遠忌祭

Novel

 ちょっとそれはどうなの、と癇に触った。亜紀人の頭を引き寄せる仕草、亜紀人の事情を盾にして自分を語る言葉、すべてに腹が立った。

「俺一人を残して、皆が共有の時間を過ごしてきたのを実感したときが、だ」

 ああそうですか、へぇそうですか、それに対して切歯扼腕してたんですか、ふーん。何やら感じ入っているらしいカズを尻目に、俺は大いに拗ねていた。

 小五の夏。臨海学校から帰ってきた俺達を迎えたイッキの透徹した無表情は、てっきりお土産を忘れたせいだと思っていた。いやそりゃそんなもん忘れた俺達も悪いとは思うが、当時だってそんなものを必要とする仲だとは思ってはいなかったのだ、少なくとも俺は。ところがだ。

 ところが。土産どころか、もっともっと重いものを求めていたのだ、コイツは。と思い知った瞬間だった。

 何たる傲慢。はらわたが煮えくり返る。絶対の時間の共有、自由の束縛、感情の剥奪。イッキの求めているところの他者との関係は、どう考えても友情の範疇ではない。普通に友情を結んでいけば、相手と関係する時間には空白が生じて当然なのだ、それを寂しいなどと悔しいなどと。

 相手との共有の時間を持つということは、実に身勝手に相手の時間を奪い取るという行為であり、同時に実に献身的に自分の時間を相手に捧げるという行為でもあるのだ。イッキは俺達との時間に対する献身よりも梨花姉に対する恩義を選択しただけであり、それはイッキとの共有の時間に対する献身よりも学校の行事に対する献身を選択した俺達と何ら変わらない。ただ捧げた対象が異なっていただけだ。犠牲にしたものの違いだ。両方を奪いたかったなどと、それはどう考えても無理なのに。

 いやそりゃあ寂しいでしょうよ、俺達も寂しかったんだから。おまえとそいつらが俺達を差し置いてチームの将来について語り合っていたと知ったときにはな、そりゃあな。寂しかったよ。

 淋しかったよ。

 だけどそれは仕方のないことだった。仕方ないことだと思った。イッキが俺達よりも亜紀人と咢を優先させるなんてことは良くわかっていたし、その理由も厭というほど理解できていたし、物事に優先順位を付けるなんてのは当り前でむしろやらなきゃならないことで、俺だってイッキ達より妹を優先させているし、それはどんなに自分が下にされて寂しくたって、他人がとやかく言えることではないのだ。それを。

 それをよりによって、亜紀人の事情をダシにして、よりによって今、話すとは。

 わかるのだ。それは当時のイッキの瑕が、亜紀人と咢という格好の鏡を得て、今となって顕在化した結果なのだとは、わかってはいるのだ。だがわかってはいても腹は立つ。つい先日、それをおまえとそいつらによって味わわされた俺達に、おまえが言うのか、それを今。

 あまりに憐れだった。自分達とイッキの間の、友情だと信じていたもののあまりにもの軽さが。そうして、その軽さに堪えられなかったイッキが。

 相手の時間を奪い尽くしたいなどと土台無理な話なのだ、それはイッキとてわかっていたであろうし、諦めてもいたことだろう。だが現れてしまったのだ、それをイッキに許す存在が。それが故の今になっての表出だろうとは思う。彼等はどこまでも許すだろう、イッキが彼等の時間を奪うことを、まるで淋しさも感じる暇がないほどそばに居ることを、一切の隙間を埋めてイッキに時間を与えることを、たとえ彼等はイッキの時間を奪えなかったとしても。

 イッキがわかっていないのは、それを亜紀人と咢が許している理由だ、それを友情の範疇で俺達にも適用できると思って勝手に失望しているだろう点だ。

 亜紀人がそれを許す理由は至って簡単だった、イッキの返せない感情の故にだった。イッキがその上に胡座を掻いて甘えようとも、亜紀人は何一つ文句も言えないだろうほどに、イッキはそれに関して彼に何も返せてはいないのだ、だからだ。だからだろう、と思う、それは俺の推測にしか過ぎなかったが、そう思い亜紀人には同情していた。まるで何にも気付いていないかのような体でイッキは亜紀人のそれを甘受している。

 イッキのすべてを肯定して、イッキの言動を無条件に支持して、イッキの決定の正しさを心から信じて、いるかのような体で亜紀人はイッキから返されるものを、求めないままで求めないが故に微笑んでいる、ことにイッキは気付かない、かのような振りを或いはしている。気付いてしまったら受け取れないものを失うことを恐れている。

 そうして咢はと言えば、本当に双方の何にも気付いていないかのようだ、否、むしろ初めから知らない、のか。あれは亜紀人よりも更に何も与えられたことのない生き物なのだと感じる。

 この世でまるで亜紀人しか知らない、そんな生き物が初めて出逢った他人がイッキだっただけの話だ。何も知らないから何の不自然も感じない、あれにとっての他人の区別は亜紀人か亜紀人じゃないか、延いては敵か敵じゃないか、だけだ。自分にも増して誰も信じてはいない体でただ生きるしか知らない有様の生き物を見付けて、イッキが何を感じたかなんて考えると吐き気がする。亜紀人がイッキの理解してもらいたいイッキを母性幻想のように無条件に肯定するならば、咢はイッキがひた隠しにしてきた本当は他人より誰より守らなきゃならなかった幼いイッキ自身の姿を露呈させる。学校で親無し子とからかわれて家に帰りたくないと公園で時間を潰していた、イッキのいとけない淋しさは今、まるで咢に忠実に再現されている。それはイッキが守れなかったイッキだった。

 だから鏡なのだ。しかもえらくイッキにとって都合の良い鏡。咢を構うことで奴は自身の中で泣く子供を癒し、そんな今の自分を亜紀人にあまねく容認され、今現在咢ではない自分に安堵するのだ。……本当は、今も咢と何も変わらないくせに。

 胸糞悪い。彼等の好意と無知の上に寝そべって、……ああ、あまりにも気分が悪いのは、それで自分達との今迄の長い時間を否定されているかのような気分だからだ。結局俺達が付き合ってきた年月は、イッキを何も癒してはいなかったのだと、思い知らされるのが厭なだけだ。

 癒す? ここには彼等以外、イッキを裏切ったことのない者は居ないのに?

 思わず笑った。声を上げてわらう。皆が呆れたように言う、

「オニギリ、なーに憶い出し笑いしてんだヨ」

と、そんなからかい混じりの談笑の中でも亜紀人は、普段は笑みを絶やさないくせにこんなときばかり無表情に咢のような表情で、凝っと俺を見ている。何かを探るように疑るように俺を見ている。

 ああそうだな、おまえは多分俺が思うよりも色んなことに気付いてて奴と同じように奴を利用してるんだろうよ、じゃなかったら余程不幸せに馴れすぎて色んな淋しさが麻痺してるんだろうよ、イッキなんかのそばに居られるなんて。

 くそったれ、イッキなどとっとと二人に落ちてしまえ。そう思う。恋仲にでも何にでもなって今よりもっと時間も身体もそれ以外もすべて奪い尽くして、それでも得られないものがある現実にイッキはせいぜい泣き惑うがいい。自分よりも孤独な子供の闇にせいぜい自分を映して、自分が散々他人に与えて続けてきた虚空の正体を目の当たりにして嘆くがいい。そう思っている。そうしてすべてに幻滅してやっと自分を見詰めればいい。

 多分世界の何処にもイッキの望むものはない、それだけが彼を救うだろうことを祈るくらいはせめて許して。

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