『ゲームを語ろう』の沢月耀様に送ろうと書き始めたメールの内容が以下になる(※1)。
はじめまして、たちもりと申します。
先日貴サイトに辿り着きまして、楽しく拝見させて頂きました。
わたし自身はゲームをそこまでやるほうではないのですが、
それでもプレイしたゲームについてはできるだけ考えますし、
ゲームをするということがどういうことなのか、
については、基本的に物語が好きな身として、
またゲームのではありませんが開発者サイドの人間として、
非常に興味を抱いておりました。
ですが、ゲーム評論のサイトは多々ありますが、
ゲームをするプレイヤの側を言及したページの少ないのに
違和感を抱いておりましたところ、
沢月様のサイトを見付け、喜んでおります。
納得できるところも新しく得られるところも多々あり、
色々と興味深く読むことができました、有難う御座居ます。
今回、メールを差し上げる気になりましたのは、
ゼノサーガの評論に対して若干気になったことが御座居まして、
いえ、沢月様の論文の内容が云々というよりも、
わたしがあのゲームで気になって堪らなかった或る箇所について、
逆に全く論じられていなかったことが気になりまして、
批判というより、もしお時間が御座居ましたら
お答えを頂けないでしょうか、という意味合いで
メールを出させて頂きたく存じます。
もし御迷惑でしたら即刻削除くださって構いません。
ただ、ICOの感想を読んで、もしかしたら沢月様なら
お答え頂けるかと思った次第で御座居ます。
実はゼノサーガですが、わたしは1日で手が止まっております。
シオンが自分の部屋に辿り着いた箇所で、
お恥ずかしい話ですが、ボロボロ泣き出してしまって、
続けられなくなっております。
よって、以下の感想がゼノサーガ全体に対するものではないと、
初めに御理解頂けましたら幸いです。
これからもし続けたとしたら違う面も出てくるのかもしれません。
ただ、今迄のプレイ内では、これから述べることしか
わたしには感じることができなかった、という話です。
ゲームが今尚、ほぼ男性制作者の手によって生み出され、
男性プレイヤを主にターゲットとしていることは承知しております。
これが、例えば美少女ゲームであったり、
または従来のRPGのような中世を模したゲームであったのならば、
わたしもここまで過剰反応することは御座居ませんでした。
たた問題は、ゼノサーガが非常に地球の未来に近い形で
世界観を構成しているという点でした。
あれが未来なのだと、明ら様にわかる描写が為されていました。
それでも、シオンもコスモスも、
現在の男性の理想とされるような格好(と見える)をしていました。
艦に乗り込んでいた軍上層部が男性だったことからも、
女性乗組員達の服装が彼女達の意志で決定したものには見えません。
敵が襲ってくるかもしれない状況で、身を守ってくれる箇所も少ない
ミニ、しかも非常に動きにくいタイトスカート。
コスモスに至っては、戦闘用兵器らしいのに
無用に可愛らしい顔と邪魔な胸と、これまた露出の激しい服と
(戦場でのダッチワイフ機能も持たせようとしていたのでしたら
話は別ですが、それは今迄では読み取れませんでした。
寧ろその目的がなくあの格好というほうに病理を感じます)。
まぁそれだけなら、わたしも笑って済ませられたでしょう。
女だって、女の子キャラが可愛い格好をしていれば嬉しいです。
ですが、これは未来で、しかもゲームでした。
そんな可愛い格好をした女の子達は、ゲーム内で
浅はかと蔑まれ、女子供と怒鳴られます。
現在フェミニズムがこれだけ頑張っていても未来で尚、
シオンのようにエリートと評されて然るべき立場に立って尚、
女であるということだけで無力というレッテルを、
このゲームの世界観は女に貼っています。
そして何より、「本当に女子供であるかのような」
男性キャラに比べてあまりに幼い顔と幼い体付き。
こうなるともう、理詰めであの世界観を生み出したというより、
制作者の趣味であのゲームになったのだとしか思えません。
こうなるだろう、という予測ではなく、
こうなってほしい、という無邪気な願望にわたしには見えたのです
(そしてプレイヤの願望からその方が売れるだろうという予測……
が、あったのならまだマシなのですが)。
未来にまで絶望しろと言われているような感じでした。
