1.5話 黄泉さんと蔵馬さん

「ちょっと待て」

「待たない」

「いや待ってくれ頼む。蔵馬、おまえオレと同年代じゃないのか?」

「妖怪としてはそうなるが?」

「……その前に三千年以上?」

「そう。だが実質はおまえと同年代で良いと思うぞ、その前は所謂自我のない胎児のような状態だったし」

「……妖狐族とは皆そうなのか? ならば小兎なんかももしかしてオレより歳上だったりするのか?」

「彼女は狸の妖狐だがな。狐も狸も三百年生きれば取り敢えず妖狐になるとは言われている。ただこの生きているという状態が、どんな状態なのか誰にも言えなくてな……」

「どういう意味だ?」

「多分オレや小兎は昔、動物だったんだろう。だが、多分、としか言えない。動物だろうというのはあくまでも狐狸が妖狐になるという民間伝承からの推測だ。動物の意識と妖怪の意識とが同じでないせいか知らんが、動物の自分は、もし居たのだとしても憶い出せん。つまり、動物としての自分が居たと明言できる妖狐は存在しない。妖狐となってしまうと、動物としての自分との繋がりを証明できんということだ。おまえが受精卵の自分と今の自分との同一性を証明できないのと同じだ。しかし受精卵の場合は、少なくとも他人が同一性を証明できる、できているように錯覚できるだけの肉体の連続性はある。しかし妖狐の場合、動物のままで化けるものは確かに観測されているが、それが妖狐になるのかどうか、他者として観察し、証明できた者も居らん。つまり誰にも、化ける動物と妖狐の関連性は言えない。ここまでは良いな」

「ああ」

「通常だったら狐にしろ狸にしろ数十年で寿命がくる。しかし妖狐となる狐狸は、ではその動物の肉体のままで三百年を生きているのか? それとも肉体を捨ててから三百年以上を生きるのか? オレの妖狐としての記憶は、既に肉体のない状態からしか観測できない。つまり今のオレがアクセスできる最古の記憶が、既に肉体のない妖狐の状態だったということだ。その前に果して肉体を持って三百年以上生きていたのかどうか、オレは知らん」

「うん? おまえは確か、人間に肉を食わされて肉を食われて云々と言っていなかったか。それは既に妖狐の時分だろう?」

「そう。肉体のない妖狐の状態で、オレの場合は四千年ほどだな、経ったあとに魔界で肉体を得て、おまえの指摘したとおりだ。オレにとっての肉体は、少なくともおまえと逢う直前の話だな。で、人間界と魔界をうろちょろしている間に、妖狐の性質を知った。出世魚と同様なのだという」

「天狐とか野狐とか良くわからんのだが」

「幾つか説があるのであちこち端折るぞ。善狐と野狐、これは人間に害を与えるか与えないか、という区分だ。野狐は所謂狐色をした動物霊だが、善狐には色として白狐、黒狐、金狐、銀狐があると言われる。が、実際には金狐玉藻のように善狐の姿を取りながらも野狐と同様の悪さをする妖狐も居るな」

「銀狐もな……」

「うむ、同じ銀狐としてそのような悪い輩が居ることは誠に遺憾だ。次。位としての妖狐の区分としては、主領、寄方、野狐がある。これは主にカミとしての狐が与える、人間に対する神託の適切さから人間が勝手に付ける区分だ。次」

「人間とは身勝手なものだな」

「オレ達と同じくらいな。つぎ、天狐、地狐、空狐、気狐、野狐。これらは妖狐の能力的な区分であると共に、生きた年数の区分でもある。天狐、或いは空狐は三千年を生きて神と一体化する妖狐と言われる。幽助の母親は、色からオレを善狐と見做し、更にオレが神の話なんかを持ち出したために天狐と判断したのだろうが、この天狐というのは肉体を持たないで天を翔ると言われていてな。だからこそ肉体を持ったオレを訝しんだんだろうが」

