包帯を取り替えながら、呆れたように溜息を吐いた。
「まぁそういうことだ。ああそうだ、おまえの学年は中等部三年に決まったから」
「ナナリー・ランペルージは中等部二年のはずですが」
「本来ならば、監視がしやすいよう初めから高等部にしたかったようだが」
男は一つ溜息を吐いた。
「生徒会の部室に、全員の写真が結構残されていてな。おまえの写真、ないだろう」
アナログ写真をデジタル処理で合成してまたアナログに戻す処理を省いた、ということだろう。或いはルルーシュが付きまとっていなければロロの写真を撮って処理する暇もあったのかもしれないが、いずれ詮無いことである。
中等部だったのならば、単純に「生徒会に来ていなかった」という言い訳が通る。恐らく件の記憶改竄ギアスにはその程度のあそびは存在するのだろう。たとえルルーシュが「弟」を二年生だと思っていても、ロロが三年生だと言い張れば書き換えられる程度には。
「ではナナリーの写真は」
「それだけは抜いておいた」
「監視カメラ等の仕掛けは」
「まだ全然だが、どうせテロで校舎に銃痕が残っているからな。修理と言って入れればいいさ。それまでは人海戦術だな。おまえも報告を怠るなよ」
「教師と生徒の入れ替えは」
「教師役としては何人か入るが、生徒は取り敢えず元の生徒のままでいくそうだ。一体どうやって――」
記憶改竄のことだろう。ギアスの存在を知らされないままならば、一番の疑問点になるだろう部分を、しかし苦虫を噛み潰したような表情で言葉を濁して、その男は視線を逸らした。情報の深追いも禁止事項に入っているらしい、とロロは判断した。
しかし何処にでも例外は存在する。その洗い出しも、今回嚮団の任務の一つだった。
ルルーシュが居たため、碌々確認もできなかった事項のチェックをしてゆきながら、包帯を巻き終えたところで別室に移された。トウキョウセクションでの指揮を任されているカルタゴ男爵との顔合わせだ。
本来ならばこちらに赴任してすぐ行うはずであったが、ルルーシュの脱走によって計画の変更を余儀なくさせられた事項の一つである。
「お初にお目に掛かる、餌の弟君」
厭味たらしく挨拶したカルタゴ男爵の口許は卑屈に歪んでいた。
貴族たる地位に固執し、しかし貴族たる責務に背を向けている、現金な男だとロロは聞いている。呆れたように笑って、そうロロに教えたのはV.V.だった。
本来ならば部下であるロロに、ましてや身分の高い貴族でもないロロに、カルタゴが敬語を使う必要も、つもりもないに違いあるまい。しかしカルタゴは知っているのだ、ロロが何処から派遣されたかを。
皇帝直属のギアス嚮団、たとえその名は伏せられてはいても、頭からマントを被った異様な集団が皇帝の周囲にいつも控えていることを、大抵の貴族は知っている。そこの関係者が派遣されるということは、仮に何の意図もなかったとしても、裏を勘繰られるに違いあるまい。
果してカルタゴもそのようであった。巧くロロに取り入れば、皇帝への口利きでもしてもらえるとでも思っているのだろうか。
『くだらない……』
今回、裏ならば確かにあった。しかしそれは、カルタゴの考えるようなものでは決してない。
(この前、13号棟で君に任務を言い渡したとき、録画してたんだ)
(そうですか)
(そのデータ、今度の任務先の上司のところに送っておくから)
(ギアスの存在を知っているというヌゥ男爵ですか)
(ううん、カルタゴっていうつまんない男。機情のトウキョウセクションの責任者だって)
(わかりました)
(どうしてか、訊かないの)
(聞く必要があるのならばお聞きします)
(誘い出すのに役立つからね)
「餌の弟君」であるだけでなく、ロロ自身が、或いはロロにまつわる嚮団の情報が、餌であるということだ。
「はじめまして、カルタゴ男爵。今回の作戦に参加させて頂きます、ロロ・ランペルージです」
敢えて餌の苗字を名乗った。
ギアス嚮団を、否、皇帝に影のように付き従う奇妙な集団を、探ろうとする輩は少なくはない。ギアスのことは知られてはいけない、それなのにあの目立つ衣装で嚮団員が公の場に出ているのは、反乱分子の炙り出しに役立つからだった。
ロロの嚮団内での映像も、情報として送られたのち、すぐに抹消するよう命令が出ていることになっている。それが消されずカルタゴ管理下のサーバに残っているならば、そしてそれにアクセスする者が居るならば、そこから先は嚮団が動くことになっている。
尤もウィザード級のクラッカが居た場合は話が別だ。恐らくゼロならば痕跡も残さずアクセスしてみせるだろうね、とV.V.は軽く笑っていた。
カルタゴがあのデータを残しておいた場合、「兄」がそれを閲覧することになるとしたら、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアとしての記憶が戻ったときになるだろう。
踏み絵にも何にもならないけれど。
「ロロ、どうだった」
病室に帰ると、ルルーシュ・ランペルージが、ロロにとって理解しがたい表情で迎えてくれた。カルタゴの卑屈な笑顔のほうが余程ロロには理解しやすい。
「明日には退院できるって」
近付いたら手を引かれてベッドに腰掛けさせられた。
「そうか、よかった……。こっちにも会長から連絡があってな、学園が再開したそうだ」
「そうなんだ。早かったね」
「会長が急がせたんだろうな。あの人はいつも駆け足だ」
「……そうだね」
アッシュフォード学園現生徒会長、ミレイ・アッシュフォード。学園理事長の孫娘。ルルーシュ・ランペルージの先輩。ナナリー・ランペルージとも懇意にしており、己の世話役をナナリーに貸し出していた。
現在はルルーシュ同様、記憶を改竄されてエリア11に戻ってきているはずだった。彼女達の世話役だった篠崎咲世子は黒の騎士団に所属しており、ブラックリベリオン以降の消息は不明であるため、そちらから改竄の綻びが出るとは考えにくいが、果してミレイの脳内では、極々一般的な家庭の男兄弟という設定になっているランペルージ兄弟を、如何にして特別待遇でクラブハウスに住まわせる事態になっているのだろう。
藪を突くつもりはなかったが、彼女とルルーシュの中に明確なヴィジョンがなかった場合のことを考えて、こちらでも適当な設定を作っておかないと、咄嗟の場合に不都合が出るかもしれない。面倒臭いなぁ、と溜息を吐いたらルルーシュに誤解された。
「痛むのか?」
「ううん、もう大丈夫」
実際、身体を傷付けたのはロロ自身だ。ルルーシュに疵の断面を見せたら気付かれてしまう虞があるため、厳重に包帯を巻いてはあるが、血は流れてもダメージは出ないように調節して付けた切り疵であったし、日常生活に支障の出そうな表立った場所には付けてはいない。
「はやく、みんなにあいたいね」
早くC.C.を捕獲して、ゼロを殺して、そうすれば、
「そうだな。おまえが怪我したと伝えたら心配してたから、顔を見せて安心させてやれ」
世界は再開される。