彼のための彼女のための彼 − 主人公の仲間ではない人物としての飛影 −

 戦闘に戦略と戦術が存在するのと同様、物語にも戦略的視野と戦術的視野は適用可能である。

 即ち、終結(或いは一定の区切り)までの道筋に沿ってキャラクタを動かす戦略的物語と、キャラクタが動くにつれ物語が進んでゆく戦術的物語と、である。H×Hは前者、幽白は後者と見做せるだろう。またレベルEは、戦略レベルのネタを戦術レベルで投入していった物語といえるかもしれない。

 さて、飛影のキャラクタ造形はと言えば、過程は非常に戦術的である。年齢的には物語史上初登場となる『Two Shot』での飛影の台詞、「ゴチャゴチャとよくしゃべる野郎だな」。……コミックス3巻初登場時のおまえがな。とツッコミたくなった人はどれだけ居るだろうか。

 飛影ほど性格的に変質のあった人物は居ないと、これは飛影ファンであってもなくても認めるところではなかろうか。それほどに彼は、初登場時とその後の性格が異なっている。その理由は、前述のように「飛影は最初、幽助の仲間として設定されていなかった」と仮定して考えれば、すっきりと納得がゆく。全身を邪眼増幅装置に染めた姿が、黒龍なぞより余程お手軽な妖力UPの手段だったにも関わらず二度と登場しなかったことを鑑みても(割と好きだったんだけどなぁ、百々目鬼の飛影ちゃん)、飛影の人物造形は行き当たりばったりだったと考えざるを得ない。

 にも関わらず、その行き当たりばったりの継ぎ接ぎが効いて、彼のキャラクタは結果として非常に良くできたものになっている。のみならず、彼の生き様は戦略的物語の相まで呈したのである。その継ぎ接ぎとしての役目を負っていた人物が居る。

 当初、飛影が幽助の味方とはならない人物として設定されて登場したのならば、まずは主人公に組する際、主人公に敵対した「読者に対する正当な理由」が提示されねば、読者に見せる物語としては成り立つまい。納得は得られまい。理由の後付けである。

 その理由として生み出されたのが「雪菜」、彼の妹であった。彼女こそが飛影というキャラクタのすべての理由である。飛影というキャラクタに過去の意味付けを行った、聖なる天蓋である。

 飛影曰く「異母兄妹」として、兄を知らない妹、人間に攫われた妖怪、という名目で登場した彼女は、飛影が盗みを働いた理由、人間界に来られるほどに妖力を落とした理由、4人組をかりそめに3人組に見せる手段、などを物語に与えていった。

 飛影は強い。戦闘に於いて、4人の中で最も圧倒的な力を見せつけていたのは飛影である。それは物語として当然の帰結とも言える。桑原が弱くあらねばならず、蔵馬の能力は封印されねばならなかったのならば、主人公の危機という物語上のテクニックを展開する際、それでも「必ず勝つ」というカタルシスを読者に与えるためには、物語としてはもうひとつの力を必要としたのである。安定した強い力を。トリッキィではなく戦術的戦闘物語の範囲に収まる能力を。

 物語は、主人公と同等、且つ同様の戦闘能力を欲したのである。

 だから、飛影と幽助の活躍の場が近しかったのは必然である。真っ向から戦うことのできない相手(仙水)に欲求不満を抱え込んでいた幽助と、喧嘩してストレス解消させることのできる相手が飛影でしかあり得なかったのと、それは同様の理由である。また対天沼戦で「オレの出番じゃない」と飛影が宣ったような戦闘が続いていたからこそ、幽助が主人公である物語としては魔界の扉編で結果として、特殊能力とは懸け離れた仙水と幽助のバトルに落ち着かざるを得なかった理由と同様である。

 だが飛影が本当に強かったのならば、強いままであったのならば、人間界に来ることも叶わなかった。安定した力と同時に飛影は、自然発生のひずみで人間界に来られるだけの弱さをも物語に要求されることとなった。

 雪菜登場の時点で、そこまで設定が練られていたかどうかは不明だが、雪菜を追う過程で飛影が弱さを手に入れたという設定にできたことは、物語として秀逸である。後に語られる飛影の過去で、彼は氷女の故郷を探すため邪眼を身に付け、結果妖力を極端に落とし、人間界へ来られることとなったのである。

 その邪眼はまた、当時はヒロインとして機能していた螢子を傷付けた言い訳、読者を納得させられるだけの理由をも、結果として生み出すこととなる。幽助に対峙する形で霊界の秘宝を盗んだのは、自在に操れる手下を大量生産して人海戦術で妹を探すため、ということになるのである。

 「目的のためには手段を選ばない非情な性格」の彼は、その目的意識の強さ故にいっそ、読者をして「情の厚い人物」と思わせることに成功したのである。雪菜とは、そのための装置である。彼の「厚情」と「非情」とを一身に背負って物語より生まれ出た、「幽助の仲間としての飛影」のための装置である。

 その彼女はまた、桑原の想い人とされることで、不安定な4人組のチームを纏める機能をも担っている。

 幽助、桑原、蔵馬、飛影の4人は、後半、桑原が人間界に、飛影が魔界に居続けたことを抜きにしても、実質は幽助、桑原、蔵馬、或いは幽助、蔵馬、飛影の3人組として効果が働いていたことが多い。飛影が幽助に惹かれ、蔵馬を信用し、桑原が幽助を信頼し、蔵馬に懐き、そうして性格的に桑原と飛影のそりが合わないこと(いやあんまり合わないとは実は思わないが)を描いた立場の物語であったのだから当然ではあるのだが、飛影と桑原、彼等が互いの力を認めつつも歩み寄らなかった理由が雪菜の存在にあるならば、離れることもなかった理由もまた、雪菜を介した飛影側にある。

 飛影は雪菜に兄だとは名乗らない。名乗ることは性格上も契約上もできることではないだろう。つまり彼は必要以上に雪菜に近寄ることをしようとはしない。人間界に居続けることで精神的に兄を獲得しようとした(推測)雪菜が人間界に、桑原家に居るからこそ、飛影はそこに寄り付かない。それは飛影が桑原に近付かないことと同義である。

 そしてまた同時に、雪菜が人間界に居るからこそ、桑原が彼女を想っているからこそ、飛影はそこを切り捨てることはできない。雪菜を放任しておくことができない。それは飛影が桑原を看過できないことと同義である。

 こうして不安定な4人組は、だが4人組のままで安定した3人組をその上に形成できたのである。

 飛影というキャラクタは、このように幽助のチームメンバとしての地位を読者に対し確立するために物語によって編まれていったと思われるが、それが「雪菜」という一点に帰結する形ですべてが組まれていったため、彼の人生は至ってシンプルに、つまり一貫性を持った戦略的人生の様相を呈したのである。

 それは幽助と似た形質を物語に与えられた彼の、幽助とは真逆をゆくだろう彼の人生である。限りない選択である。その選択の中で、彼は雪菜を選び、幽助を選び、躯を選んだのである。「いつ敵に回ってもおかしくない」と物語に称された彼は、だが彼の意志で一貫して幽助の仲間となったのだ。