Novel

「細波の薦めもあったけど、俺も、人間的にも能力的にもおまえが適任だと思ってる」

 恐らくこの言葉には嘘はないのだろうと思う、そのくらいはわかる。細波さんは頭領をして「全く読めない奴」と称したが、彼は良守を知らないのだ、そして俺は良守を知っている。良守の読めなさ加減を知れば、頭領の顔色はまだ読むに容易い。このひとの深淵は浅い。言葉に嘘はなかった。

 なかったがしかし、だがそれだけかというとそうでもないのだ。俺と頭領の間では「適任」こそが取り沙汰されるのかもしれないが、「細波の薦め」、まさにそれが頭領と細波さんの間では重要なのだろう。

 俺を烏森に置いておくということは、そういうことだ。細波さんの「二度目」があった場合の保険である。要するに任務のついでの、体の良い人質だ。

 良くもまぁ都合良く人を推薦したものである。つまり俺と細波さんの関係も露見していたということだ。そんな弱みすらも利用するようなしたたかさは、俺にはない。利用されて諦めるような無駄な賢しさは持っていたとしても、そんな賢しい愚かしさは、この世界で生きてゆくのに何の役にも立たない。

 だから受けた。頭領の依頼を断る権利は血腥い職場とて世間並みに存在していたが、敢えて俺はそれを受け、諜報班に移った。何でも良い、それで強くなれるというのならば、せいぜい効率的に利用されてやるまでのことである。

 もう少し言えば、細波さんのそんな小賢しく、過剰に保険を掛ける怯懦は、俺には嫌いきれるものではなかったからだ。自分がそうだからこそ、そんな部分を厭い、そして他人のそんな部分を理解できるのだ。頭領に呼び出されたとき、恐らく細波さんとしては弟子の俺を「自ら進んで」差し出すことが、頭領に対する精一杯の虚勢だったのだろう。

 弱い者が強く見せようと頑張る姿は滑稽で憐れで、そしてほんの少しの愛おしさを呼び起こすのだった。自らのバケモノであることに馴れ親しんでしまって、既にヒトとして遠く離れてしまった人間の多い夜行に於いて、そんな細波さんの小心振りはひどく人間臭く、それは俺を安心させた。

 人外に強いことに馴れるということのない弱さは強みになるのだと、それは細波さんの言葉だが、それが強みにならずとも、その馴れに身を委ねた結果がどういう末路を辿るのかは、良くわかっている。

 この世界、強さに上限などない。いずれ上を目指してゆけば潰されるのみである。限のように。潰されるそのこと自体よりもなお、俺はそれに気付けぬ強き者の盲目さを恐れていた。強さを求めながらも、肉体的な強さが必ずしも精神的な強さに繋がるのではないことを、俺は知っていた。

 あの強い強い背中でも。

 だが、ただ一度だけ、その考えが揺らいだことがある。決して何者にも潰されることのない、無限の力がひょっとしたら存在するのではないかと、真っ白な空間の中に閉じ込められて一瞬考えたことが、あった。

 その力が怖いわけではない。すべてを拒絶する絶界などより余程傲慢に裡と外とを区別する、むしろ差別して味方だけを引き入れるあのカミの如くの独り善がりな力は、しかし俺のことは暖かく包み入れ、この命を守ってくれたのだから。彼が世界を創るというのならば、少なくとも拒絶されてはいない程度の信頼と立ち位置を手に入れて、それを恐れるほど俺は世界を知っている話でもなかったし、それを誇れるほど世界を知らないわけでもなかった。

 ただ俺が恐れているのは、やはり細波さんと同じく、全く読めない奴のところに行くこと、それだけだったのだが、しかし。

 たった一度だけ、背中を見せたあれがやはり、彼を連れ去ってしまったのではないかと、ほんの少し後悔しているためかもしれなかった。

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