真っ白なウェディングドレス着て好きな人に抱き締めてもらいたいの。
と、言っていた亜紀人は今、嫁ぐわけではないので願いどおりということでもないのだろうが、とにもかくにも、衣装だけは望みどおりの真っ白なウェディングドレスに身を包み、幸せそうに笑っている。どうせ樹に見せられるわけでもないのに、今回は林檎の引き立て役と決まっているのに、何をそんな風に笑っているのだか、と咢は悪態を吐くが、本当はそんな他者との関係性など、いつの亜紀人にも何も関係はないのだと、わかってもいるのだ。
ウェディングドレスの白は、貴方の色に染まります、という意味なのだという。しかし、咢は思うのだ、亜紀人はその本質が白であるが故に、自分のために白を着るのだ、と。それは決して何者にも染まらぬ孤高の白だ。彼のただひとりの肉親が、彼に課した孤独の業だ。
海人は確かに亜紀人を愛していた。そのくらいは、鈍いと自覚ある咢ですらも、感知できるところのものであったのだ。だがしかし、そのやり方はひどく嫌悪をもよおす類のもので、それに関して、咢は今も海人を憎んでいる。一生涯、許すことはないと思っている。
某飛靴新法が制定され、本格的に特殊飛行靴暴走対策室の設立が検討されていた時期だったと記憶している。会議の場に、何を思ったか海人は、いつも対エア・トレックスペシャルチームで陣頭指揮を執っていた咢ではなく、滑れなくなった、謂わば仕事の現場には顔も出したくないのだろう亜紀人のほうを連れてゆき、その帰り、宛がわれた休眠用のマンションで、亜紀人を犯し、呪いを掛けたのだ。
おまえは汚れた、おまえは汚い、汚いおまえは誰にも愛してもらえない、汚いおまえは誰をも愛することは許されない。
亜紀人がその言葉のすべてを信じたというわけでもないだろうが、いずれにしろ結果は同じであった。海人の目論見は成功している。あの日から、亜紀人は時を止めている。
だから白なのだ、と咢は、亜紀人の真白い衣装を眉をひそめて見遣るのだ。それは、亜紀人がなくしたと思っている象徴だった。真っ白なまま保存されているネオテニィの、それは淋しい憧憬なのだった。今は右目に掛かる、この眼帯の白も、多分に同じ理由なのだろう。
樹に出逢って、あの真っ黒な鴉に憧れて、それは治ったものかとも思わないでもなかったのだが、退院後、遅れて一人行われた身体検査では、やはりただの一ミリメートルも伸びてはおらず、体重も増えてはおらず、咢は困惑して付き添ってきた樹を見上げたものだったが、その視線は記憶にあるよりも更に上を向いているようで、ああ彼は伸びているのだと、思い迂闊にも樹の前で俯いた。
この姿で、白い花嫁衣装で、本当は樹の前で俯いてしまえば良いと咢は思うのだ。同情でも惹けば樹のこと、抱き締めるくらいはしてもらえると思うのに、亜紀人はそれもしない。恐らく亜紀人の言う好きな人は、あくまでも観念的なもので、実体の伴わない、むしろ伴ってはならない、亜紀人の夢なのだろうと咢は思っている。それは叶わない夢なのだと、思い込むことで自分を支えている。叶ってしまったとしたら、汚くなんかないよと抱き締められてしまったら、ならば犯され続けて汚され続けた彼は一体何だったのだと、あの行為に何の意味があったのかと、そういうことになってしまうのだろう。それは亜紀人自身が、白く在れなかった自分をしてやっと自身の白を保っているのだと、気付いていればこそだった。
かつて抱き締めてもらいたかった好きな人とやらは、本当は海人だったろうと咢は思っている。それはもしかしたら叶ったかもしれない未来だったのだ、だが、本当は海人も白なのだろう、その白さをして、彼は亜紀人の変化を許せなかったのだ。
咢の誕生を許せなかったのだ。
自分が居なければ亜紀人の願いは叶っていたのだろうか、と膝を抱えた咢の視界には、これまた白いブーケに伸ばされた、亜紀人のゆび。あのゆびが、つい先日縋っていたのは、他でもない兄だった。
ふるえる指で、咢は花束を抱き締めた。