男が血塗れで倒れている。既にして息はない。ただの屍である。
扉の向こうから足音が聞こえる。どうやら廊下を駆けているようだ。やがて、
がしゃ、がしゃがしゃ……ばき、どがっ!
ノブを回す音のあと、盛大な破壊音を伴って扉が破られる。中に入ってきたのは浦飯幽助、何でも屋探偵である。強大な力を持つ彼のこと、大した力も出さずに扉を破ったのであろう。
「げ」
部屋に入ってくるなり上げた彼の第一声がそれであった。
「まさかと思ったけど、本当に殺されまったのかよ」
そう呟くと、倒れている男に近付き、脈を確かめた。そのまま隙なく辺りを見回す。
「鍵……」
浦飯が見付けたのは、この部屋の唯一の鍵であった。書斎の奥に据えられたデスクの下に転がっている、小さな銀色の鍵。
「うらめしさ……うっ」
後から追ってきたのだろう、この屋敷の執事が主人の屍を見て口許を押さえる。
「救急車は良い、警察を呼んでくれ」
「そんな……旦那様」
「執事さん、とにかく今は」
「は、はい……」
浦飯の指示の下、よろめきながらも執事は電話を掛けに、部屋を出て行った。それを見届けてから、彼は呟く。
「鍵はたったひとつだけ。その鍵は部屋の中。扉には鍵か掛かっていた。窓はない。さて……」
「っつーことで依頼人守れなかったんだけどさ、密室殺人なんておまえ好きそーかなーって」
「どうしてオレが好きってことになるんです」
南野家である。ホームズ君はワトソン君に調書を渡して、珈琲の湯気など吹いている。
「暗号とかヤヤコシーの好きじゃん、元盗賊」
「暗号はね、そりゃあね。でも密室だなんて定義のあやふやなものは抜け道が多すぎて」
「あやふや?」
「少なくとも今回の事件、あなたにとっては密室じゃなかったでしょ。幽体になって忍び込んで霊丸打てば一発で殺せるじゃないですか」
「おい」
「オレだったらこの身体のままでも殺せますよ。空気の出入りする隙間はあるんだから、頭から血を流して死ぬような検死でも出てこない細菌兵器を作って、部屋に充満させればハイ、終わり」
「あーハイハイ、何となく曖昧の意味はわかったけど、普通の人間レベルでお願いします蔵馬さん」
「鍵は本当にたったひとつで、しかも落ちてた鍵も間違いなくその部屋のものだったんですね?」
「おう」
「糸ピントリックは」
「電子キィ」
「扉に鍵は間違いなく掛かってたんですね?」
「あれでもし開いてたんだとしたら、オレの力とタメ張る奴が向こうから押さえてたんだなぁ」
「それ以前にノブが壊れますよ。念のため、当然隠し通路なんかもなかったんですよね?」
「飛影にまで手伝わせちまったい」
「それで昨日こっちに来てたんですね。検死時刻と扉の閉まっていた時間にズレは?」
「おまえンとこにも来たのかアイツ。おまえほどの薬作れる奴が居んなら、そのくれー簡単にズラせっかもしれねぇけど」
「最近焼プリンにハマってるらしくて。だったら単純に考えたほうが良いんじゃないんですか?」
「もしかして作ってやったのかオマエ。わかったのか?」
蔵馬はニコリと笑うと、調書をひらひらと振ってからコナン君宜しく顎に手を掛け、立ち上がった。
「これ、変だと思いませんでしたか?」
「へ?」
「『男が血塗れで倒れている』。幽助、この情景を見ただけで『ただの屍である』なんて、あなた言えます?」
「……あれ?」
「言えなかったから、脈を確かめたんですよね。他にも『中に入ってきた』とか。初めから中に居た人がいた、ということがわかりますよね、だったら鍵も何も不思議じゃない」
「ってちょっと待て、だってそりゃ」
「目の前に居たって、そこでものを書いてたって、筆記者としてのワトソンなら無視されるのが小説の基本規則ですからね。実に簡単な叙述トリックで面白くなかったんですが、ねぇ? コレを書いたさん?」
白い指が突き付けられた。