少女は、年が少ないと書かれる少年に比べ、女が少ないと書かれます。
年を取ったとしても、人という括りではなく女とされます。
その言葉に大概は疑問も抱かれません。
シオンたち少女が、そしてわたしたち(少女という年でもありませんが)
がどれほど頑張ったとしても、未来は変わらないのだと。
制作者が、無意識にもそう思っているのだろうと感じました
(或いは少女の存在にすら存知せぬといった感で)。
こんなゲームで、現在のわたしたちの絶望を存続させる
機構を強化させるつもりなのだろうか、と。
男性自身も、女を守るべき強い男というレッテルを負ったまま。
それなのに、このゲームはその虐げられる女キャラが主人公でした。
ゲームが物語るための機構だとは言っても、
男性プレイヤにとっての女主人公は、あくまで移入よりも先に
「プレイヤの見る対象」となってしまうことは友人に聞きましが、
ならば女にとっては逆に感情移入乃至物語移入の対象たり得る
ということになります。
事実、そうでした。
ゲームというメディアであったが故に、シオンが受けた辱めは、
「たとえ彼女がそれを屈辱と感じていなかったとしても」、
わたしの中で育まれ増殖し、絶望となったのです。
シオンが女主人公と言うよりは、シオンという役割を与えられて
わたしのほうが(色々な意味で)空っぽの
ゲーム内主人公にさせられた気分でした。
そのような理に適わない格好を「させられ」て、
ゲーム内男性(或いは制作者)に「見られて」、
ゲーム外(現実)だけでなく「ゲーム内でまで女子供と蔑まれる」。
しかも、物語はシオン視点でありながら、カメラは第三者視点。
幼い「自分の顔」を常に見せつけられて、
本当に自分が何もできない子供なのだと錯覚しそうになるほどです。
そう、カメラがドラクエの戦闘のような視点であったのならば、
まだ二重(三重)の視線を感じずとも済んだのかもしれません。
シオン(としてのわたし)が感じる視線は、この時点で3つあります。
1つは当然、わたしが居なくともシオンが受けるだろう
ゲーム内男性からの視線。女子供とどやされる世界。
2つ目。ゲーム内男性乃至ゲーム世界観から受ける
制作者(蓋し男性)の視線。女の子に対する期待、希望
(もっと言えば、それを受け入れてしまっている
非常に女の子らしいシオンという自分とは別の女性の存在。
彼女からの視線を入れれば4つと言っても良いが、
これはこの場合世界観に含めて良いだろうと判断しました)。
そして3つ目です。それが「他の男性プレイヤ」の視線。
カメラによってわたしがシオンを「見て」いるが故に、
わたし以外のプレイヤもシオンを「見て」いるのだと
厭でも気付かされてしまうのです。
それは無論「わたし」に対する視線ではあり得ないのですが、
ゲームに入り込むということは
(そして男性プレイヤが入り込まないということは)、
その常識をも覆します。
そして、ゲームとしての機能そのものよりも何より、
「あのゲームを当り前のこととして受け止めているプレイヤ」達の
存在(あのゲームが売れて受け入れられているという事実)を
わたしが知っているからこそ、
わたしはプレイヤ達の視線を感じるのです。
わたしが見た限り、(ゼノギアスでは女性の感想にありましたが)
フェミニズム的観点から言えば古典的で紋切り型のこの世界観を
ステレオタイプだと論じているサイトはありませんでした。
寧ろ「斬新で緻密な」世界観に対する賛辞で溢れていました。
恐怖せざるを得ません。
あの世界観に違和感を抱かないプレイヤの存在こそが、
その無邪気な無関心さこそが、
プレイヤの大半もあの未来を望んでいるのだと、
妄執にも近くわたしにそう錯覚させるのです。
そしてそれを妄想とは言い切れない土壌が現実にはあります。
そもそもの土壌がなかったら、
わたしが「シオン以上に」あの世界に恐怖することもなく、
制作者のみならずゲーム外他プレイヤの
こうであれというセクシャリティを感じることもなかった。
余談ですが、FF7が売れたときの恐怖にも似ています。
何故エンディング後めでたしめでたしじゃなかったのか、
何故古代種とヒトの娘は死ななければならなかったのか、
そして何故主人公達も敵対する組織も
テロリストでなければならなかったのか。
あのゲームは売れることが前提だったからこそ、
プレイヤに考えさせるためにスクウェアがあの形にしたのだと
