金メッキの天使の矢

Novel

 しかしだ、人の心なんか読めるが、人の心なんか読めなくても、見えてくるものは当然あるのである。ましてやそのように生まれてきたアヤカシ混じりの閃ならば。

 墨村良守、雪村時音、墨村繁守、雪村時子。

 閃の手にしたメモ帳には四つの名が書いてある。いずれも間流結界術の正当後継者の名であり、閃が調査対象としている相手の名でもある。有り体に言えば見張っている相手である。何故かその相手と隣り合って昼寝などをしている身ではあるのだが、決して決して、馴れ合っているわけではなく、自分は任務を遂行してコイツを見張っているだけなのだと、言い聞かせて閃は顔を傾ける。良守のほうに。

 暢気な寝顔だ。疑うことも知らない顔だ。むしろ疑ってほしい、なぜ監視対象にここまで信用されなければならないのか。否、信用とも違うかもしれない、信頼を得たわけでは決してないからだ。

 人に信用を取り付ける以前に、良守は人を受け入れる。ただそれだけのことだった。結界師の持つ能力とは裏腹に、良守は何かに壁を作って何かを遠ざけるということをしなかった。否、方法も知らないし、知っていたとしても思いつきもしないようだった。

 要は莫迦なのだ。閃は切り捨てる。あまりにも平和ボケした精神、自分と他人との区別の付かないお子様、赤ん坊のように他人を受け入れる自我。

 その強大なチカラと歪んだ運命の中ではあまりに異質な純粋さ。

 ふと思い付いて、メモに矢印を書き入れてみた。どうせ良守は隣で誰が何をしようと起きはすまい、特に見られて困るものではないし。と言い訳て書き込む。莫迦の隣に居ると莫迦が移ってしまうのだ、仕方がないではないか。莫迦になれる自分の今の違和感に、まだ閃は気付いていない。

 墨村良守←雪村時音、墨村繁守→雪村時子。

 さすがに相合い傘はやめておいた。というより相合い傘にはならんな、と訂正する。矢印は一方通行だ。いつだって相手からはもっと大きな矢印が出ているから、些細な、そして真摯な、優しい矢印など、大概に於いて無意味なのだ。

 良守も時子も常に常に大きな矢印を四方八方に出していて、それはもう本当にその強大なチカラのあるだけひょっとしたら無尽蔵にあるだけ大きな矢印を出し続けていて、それは本当に愛情と呼べる矢印なのだろうとは思うのだがしかし、それはあまりに強大なチカラが故に時として暴力にしかならないのだった。

 要するに一人で全部背負ってしまうのだ。時音や繁守の些細な、そして真摯な心配をなどまるで存在もしないかのようにおおきなおおきな愛情で無視して、一人で突っ走って一人で怪我をして一人で解決して、しかし一人で全部済ませられてしまうというのが、そう、一番の問題なのだ。

 時音に怪我させたくねー。いつだったか良守がそんなようなことを言ったような気がする。ひょっとしたら無意識に読んでしまっただけかもしれない。ではおまえに怪我をさせたくない自分は、いやいやおまえに怪我をさせたくない短パン女の意志はどうなるのだと、だが言っても通じまいと、既にして閃は半ば諦めている。諦めている、何しろ閃も心を砕いている。一人で突っ走る良守に、厭と言うほど腹を立てている。腹を立てて、諦めて、そして突っ走る背中を追っている。伝わることがないのならば、せめて力ずくでも。

 力ずくでも? 止める力があるというのか、この非力な自分に! この点に関してだけは素直に時音を賞賛している、止められない己の無力さを痛感しても痛感しても、折れることなく止め続けようとする彼女の強さに。

 しかしその無力感は、昔、時音を守れなかった良守が幼い心に刻みつけた疵だ。今も尚癒えることなく、チカラと共に成長し続け、良守を浸食し続けている。

 異形だ。能力も生活も状況も精神も、そんなにも異形なのに良守は、なのにあまりにも莫迦なのだ。あまりにも戦いを知らぬ一般人のように暢気なのだ。許されることなのか、それが許されることなのか。

 気付けば手首を握られていた。どしたの、と顔を覗き込まれた。

「……起きてたのかよ」

「今起きた。ていうか影宮、……」

「なに……わ」

「いや、何って俺の台詞」

 これ、何。良守に掴まれた手首の先には手帳。仕方がないではないか、莫迦の隣に居ると莫迦が移ってしまうのだ。特に見られて困るものではないし。

 むしろ、見ろ。おまえは見なきゃならない、おまえに向けられる、些細で、そして真摯な、しかし脆弱な、あまりにも無力な、切なる祈りを。

 しかしそれは、本当にあまりにも無力な願いなのだった。違う違うありえねー、と真っ赤になって否定する幼い子供の前では。

「えっとな、うーんとな……うーん、ま、おまえならいっか。こう」

 訂正された。

「おまえ……」

「内緒だぞ」

 墨村良守→雪村時音。そんな風に訂正された矢印、ささやかで憐れな心配をあっさりと覆す、ささやかで憐れな恋心。

 異形だらけの中で、まるでそこだけが異形ではないかのような、幼い恋。

 だからこそ異形なのだ、と良守は気付けない、気付けないその異形をこそ皆は心配しているというのに、しかし良守にとってそれはあまりにも健全で、誰も、それこそ時音でさえ付け入ることのできないほどに完璧な健全なのであった。

 普通すぎて脱力する。当然閃は知っていた、心など読まなくても、矢印など訂正されずとも、そんなことは知っていた。

 ただ知りたくなかっただけだった。そんな風に普通に生まれてはきていないはずの、その普通さがあまりに異形で歪で美しかったために。

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