「ん? なら天狐以外、つまり三千年生きていない妖狐は、肉体を持っていることにならないか?」

「人間の説を信じるとそうなるな」

「……とすると、おまえは肉体のある状態で三千年生きて、更に肉体のない状態で三千年以上……四千年だったか、生きていることにならないか……?」

「そうなのかもしれん。が、オレにはわからないな、それはさっき言ったとおりだ。動物である自分と妖狐である自分の連続性を証明できないのと同様、動物霊の延長としての肉体を持った妖狐の自分と、肉体を持たないと言うのも変だがその時代からの記憶しか持たない今の妖狐との連続性は、オレには証明できん。それにオレの形態が妖狐全体に通用するということもないかもしれないしな。もしかしたら肉体を持って三千年生きる妖狐とは別に、肉体を持たずに三千年生きる妖狐も居るのかもしれんし」

「ああ、前者だったら最低六千年だし、後者だったら本当に三千年のみなのかもしれないということだな」

「まぁそうだ。しかしどちらにしろ結論は出せんな。小兎は妖怪となってから記憶しかないと言っていた。もしかしたら彼女は動物としての三百年の後にすぐ肉を持った妖狐になった例なのかもしれないが、その前の証明ができないのはオレと同様だ。オレと同様の存在だった可能性も当然あるが、記憶が突如として生まれるとはそういうことだ」

「しかし先程のおまえの言い方だと、記憶イコール自我ではないのだろう? 記憶は自我のない胎児のような状態の時点からあると言っていたな」

「今となってはそこまでアクセスできる、という意味だ。これは小兎には存在しない状態だがな。情報だけが存在する状態をして、胎児のような自我のない状態だったとオレは言っている。歴史の記憶は存在するだけでは何の意味も持たない。例えば癌陀羅シティの設計図をデータとして遠い未来にまで持ち越したとしよう、しかしその時代には既にしてそれを理解できる生命体がなかったら? 設計図は設計図のまま、何の役にも立たない。情報とは生命に利用されて初めて意味を持つ。つまりオレにとっての妖怪となる前の妖狐の状態というのは、オレの記憶でありながらもオレの記憶ではないのさ。膨大に存在するデータにアクセスする主体としてのオレが存在していなかった。オレ自身がキィを与えられて主体者に情報を手渡すためのオブジェクトだったのさ。受肉して初めて、オレはその記憶にアクセスするためのキィを持ったということだ」

「幽体離脱とはまた別なのか? あれも肉体のない状態だが、記憶も自我も当然あるだろう」

「思うに妖狐にとっての肉体のない状態、端的に言うならばカミに使役されている状態というのは、魂が存在しないのだろう。ならば妖狐にとっての魂の発生はと考えれば、情報の偏頗の飽和点としての宗教や科学のようなものではないかと考えられなくもない。キィとしての公理を構築するためには多分に偏見が必要だ」

「……正直、良くわからんが。なんだ、うむ、結局今のおまえが検索できる記憶の範囲として自我のない時代にまで及んでいるのだとしたら、今となっては結局オレと逢う前の三千年以上を記憶して生きてたことと、何ら変わりないのでは……」

「そうとも言う」

「……ジジイ」

「パパってばひどぉい」

「……。すまん、オレが悪かった。ときに蔵馬」

「なんだ」

「おまえ狐を産んでみる気ないか? オレが観測者になろう」

「……。仮にオレが子供を産めたとして、その子供が妖狐になったとして、肉体のなくなった妖狐をどうやって観測する気だ」

「……あ」

「莫迦って死んだら本当に直るのかな。黄泉、試してみる?」

「安心しろ、莫迦はきっと死んでも直らない」

「安心があるということは転生の自我連続性を信じているのか? まぁそれと同じだ、誰にも確信はできんよ、自分が何者かはな」

「存在の不連続性か。流動の不安定性に悩むよりかは莫迦なままのほうが生きやすいだろうな、おまえまで行くと悩みもなさそうだが」

「莫迦であるということは安定しているということだ。信念を持っていると言い換えても良い。オレはそういう人間、嫌いじゃない」

「……おまえ」

「何だ」

「……もしかして成長した?」