わたしは思っています
(FF8も、出番の少ないゲーム内ゲーム主人公を敢えて
批判を受けながらももう1人の主人公と言い切ることによって、
そして敢えて主人公外の物語を明確にしなかったことによって、
プレイヤに啓蒙を促していたと思われますし)。
が、あの物語がテロリストの物語であるということを
言及している人は殆ど居なかった。
居なかったことに対する不安、
面白いという理由だけで世間に受け入れられてしまったことに対する
あの恐怖に、ゼノサーガのこれはとてもよく似ているのです。
更に、今回はあのときとは違う(と少なくともわたしは感じる)、
制作者側までもの無自覚、現在社会の無邪気な受容。
怒りも呆れも通り越して、ただただ怖かった。
沢月様が日記に書いてらっしゃいました。
「女の子が閉じ込められていたら、助け出して手をつないで
一緒に脱出する…っていうのは、
男の子にとっては当然のことなんだろうか…」(※2)
と。
ICOの感想ですね。
この一文がなかったら、
わたしがこのメールを出すこともなかったと存じます。
もしかしたら沢月様は全く別の意味合いで
お書きになったのかもしれませんが、少なくともわたしは
男の子も(沢月様も)解放されたがっているのだと感じました。
ICOをプレイしていないので何とも言えませんが、(※3)
その女の子が出たかったにしろ出たくなかったにしろ、(※4)
わたしたちがもし同じ立場だったとしたら、
手をボロボロにしても自分で壁に穴を開けようとします。
現在の社会は、穴の開きかけた状態と言って良いと思います。
少なくとも少女側から見れば、
昔よりはまだ穴から細い希望の光の漏れだしている状態なのです。
それでも男の子達は、その穴を埋めようとする。
埋めるならまだしも、穴が見えていないかのような振る舞いをする。
穴のむこうに見える男の子達は、
自分達も壁に囲まれて生きているように見えるのに。
そう、見えるのです。
壁を突き破っても、本当はまた壁に囲まれた世界かもしれません。
それでも、破ろうとする営みにこそ意味があるのだと思います。
話がずれました。
沢月様にお訊きしたかったのは、この点です。
その小さな穴は、ゼノサーガに於ては汚く塞がれているように
わたしには見えましたが、その糊塗された跡が
男の方にはほんの少しでも見えることはないのでしょうか。
いえ、寧ろ見たいとは思わないものなのでしょうか。
穴を開けてみたいとは思わないものなのでしょうか。
開けたくとも見えないものなのでしょうか。
以上です。
本来ならば最後までプレイしてから語るのが筋だとは存じます。
この後、どんでん返しがあるのかもしれないですし、
恐らくは壮大で重厚な物語の世界も広がっていることでしょう。
ですが、ゼノギアスもプレイしていないわたしには、
この物語に対する信頼が一切御座居ません
(否、「エリィには帰るべき家になってもらいたいんだ」という
台詞があることを聞いていて、そして実際エリィがただ
フェイを送り出すに留まったというエピソードを知り、
寧ろこの点に関してはこのシリーズ? に対して
不信感すら抱いておりました)。
あまりにも色々なものを奪い続けられるこのゲームを続けるには、
続けたことによる未来に対する期待が本当に感じられません。
ゲーム内未来の物語が、あれですから。
そしてまた、気に食わなければ批判などせず、
黙していたほうがファンの方に失礼がないことも存じております。
単に好きでない程度のゲームでしたら当然そうしました。
ですが、冗談でなく少女達の生死に関わる、
はっきり言えばわたしの生死に関わる問題を、
放り出してはおけませんでした。
壮大な物語がどれほど奥に拡がっていようとも、
このゲームがわたしに押しつけたものは、度し難い閉塞感。
これに少しでも傷を付けられなければ、穴を開けられなければ、
あのゲームが本当の未来になってしまうのならば、
正直、死んだ方がマシといった気分で御座居ます。
ゲームはここまで来た、と言って喜んで良いものなのでしょうか。
ここまで人を追い詰めることのできるゲームができたことに、
クリエイタは満足を覚えるものでしょうか。
制作者としてのわたしには、とんでもないことと思えます。
文学の世界のように、作品を批評する土台のできていない
このゲームの市場で、プレイヤに批評か(※5)としての成長を求める
