妖狐の肉体の死の謎

 つらつらと「蔵馬 死体」やら「妖狐 死体」やらで検索していたのだが(……。)、やはりわたしのほしかった「蔵馬の死体は存在しない」という情報は見当たらない。寧ろネットを泳いでいると、逆に妖狐の死体の実物が出てくる小説やら絵やらがあって驚く。

 ……蔵馬の死体って存在するのか……?

 非常に疑問で、調べていたのだが、はて。気になって妖狐と南野が別人として登場しているサイトも幾つか覗いたが、やはり「そもそもからして妖狐と南野の肉体は別個に存在している」のではないかという推察をなさっている方はいらっしゃらないようだ。

 わたしは妖狐蔵馬の死体は死んでいないと思っている。死体が死んでいないというのも変な言い方ではあるが、幽助が一度死んだ際の状態と言えばわかるだろうか。つまりは、肉体から幽体が抜けた状態である。

 ということで、これを検証してみよう。

 3巻で、蔵馬はこう言っている。「15年前、強力な追跡者にかなりの深手を負わされ、霊体の状態で人間界に逃げ込んだ」と。

 この追跡者とは、霊界特別防衛隊の舜潤であるが、彼が「何処で」「どんな状態で」妖狐蔵馬に深手を負わせたか、が問題なのである。

 蔵馬は「人間界に逃げ込んだ」と言っているのである。つまり深手を負わされたときは人間界に居なかったということになる。人間界ではないのだとしたら、霊界か魔界ということになる。

 ここで、特防隊による結界被覆について考えねばなるまい。700年ほど前、雷禅が人間界で幽助の母親に出逢った頃、まだ結界はできていなかったという。拉致の際、桑原を見て妖怪達が「何百年ぶりかの人肉」と言っていることから、300〜500年ほど前に張られたのだろうか。1000年ほど昔に自分を屠ろうとした蔵馬が暫くして人間界に拠点を移した、という噂を聞いたと黄泉は言っているのだから、蔵馬はまだ結界の張られていない暗黒期に、自然発生のひずみから人間界に来て、それ以来、魔界には戻っていないのだろうと推測される。少なくとも追われた当時は魔界には居なかったことは確実である。

 根拠としては、4つ。仙水を追って結界の前に来た際、手をふれて初めて「なるほど」と蔵馬が言ったこと、つまり結界ができて以降は、蔵馬は魔界に帰ろうとはしておらず、結界を直に見たのは初めてだったのだろうこと。蔵馬ほどの妖力の持ち主が自然発生するひずみで行き来するには、何百年か何千年かの長いスパンで起こるらしい暗黒期を待たねばならないこと(時期的に雷禅と入れ替わりだったのではないか)。仮に戻れたとして、その後も魔界に居続けたとしたら、力を付けた黄泉が蔵馬の気配を微塵も感じていなかったらしいことから齟齬が出ること。何より、魔界で蔵馬が起こした問題ならば、第一層の半分ほどしか把握していないと言った霊界がわざわざ出てゆく理由に乏しいこと、そしてそれならば、結界から出られない蔵馬を魔界に放っておけば良いだけのこと。

 つまり、15年前、蔵馬は魔界に居なかったのだ。

 となると、蔵馬が何処から「人間界に逃げ込んだ」のかという問題の答えはひとつしかない。霊界である。これで、人間界であれだけ驚異だった戸愚呂(弟)にさえ出向かなかった怠惰なお忙しい特防隊が、わざわざ蔵馬の始末に乗り出したことの説明が付く(笑)。

 となると、ここで当初の問題に戻る。蔵馬の死体など、出るはずもないことになってしまう。

 少なくとも人間界から霊界に出向く際、妖怪(幽助と飛影)であっても肉体を残して幽体離脱することは、19巻から明らかである。そう、幽体でなければ霊界には行けないのである。15年前の妖狐蔵馬とて、例外ではあるまい。彼は蓋し肉体を人間界に残して霊界に赴いたのである。

 そこで盗みを働いたのだか閻魔様を誑かそうとしたのだかは知らんが(オイ)、兎にも角にも蔵馬は霊界で、霊体の状態で深手を負わされたのである。そうして「人間に化けたりのりうつったりする力すら残っていなかった」が故に蔵馬は、人間界に戻ってきても自分の肉体にさえ戻ることができず、「仕方なくある夫婦の、生命になる寸前の受精体に憑依した」のである。

 となれば、どうなるのか。

 南野秀一の肉体とは別に、人間界には霊体の抜けた妖狐蔵馬の肉体が存在していた、ということになる。

 人格が肉体の作用であるという立場を取らない幽白に於いて、人格の座たる霊体(魂)が抜けても、たとえ他人の肉体にその霊体が入っていたとしても(ダメ松や桑原に幽助が入っていた例より)、肉体が別個に活動を続けることは周知の事実である。無論、偶には補填してやらないと「あんまり長い間魂と体が離れたまんまだと、仮死状態に近い体の方が、本当に死んじゃう」らしいが、あの蔵馬ならば幽体離脱でもして「生気を充電」していたことも考えられるし、何より何百年も摂食せずに生きることのできる妖怪の肉体に対し、人間の肉体と同じ法則が適用できるとも限らない。

 もしかしたら、今でも妖狐の肉体は人間界の何処かで生命活動を続けているのではなかろうか。

 それが、トキタダレの作用を必要とせずキレると戻ってしまう、という蔵馬の変身ではないだろうかと考えることもできる。10年ほどで妖化したらしい秀一の肉体に宿る妖力は、だが妖狐のものに比してあまりに貧弱である。あの脆弱な肉体で、強大な妖力を擁する妖狐の肉体に変化できるとは、ちと考えにくいのである。それよりは植物を召喚するように、現存する妖狐の肉体を召喚していると考えたほうが無理がないように見えるが、如何だろう。

 まぁいずれにしろ、妖狐蔵馬の肉体の死を見た者は、居ないことになるだろう。……狐ってキツネ属イヌ科だったよなぁ、にしては猫っぽい(笑)。ととりとめもないまま始まりとりとめもないまま終わる。