最たるゲームとでも言えそうなほど複雑で壮大なこの物語が、
実はとてもプレイヤを子供だと莫迦にしている、
(未完)
また、昔、日記に書こうとして諦めた内容が以下になる(※6)。
■これはゼノサーガを1日しかやっていない状態での感想です。
よってゲーム全体の感想ではあり得ません。
■ネットでゼノサーガの主人公、シオンを「珍しい女性の主人公」と評していたところがあった。これを読んだときに感じた、吐気を伴った違和感。わたしにとっては、わたしがプレイしていてさえ、主人公を「男」にしか感じなかったためだ。
ゲームがプレイヤの介在を必要とするメディアであるという観点から考えても、そしてそこに少なからず作者の意図が見え隠れするという観点から考えても、それが男性制作者によって男性プレイヤのために作られているとしかわたしには見えなかったのだから、このゲームの主人公が、女であるわたしがプレイしていようとも、そこには強烈な男の視点しか感じられなかったのだ。男が可愛い女の子を「見て」、思いのままに「動かして」、それを「男に手を取られてなぞらされてる」としか、わたしには思うことができなかった。ひどく気持ちが悪かった。ここまで深い断絶なのか、と涙が出た。
諦めてしまえば、面白いゲームなのでしょう、きっと。ゲームとしての出来はとても良いものなのでしょう、きっと。それでも、涙を流し続けながら続ける理由というものが、わたしには見付かりませんでした。涙で画面さえ見えない状態で、ゲームを続けたって面白いはずもありませんでした。クリアできるはずもありませんでした。
シオンが可哀相だった。とてもとても可哀相だった。シオンは好きでした、どんなに男に利用される空っぽの身体でも、空っぽにさせられる痛みがわかるから。コスモスが好きでした。無用の可愛い顔と邪魔な胸と傷付けられやすい肌を露出した服を与えられて、気付くこともできない純粋さが子供を思わせました。わたしは女子供というカテゴリは嫌いですが、そこに嵌められてしまう哀しみは無条件に愛しています。
彼女達が、打算的であったならば、男に利用されないと生きてゆけないあの世界で、現在と同じ旧態然としたあの社会で、利用されることをよしとしていたのならば、まだわたしはあのゲームに救われたかもしれません。それでも自らの意志で、操られる主人公を演じていたのならば。だけど違うのです。空っぽの女の子を好きなのはあくまでも「ゲームを作った/ゲームをプレイする」男の子であって、彼女達自身じゃない。
シオンの姿は、わたしたち女の子だった。しかも現在だけではない、未来のあんな先までそうしていろ、と言ったようなものだった、あのゲームは。またあれが、地球の過去を模したゲームならば、従来のRPGにありがちな、女主人公の不自然な格好にも目を瞑れた。だけどあれは、非常に未来に近い形で提示された世界なのだ。未来にまで、わたしたちは絶望しなくてはならないのか。あんなゲームで、絶望を存続させる機構を作り上げるつもりなのか、男性は。自身達も、女を守る強い男性という虚像を強要されながら。
花の名前を与えられた彼女達(※7)。やはり花が枯れるように死ななければならないのだろうか、わたしたちは。生きてほしい。どうか、生きていてほしい、踏みにじられても、刈り取られても。わたしが見るから、もうちょっと頑張ってあなたたちをプレイし続けるから。
ああ、理由ができた。
そして結局これらを出せなかったところに、わたしの病理がある。
敢えて当時の激情に走ったままの文章を載せてみた。
フェミニズムは外から語らないと外に認めてはもらえないのに、外から語ってしまうと殆ど何も伝えられないというのがジレンマである。
わたしの文章はどうあっても内からの言葉だけにはなれないのも知ってはいるが、かといって外からだけ(実際には無理でもできうる限り)書くというのもまた、意味をなくすという観点からも書くことができないのである。
痛みをオブラートで包んで恐る恐る提示する、そんなことしかわたしにはできない。
だからわたしはフェミニストにもなれない。花の名を「抱かせられた」だけではなく、自ら「抱き」、囲い込み、周辺化し、己を守る、弱い弱い少女達。
……プレイしてみよう。
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